弥生人の声が聞こえる 佐賀県「吉野ヶ里歴史公園」で弥生遺跡と触れ合う

弥生人の声が聞こえる 佐賀県「吉野ヶ里歴史公園」で弥生遺跡と触れ合う

更新日:2017/11/01 13:35

肥後 球磨門のプロフィール写真 肥後 球磨門 一人旅ブロガー
平成元年(1989年)、佐賀県で国内最大級の弥生時代の遺跡が発掘されました。それがおよそ700年続いたといわれる弥生時代すべての期間の遺構や遺物が発見された「吉野ヶ里遺跡」です。
「弥生人の声が聞こえる」をテーマに弥生時代の竪穴住居や高床住居、物見櫓を復元展示し、さらに墳丘墓の発掘現場を埋め戻すことなく公開されています。
弥生時代を体験できる「国営吉野ヶ里歴史公園」を紹介します。

弥生人に扮したスタッフが出迎える公園入り口ゾーン

弥生人に扮したスタッフが出迎える公園入り口ゾーン

写真:肥後 球磨門

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平成元年(1989年)、その発見で一躍日本中の注目を集めることになった吉野ヶ里遺跡は平成13年(2001年)に「弥生人の声が聞こえる」をテーマに弥生時代を体験できる「国営吉野ヶ里公園」としてオープンしました。
公園へのアクセスは長崎自動車道の東脊振(ひがしせぶり)ICから国道385号線を南へ向かっておよそ5分です。公共交通機関を利用の場合はJR長崎本線吉野ヶ里公園駅を利用すると公園東口まで徒歩約15分で到着します。

弥生人に扮したスタッフが出迎える公園入り口ゾーン

写真:肥後 球磨門

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遺跡公園に入園する前に公園東口にある歴史公園センター内のガイダンスルームやミニシアターに立ち寄ることをおススメします。
ガイダンスルームでは吉野ヶ里遺跡の紹介、ミニシアターでは「蘇る“弥生の都市”」と題した吉野ヶ里の歴史や復元建物の内部の様子などが映し出され、いずれも園内めぐりの予習ができる施設となっています。

弥生人の衣装とされる「貫頭衣」が大人用、子供用とも無料で貸し出されるので古代人に扮して園内を見学してはいかがでしょうか。

一歩足を踏み入れたらそこは弥生時代

一歩足を踏み入れたらそこは弥生時代

写真:肥後 球磨門

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吉野ヶ里遺跡は、推定延長2.5kmの壕に囲まれた日本最大級の環壕集落(かんごうしゅうらく)跡で、外敵の進入を防ぐために壕の内外に土塁や逆茂木(さかもぎ)が施工されていたと考えられ、それが再現されています。

一歩足を踏み入れたらそこは弥生時代

写真:肥後 球磨門

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写真は南内郭と呼ばれる地域で、弥生時代の世界が広がっています。この場所から一部の有力者しか持つことができなかったといわれている鉄製品が数多く見つかったことから、周りの「ムラ」を治めていた王や階層の高い人々が住んでいた場所と考えられています。

一歩足を踏み入れたらそこは弥生時代

写真:肥後 球磨門

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南内郭では「王の家」「集会の館」などの建物や、敵を見張る物見櫓も再現されています。物見櫓は実際に上ることができ、吉野ヶ里集落が一望できるおススメの場所です。

吉野ヶ里遺跡内の建物は無造作に建てているのではなく、遺構のあった場所を調査後埋め戻しその上に盛り土をして建物を再現しています。そのため当時の弥生人の生活がより鮮やかによみがえってくるように感じます。

「クニ」の運営をつかさどった北内郭エリアに建つ「主祭殿」

「クニ」の運営をつかさどった北内郭エリアに建つ「主祭殿」

写真:肥後 球磨門

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沢山の竪穴住居が並んでいた南内郭の北側にある北内郭には3層構造の吉野ヶ里遺跡の中で最大規模の建造物「主祭殿」が建っています。

