妖怪が守る寺!?英一蝶に縁ある東京・高輪「承教寺」

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妖怪が守る寺!?英一蝶に縁ある東京・高輪「承教寺」

妖怪が守る寺!?英一蝶に縁ある東京・高輪「承教寺」

更新日:2017/09/07 14:33

井伊 たびをのプロフィール写真 井伊 たびを 社寺ナビゲーター、狛犬愛好家

「承教院」を初めて訪れる人は、まず山門前の“狛犬!?”らしき、得体の知れぬモノに「こりゃ!何だ?」と驚き、つい見入ってしまう。その評判を聞きつけて、訪れてくる人も多いようだが、ほかにも見どころがたくさんある寺院だ。手入れの行き届いた広々とした境内。仁王門とそこに納まる凛々しい阿吽像。さらには、存在感溢れる「鐘楼」。本堂およびその軒下の彫刻。当寺院に縁ある江戸中期の絵師「英一蝶のお墓」などがある。

当寺院は、「池上本門寺」の末寺である

当寺院は、「池上本門寺」の末寺である

写真:井伊 たびを

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東京都港区高輪にある「承教寺(じょうきょうじ)」は、日蓮宗の寺院。山号は長祐山。日蓮宗の信者であった江戸中期の絵師「英一蝶(はなぶさ いっちょう)」縁の寺院である。本尊は曼荼羅、「英一蝶」の筆による「釈迦如来像(しゃかにょらいぞう)」である。

当寺院は、日蓮宗の僧だった日円(にちえん)により正安元年(1299年)に開山された。当初は西久保(現在の港区虎ノ門)にあったが、江戸時代初めの承応2年(1653年)3月に現在の地に移転している。

当寺院は、「池上本門寺」の末寺である

写真:井伊 たびを

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ここ「承教寺」は、「池上本門寺」の末寺である。当寺院の住職より、大本山である池上本門寺の「貫首」を、務められた方が、現在までに3名いらっしゃる。

江戸時代中期の延享2年(1745年)の大火に巻き込まれ「本堂」などを類焼した。しかし、こちらの「山門」や、奥に見える「仁王門」、境内にある「鐘楼」は、運よく焼失を逃れ現存している。

当寺院は、「池上本門寺」の末寺である

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「本堂」は天明元年(1781年)に再建されたものである。明治初期より明治37年(1904年)までの間、「立正大学」の前身である「大檀林」が当寺院に置かれていた。さらには、第55代内閣総理大臣“石橋湛山”の母親の実家である「石橋家」は、「承教寺」の檀家だった。

本堂の軒下の彫り物は必見!主柱を見上げれば、正面に「唐獅子」、側面には「獏」。欄間の両サイドにも、自然と目線が誘われる。縞模様の線刻、右下の笹から類推すれば多分「虎」だろう。

極め付きは、中央の「龍」の雄姿。この限られた空間の中で、最大限の迫力を表現しようとする匠の息使いを感じ、腕さばきのあとがキラリ!と光っている。

アンタ!誰だ?

アンタ!誰だ?

写真:井伊 たびを

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山門前、左右の狛犬!?は、訪れた人を「なんだ!こりゃ!?」と驚かせ、その表情に見入ってしまう。狛犬にしてはずいぶん胴長の図体で、犬というよりライオンみたい。それでいて顔は人面だし、いったいこれはなんだ!そもそも、狛犬は神社にいらっしゃるもの。寺院にいらっしゃること自体が不可解である。

アンタ!誰だ?

写真:井伊 たびを

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こちらのお方は、「狛犬」ではなく「狛件(こまくだん)」という。牛から生まれ、人間の言葉を話し、発する予言は必ず当たると言われている。「件(くだん)」は、19世紀前半ごろから日本各地で知られる妖怪。「人+牛」の文字通り、半人半牛の姿をした怪物として語り継がれている。

アンタ!誰だ?

写真:井伊 たびを

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幕末頃に最も広まった伝承によれば、「件」は生まれて数日で死ぬが、その間に作物の豊凶や流行病、旱魃、戦争など重大なことに関して様々な予言をし、それは間違いなく起こるとされていた。

仁王門と阿吽像

仁王門と阿吽像

写真:井伊 たびを

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こちらの「仁王門」は、江戸時代中期の大火にも類焼せず、創建当時からの雄姿を現在も残している。その造形美をゆっくり堪能したいものだ。

仁王門と阿吽像

写真:井伊 たびを

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見あげる阿像の凛々しさと、漲るエネルギーに圧倒される。日々の諸事を忘れ、悠久のときの流れの中へ遊び入ることができる。

仁王門と阿吽像

写真:井伊 たびを

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吽像の大きな手による制止。そもそも、不審者を入れぬ!とする「寺院の番人」である阿吽像ではあるが、これまでの人生の過ごし方を、ここで問われているようだ。

語りかけてくる「鐘楼」

語りかけてくる「鐘楼」

写真:井伊 たびを

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境内にある「鐘楼」は、遠くからでも伝わってくる存在感がある。

語りかけてくる「鐘楼」

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軒下から窺える堅牢な組み付けが、その存在感を醸し出しているのだろう。

語りかけてくる「鐘楼」

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梵鐘の竜頭(吊り部)の匠の技も見落としなく!その繊細な技の神髄を堪能できる。

一蝶のお墓と二本榎の碑

一蝶のお墓と二本榎の碑

写真:井伊 たびを

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本堂脇にある「英一蝶」の墓は、昭和18年(1943年)5月に、東京都指定旧跡になっている。「英一蝶」は、江戸中期の絵師で、英派の始祖である。本名は多賀信香(たが のぶか)で、剃髪後に朝湖(ちょうこ)と名乗り、のちに英一蝶、画号を北窓翁(ほくそうおう)に改めた。絵は「狩野安信(かのう やすのぶ)」に師事し、また書、俳諧、音曲にも秀で、当時のいわゆる通人であった。

元禄11年(1698年)、将軍綱吉を風刺したとの咎で島流しになったが、赦免のとき蝶が花に戯れる様を見て「一蝶」と号したという。軽妙洒脱な筆致で江戸市民や都市風俗を描くことを得意としたが、享保2年(1717年)には風俗画廃業を宣言。享保9年(1724年)1月13日に72歳で没している。

一蝶のお墓と二本榎の碑

写真:井伊 たびを

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山門脇に「二本榎の碑」がある。江戸時代のころの話だが、東海道を日本橋から下ってきて、品川宿の手前の右手の丘の寺に、二本の榎の大木があって、旅人たちの目標になっていた。誰いうともなくその榎を「二本榎」と呼ぶようになり、そのまま地名となった。

その地名は、戦後の地番変更で、高輪何丁目などになった。ところが、それをいつまでも忘れないようにと、「二本榎の碑」を立て、いまでもこの町の住民の大切な象徴となっている。

住宅街の中にあって、少し迷われるかも?

都営・浅草線の「泉岳寺駅」から歩いて10分ほどで、「狛件さん」にご対面できるが、少し迷われるかも?そこで、少し遠回りのご案内になるが、泉岳寺駅の「A2出口」から出て、第一京浜沿いに南へ進み、「高輪二丁目交差点」を右折、200mほど先の右側の住宅街の中にある。「狛件さん」に逢えて満足し、Uターンされお帰りのないこと!境内へもぜひお運びあれ!

この記事の関連MEMO

掲載内容は執筆時点のものです。 2017/09/03 訪問

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