競馬ファンも必訪?福岡・篠山神社で数学成績アップ祈願!

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競馬ファンも必訪?福岡・篠山神社で数学成績アップ祈願!

競馬ファンも必訪?福岡・篠山神社で数学成績アップ祈願!

更新日:2017/09/13 14:14

万葉 りえのプロフィール写真 万葉 りえ アマチュア写真家

学業祈願でまず浮かぶのが天神様を祀った神社ではないでしょうか。福岡にある篠山神社もご利益の一つに学業祈願があるのですが、ここはそれだけではないのです。なんと「下学上達」というご利益までお持ちの心強さ!しかも、ここに祀られているのは、日本の数学である「和算」の研究を行いその水準を世界レベルにまで高めたという功労者なのです。
さらに競馬に縁の深い方も祀られているので、確率アップに必訪かも…。

「東洋のエジソン」が生まれた町 久留米藩

「東洋のエジソン」が生まれた町 久留米藩

写真:万葉 りえ

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江戸末期から明治にかけての発明家で、「東洋のエジソン」とまでいわれた田中久重。後の「芝浦製作所」の創業者となるのですが、その生誕地がご覧いただいているJR久留米駅(新幹線&在来線)がある福岡県久留米市です。

幼少より非凡さが秀でていたという久重。8歳で「開かずの硯箱」を作り周りを驚かせます。さらに神社の祭礼に合わせて複雑な機械を組み合わせた「からくり人形」を作り、天才的な発明家として名を馳せていきました。当時「からくり儀右衛門」と呼ばれたのは、彼の幼少期の名から生まれた賞賛だったのです。

「東洋のエジソン」が生まれた町 久留米藩

写真:万葉 りえ

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中でも現在国立科学博物館に収められて、「万年時計」といわれている「万年自鳴鐘」は久重の天才的な頭脳を表す一番のものでしょう。平成の時代に入ってからセイコーなどの技術者がこの時計の分析・復元を試みたのですが、100人もの技術者が携わり最新機器を投入したにもかかわらず再現への道はかなり困難だったようです。

同じ間隔を刻む現代の時間と違い、江戸時代は昼夜の長さによって一刻が変わるという季節で変動する時間を使っていました。その複雑な時を示す和時計に、太陽と月の動き、二十四節気、そして、曜日や干支までもが表示されるという想像を超える万年時計。しかも久重は1000を超えるという部品をほとんど自分で手作りしていたというのです。その頭脳の明晰さと器用さは一般の人々には想像すら難しいですよね。
JR久留米駅を出れば、そんな久重の太鼓時計をモチーフにした大きなからくり時計が迎えてくれます。

城跡に建つ神社

城跡に建つ神社

写真:万葉 りえ

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そんな科学の天才・田中久重が大阪へと出ていくまで過ごした久留米藩は、文化人だった藩主の下で学問や文化が花開いていた藩でした。その文化人藩主としてまず挙げられるのが7代目藩主有馬頼撞(よりゆき)です。JR久留米駅から歩いて15分ほど行くと、その有馬頼撞が祀られている篠山神社が有馬家の城の跡地に建っています。

城があったのは筑後川の河畔で、JR久留米駅から神社に向かう途中の道のりは「ブリヂストン通り」と呼ばれる通りになります。なぜなら、田中久重だけでなく、ブリヂストンの創業も、現在のスニーカーの元祖ともいうべき靴を作ったムーンスターの創業も、そして海外ブランドの靴も担っていたアサヒコーポレーションの創業も、この地から。各社の工場の入り口を見ながら進んでいってくださいね。

※「よりゆき」の「ゆき」の漢字は、正確には「行人偏」に「童」です。
※ムーンスターの資料館「月星歴史館」や直売所はJR久留米駅から車で約3〜5分。

七代目藩主は 世界トップレベルの和算の大家

七代目藩主は 世界トップレベルの和算の大家

写真:万葉 りえ

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頼撞は二十一万石の殿様というだけでなく、和算の世界では高弟の筆頭も務めた大家でした。さらに各流派が秘伝としていた教義を進んで公開し、出した研究所や指導書はなんと40冊以上。おかげで日本の数学は全体がますますレベルアップしたのです。

現代からは想像できないかもしれませんが、江戸時代の人にとって和算は趣味のようなもの。和算の難問を攻略していく様は、さながら現代人がゲームの難関をクリアしていく姿かも。
鎖国をしていた当時の日本人は知る由もないのですが、和算の第一人者だった関孝和が円周率を小数点以下10桁以上出していたことや、欧州で考えられる前に行列式を考え出していたことなど和算のレベルの高さは、後の世になって認められます。関は1458次の方程式や27万3123項からなる式を計算をして答えを導きだしていたというのですが、コンピューターのない時代に想像もつきませんよね。

そんなレベルに憧れ、老いも若きも、また身分を問わず趣味として人々は楽しんでいたのです。誰かが出した難問を解いて、新たな問題を出す。そうやって楽しみながら日本の数学である和算は当時の世界最高水準に達していたというのです。また、江戸時代には和算を教えながら諸国を歩くという専門家までいたのです。ですから、頼撞の出した書物がいかに人々に影響を与えたかがわかりますよね。

日本のダービーの礎

日本のダービーの礎

写真:万葉 りえ

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初めにご紹介した「下学上達」ですが、この言葉は、容易なことから学んでだんだんに高度なレベルに通じることや、手近なところから始めて次第に向上してゆくことを表しているそうです。頼撞が研究していた和算だけでなく、様々な道に通じるものがありますよね。

古くは篠原城ともよばれた久留米城。現在でも当時をしのぶ堀の跡や見事な石垣が残っています。そこに建つこの篠山神社には、さらに後の時代になってから日本中央競馬会の理事長を務めた有馬頼寧(よりやす)も祀られます。
中山競馬場で行われる「有馬記念」。そうです。この有馬記念という名は、この有馬頼寧の功績からのネーミング。有馬記念の前には訪れておきたくなりますよね。

有馬家ゆかりの歴史資料

有馬家ゆかりの歴史資料

写真:万葉 りえ

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篠山神社のそばには、ブリヂストンの創業者・石橋正二郎氏が寄贈した有馬記念館も建っています。展示は企画によって変わるのですが、江戸時代を通してこの久留米の地で代々藩主だった有馬家の歴史が紹介されています。

有馬家ゆかりの歴史資料

写真:万葉 りえ

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映画や小説にも描かれた和算

小説「算法少女」には頼撞がモデルとなった和算好きの殿様が登場し、映画化された「天地明察」等にも江戸時代の人々にとって和算が身近だった様子が出てきます。
「これは解けないだろう」という難問を出したり「ちゃんと解けたぞ」という回答を「算額」という形で神社に奉納することも多く、不特定多数の人と算額で対戦していたのです。現代に例えるなら、タイムラグはあるもののオンラインゲームの感覚かもしれませんね。有馬家代々の藩主たちが信仰を寄せた久留米の高良大社にも、その算額の複製品が残っています。

久留米藩の隣には、関が原から奇跡の敗者復活を遂げた武士・立花宗重の柳川藩もあります。明治になってから藩主邸として建てられた洋館「御花」の見学や立花家の資料館、そして有名な川下りなど、魅力ある街が待っています(下記MEMO参照)。

学業祈願の中でも、特に数学のレベルを上げた功績がおおきな頼撞を祀る篠山神社。久留米の城跡にある日本の数学の神様に参拝し、ゆったりと筑後路の名所をたどってみませんか。

掲載内容は執筆時点のものです。

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