北政所の兄が立藩。岡山に残る凛とした陣屋町〜足守〜

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北政所の兄が立藩。岡山に残る凛とした陣屋町〜足守〜

北政所の兄が立藩。岡山に残る凛とした陣屋町〜足守〜

更新日:2017/09/14 17:15

小谷 結城のプロフィール写真 小谷 結城 国内旅行業務取扱管理者、京都検定2級、温泉ソムリエ、日本城郭検定2級、国内旅行地理検定2級

岡山市街から北西へ10キロほど。山と清らかな川に抱かれた足守という小さな町があります。ルーツは豊臣秀吉の正室・北政所の兄にあたる木下家定。家定は関ヶ原の戦いの際、秀吉没後に出家した北政所を守護すべく、ともに京都で中立の立場を守って徳川家康に評価されたため、慶長6(1601)年、足守藩2万5000石を治めることになりました。この頃から発する町の面影が今も残ります。今回は足守の歴史探訪に誘います。

洗練された商家建築「藤田千年治邸」

洗練された商家建築「藤田千年治邸」

写真:小谷 結城

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町の中央からやや東、藤田千年治邸なる商家があります。本瓦葺きの入母屋造2階建て。醤油の醸造を行っていました。通りに面しては白壁ですが、そこから筋に入ったところにある正面は海鼠壁まで黒漆喰になっています。建物そのものは江戸末期の建築ですが、現在の状態になったのは明治期以降です。

玄関を入ると土間があり、その先に蔵があります。自然の木の歪みをそのままに梁に用いる豪快な造りです。現在は醸造の道具を並べて展示する、いかにも資料館といった感じになっています。

洗練された商家建築「藤田千年治邸」

写真:小谷 結城

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住居部分は概ね田の字型。玄関に近い部屋から時計回りに、店の間、居間、座敷、主人の間となります。2階へは行けませんが、主人の間の階段箪笥から2階の使用人の部屋に行くことができるらしく、主人の間を介することで逃げ出さないようにしていました。

座敷は床、違い棚、天袋、付書院がちゃんと付いています。幕末・明治期にもなってくると平書院や踏込み床のような簡略化が進みますが、ここではそういうことをしませんでした。欄間は竹格子に菊が絡みついたような文様です。一般的に竹は神聖さ、菊は高貴さを示すため、藤田家なりの吉祥文様としていたのかもしれません。

ほぼ完存する家老屋敷は県下唯一「旧足守藩侍屋敷」

ほぼ完存する家老屋敷は県下唯一「旧足守藩侍屋敷」

写真:小谷 結城

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藤田千年治邸以東は、藩政時代は町人町になっていました。それに対して、以西は武家町。この武家町を東西に走り、足守藩の藩庁にあたる陣屋の南に至る通りが現在も本町通りとして残ります。そして、この本町通りを進むと、左手に見えるのが、武家町の名残である藩の国家老・杉原家の屋敷です。現在は旧足守藩侍屋敷という名で公開されています。県下唯一のほぼ完存する家老屋敷であり、実は非常に貴重な建物です。

門は立派な長屋門。壁面は海鼠壁と白漆喰。屋根は切妻破風で本瓦葺きです。そしてその横には、藩主来訪のために設けられた御成門もあります。こちらの扉の下には五七桐が彫られ、秀吉との関係が窺えます。

ほぼ完存する家老屋敷は県下唯一「旧足守藩侍屋敷」

写真:小谷 結城

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長屋門を入って正面には平入り、平屋建ての主屋です。屋根は寄棟屋根で茅葺きに桟瓦葺きの下屋付きです。唐破風を付けた式台と8畳の式台の間があり、この右には大床の付いた13畳の二の間、床と付書院の付いた8畳の一の間と続きます。これら3部屋が客人を迎えるための表向きの間です。

二の間と一の間の間には香図組欄間と呼ばれる珍しいものです。香道の遊びに用いる図柄を参考にした文様になります。一の間の付書院の窓には花頭窓とこれまた珍しい景色があります。

ささやかな水堀「足守陣屋跡」

ささやかな水堀「足守陣屋跡」

写真:小谷 結城

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本町通りをさらに進むと、右手に足守小学校を経て水堀に囲まれた芝生が現れます。ここがまさしく陣屋の跡でした。足守藩には城はありません。その代わりに藩庁の機能を有した屋敷・陣屋が建てられていました。

藩祖・家定が慶長13(1608)年に亡くなると、長男と次男の間に跡目争いが起こり、翌年に木下家の領地は没収されてしました。しかし、元和元(1615)年の大坂夏の陣で家康方に属した次男の利房が再び足守藩主に封じられて木下家足守藩が復活。そして、利房がここを陣屋にして陣屋町の整備を図り、5代藩主・利貞のときにようやく陣屋町が完成したのです。

明治維新後、陣屋は廃止。跡地には学校が建てられましたが、平成7(1995)年に公園として整備されて現在に至っています。建物はありませんが、足守川から水を引いて陣屋を区画していた水堀が当時をささやかながら物語ります。

子孫繁栄と家の存続を願う「近水園」

子孫繁栄と家の存続を願う「近水園」

写真:小谷 結城

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陣屋跡から北へすぐ。藩主のために18世紀初期に作庭されたと考えられる広大な大名庭園・近水(おみず)園があります。足守川の水を引き入れた池泉回遊式で、背後の低山・宮地(みやじ)山を借景に取り入れた雄大な庭園です。

池畔の高みには吟風閣という日本家屋が立っています。京都・仙洞御所の普請に功があった6代藩主・㒶定(きんさだ)がその残材を使用して建てたものと言われている貴重な建築です。玄関の間とこれに続く2つの間が瓦葺きの下屋を持つ平入りの茅葺き屋根の下に納まりますが、さらにその隣の間、縁(写真左)と2階の付いた部分は妻入りの銅板葺きの下にあります。かつてはこちらも草葺きでした。そして、ここが最も池泉に近い側、藩主が庭園を眺める場所です。縁が出ているぶん庇は大きめで、内部は数寄屋造り。洗練されています。

ここから見ると後ろの山と庭園の連続性が感じられ、借景庭園であることがよく分かります。池泉には亀島と鶴島があります。手前、亀島にはちゃんと4つの脚が揃い、北に向かって蔦の絡みついた亀頭石が延びます。その奥が鶴島。かつては松が生えていました。これが鶴の翼を連想させていたのでしょう。こうして、亀と鶴で子孫繁栄と家の存続を願ったのです。

小さくも凛とした佇まいの陣屋町です

足守は最寄駅から遠く、JR岡山駅からではバスで1時間弱。車で訪れるのが良いでしょう。アクセスは良くありませんが、それがために静かな雰囲気と趣ある町並みが保たれているように思えます。あまり観光地化されておらず、飲食店やカフェも3〜4軒ずつ点在している程度です。

俗化には縁の遠い、小さくも凛とした佇まいの陣屋町です。そんな足守でゆっくりと江戸初期以来の歴史物語に耳を傾けてみてはいかがでしょうか。

掲載内容は執筆時点のものです。 2017/08/13 訪問

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