「クニ」の運営をつかさどった北内郭エリアに建つ「主祭殿」

写真:肥後 球磨門

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主祭殿の二階は指導者層の人たちが田植えや稲刈りの日取りを決めたり、季節ごとのお祭りの日を決めたりする会議を持っていた場所と考えられ、等身大の人形を置いて当時の様子を再現しています。

「クニ」の運営をつかさどった北内郭エリアに建つ「主祭殿」

写真:肥後 球磨門

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主祭殿の三階は祖先や神様の声を聞くことができる特殊能力を持った最高司祭者がいる場所で、指導者たちの会議で決まらない重要事項がここで神様の声を聞いて決めていたと考えられています。ここでも二階同様に人形が置かれ、まるで目の前で本当に神事がおこなわれているように表現され、あまりの臨場感に圧倒されます。

主祭殿の中にいると、弥生時代の会議の場に実際に参加しているような錯覚に陥ります。ここで弥生人の声を聞いてみてはいかがでしょうか。

迫力満点!本物の甕棺が並ぶ「北墳丘墓」

迫力満点!本物の甕棺が並ぶ「北墳丘墓」

写真:肥後 球磨門

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吉野ヶ里遺跡の中で一番の見所は丘のように見える「北墳丘墓(ふんきゅうぼ)」です。墓の正面には「立柱」と呼ばれる柱が立っていて、祖先の霊が宿る柱と考えられていたそうです。

この墓から出土した甕棺(かめかん)の中には人骨と一緒に勾玉や管玉などの装飾品、銅剣や織物などが埋葬されていました。そのため、吉野ヶ里集落の歴代の王が埋葬されている墓と考えられています。

迫力満点!本物の甕棺が並ぶ「北墳丘墓」

写真:肥後 球磨門

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墓は発掘調査の後いったん埋め戻されました。しかし本物の遺構を公開することになり、地表面にヒビやカビなどが発生しないように特殊な処理が施されるとともに、遺構面の湿度を80%程度に保つ空調が整備されました。
そして全体をドーム状の構造物で覆い、その上に土をかぶせて元の墳丘墓の形に戻しています。

レプリカではない本物の甕棺が元あった場所に戻され、本物の持つ迫力を体感できるおススメの見学施設です。

迫力満点!本物の甕棺が並ぶ「北墳丘墓」

写真:肥後 球磨門

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遺構の回りは出土品のレプリカの展示や、埋葬の方法、北墳丘墓の作り方などが解説展示されています。

本物の甕棺14基が並ぶ内部は本当に迫力満点。吉野ヶ里遺跡を訪れたらここは絶対に見逃さないようにしましょう。

吉野ヶ里遺跡で赤米入りご飯はいかが?

吉野ヶ里遺跡で赤米入りご飯はいかが?

写真:肥後 球磨門

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吉野ヶ里遺跡東口の歴史公園センターのレストランで古代米の食事はいかがでしょうか。写真は佐賀県の名物がお膳に並ぶ「吉野ヶ里定食」で、ご飯は古代米といわれる赤米が混ぜられています。
そのほかの定食でもご飯は赤米が使用されていて弥生時代を感じることができます。

レストラン横には佐賀県の特産品や甕棺のおもちゃなど吉野ヶ里遺跡ならではのお土産品も並んでいるので立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

弥生時代にタイムスリップ「吉野ヶ里遺跡」

およそ700年続いたと考えられている弥生時代。その時代が2000年近くの時を越えて吉野ヶ里に現れました。
吉野ヶ里遺跡は遺構の見学だけでなく勾玉作りや火おこしの体験などができ、見て、体験して、弥生人の気分になって弥生の風景を楽しむことができます。

吉野ヶ里遺跡に出かけ、弥生時代にタイムスリップしたような風景の中、弥生人の声を聞いてみませんか?

<吉野ヶ里歴史公園の基本情報>
住所:佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1843
電話番号:0952-55-9333
アクセス:長崎自動車道 東脊振ICから国道385号線を南へ5分
     吉野ヶ里公園駅からメインゲートまで徒歩約15分

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掲載内容は執筆時点のものです。 2016/10/15 訪問

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