苔むした石垣に紅葉が映える、錦繍の信州小諸城址「懐古園」

苔むした石垣に紅葉が映える、錦繍の信州小諸城址「懐古園」

更新日:2017/10/11 19:22

和山 光一のプロフィール写真 和山 光一 ブロガー
“小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ”と島崎藤村が謳い、全国的にも名高い「懐古園」は、「白鶴城」「酔月城」とも呼ばれる信州小諸駅の南東に位置する小諸城の跡地です。城としては珍しく、城下町よりも低い場所に立ち穴城と呼ばれています。桜で有名ですが、紅葉の時期も美しく、モミジやイチョウ、ケヤキなどが赤や黄に染まり、苔むした野面積みの石垣に映えます。秋晴れの一日、ゆっくり散策を楽しんでみて下さい。

小諸城「三の門」から始まる城址公園「懐古園」

小諸城「三の門」から始まる城址公園「懐古園」

写真:和山 光一

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懐古園の正門にして象徴なのが「三の門」です。元和元年(1615)創建、明和2年(1765)に再建された三の門は国の重要文化財で、自然石をそのまま積み上げた野面積みの石垣が、そびえ立つ寄棟造り瓦葺きの門にさらなる迫力を与えています。そして威風堂々としながらも、どこか哀愁漂う雰囲気を醸し、その上の塀には、弓矢や鉄砲を撃つための矢狭間・鉄砲狭間が設けられ、戦国時代を生きた門の特徴を残しています。三の門に掲げられた「懐古園」の扁額は、徳川16代当主家達(いえさと)によるものです。

三の門から城内を望むと、ゆるやかに傾斜していて穴城と呼ばれる不思議な構造が実感できますよ。

小諸城「三の門」から始まる城址公園「懐古園」

写真:和山 光一

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三の門料金所から進むと、右手に二の丸跡の石垣、クランクしてさらに進めば、左手前方に南丸跡の石垣、右に北の丸跡に挟まれたりと城内は枡形を多用し、要所要所には橋や櫓、門を構えるなど、敵の侵入に備えた造りです。建物は残っていませんが、復元されたものを含め苔むした立派な石垣とモミジの赤が迎えてくれます。

その先をまっすぐ進み紅葉谷に架かる黒門橋を渡ると本丸です。

小諸城「三の門」から始まる城址公園「懐古園」

写真:和山 光一

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北に浅間山を控える小諸の地には浅間山の火山灰地が浸食された深い谷が幾筋も走り、11の丘と12の谷からなる天然の要害に背後の谷筋を空堀に見立てて城後方の守りとした後ろ堅固の城です。本丸と二の丸を隔てる空堀・紅葉谷は、小諸城内で数少ない人工の横谷です。ここにかかる橋が、かつて黒門(一の門)があったとされる場所にある「黒門橋」です。

橋の袂には稲荷神社があり、この橋を渡った左手が本丸跡になります。橋の正面に見える本丸跡の石垣は苔むして古風でかっこよく、紅葉谷の赤によく映えます。

紅葉が映える戦国の世を見つめた自然石の苔むした石垣

紅葉が映える戦国の世を見つめた自然石の苔むした石垣

写真:和山 光一

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歴史好きにはたまらないのが、関ヶ原の戦いの際、徳川秀忠率いる徳川軍が本陣を置いたとされる場所の「二の丸跡」です。上田城攻略のため真田親子に足止めされてここに逗留しました。三方石垣に囲まれた番所跡には色鮮やかなモミジあります。

ここからは北東方向に浅間山、北西方向に遠くアルプス山脈が眺めることができる眺望のよい高台になっています。赤い紅葉の間から眺める青い空に向かって聳える雄大な浅間山は格別です。

紅葉が映える戦国の世を見つめた自然石の苔むした石垣

写真:和山 光一

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「南丸」の高さ約3mの石垣は、戦国時代の特徴的な野面石積みですが、ほぼ垂直に築かれ、敵を寄せつけない気迫が感じられます。南丸跡に上ればそこは一面、赤や黄色のモミジに覆われ、地面は錦の絨毯に覆われています。

紅葉が映える戦国の世を見つめた自然石の苔むした石垣

写真:和山 光一

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黒門橋が架かる空堀は「紅葉谷」と呼ばれています。園内にはモミジ・カエデ類が400本ほどあるといわれていますが、その大半がここ紅葉谷に植えられているかのように、堀一面が赤と黄色と橙と絵の具箱をひっくり返したような華やかさに包まれます。山にいかなくても、町なかで美しい紅葉の谷に出会えるとは感動です。

桜の見処は隠れた紅葉の名所

桜の見処は隠れた紅葉の名所

写真:和山 光一

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自然石の石垣が珍しい本丸跡に、現在は懐古神社が祀られています。旧小諸藩の藩士により同藩を治めた牧野氏の歴代藩主の霊を城内の鎮守神として建立されました。小さな池にモミジの木が映り込み、散りモミジが浮かんでより一層鮮やかな紅葉になっていますよ。

桜の見処は隠れた紅葉の名所

写真:和山 光一

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本丸は約6mの石垣で囲まれていて、特に本丸北西方向にせり出し、他の石垣よりひときわ大きな野面積みの石垣で築かれた場所が、天守(天守台)です。この天守台には3層の天守閣があったと伝わりますが、寛永3年(1626)の落雷で焼失したといわれますが真相は不明です。

仰ぎ見れば、約400年の時を経た石垣は苔生し、綺麗に角が整った野面積みの石垣に圧倒されます。

桜の見処は隠れた紅葉の名所

写真:和山 光一

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園内で一番もみじが密集して生えていて、苔むした石垣とともに訪れる人を魅了しているのが、その名の通りの「紅葉(モミジ)ヶ丘」です。島崎藤村の小諸時代の活動ぶりが偲ばれる作品、遺墨、遺品を多数展示している「藤村記念館」横にあります。日当たりが場所によって違うので、モミジが赤、橙、緑と色彩が鮮やかで見応えがありますよ。

藤村記念館前には藤村の彫像があり、紅葉ヶ丘の鮮やかなモミジを笑顔で見ているようです。

まだまだあります懐古園の紅葉穴場スポット

まだまだあります懐古園の紅葉穴場スポット

写真:和山 光一

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“酔月橋”は、小山敬三美術館前・第2駐車場近くの酔月料金所から懐古園に入る道にある橋で、地獄谷と呼ばれる深い空堀に架かっています。秋になると深い地獄谷も見事な紅葉で天国のような極彩色に彩られます。そんな絵画のような景色が第一駐車場の奥から眺めることができます。

まだまだあります懐古園の紅葉穴場スポット

写真:和山 光一

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三の門料金所から二股を左手に進み、そば屋の“古城軒”の裏手を進むと南谷と呼ばれる空堀に一筋の道があり途中で進入禁止になりますが、空堀の両側から迫る紅葉が見事です。

まだまだあります懐古園の紅葉穴場スポット

写真:和山 光一

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懐古園の一番奥、水の手門があったとされる場所にあるのが、檜傘のような屋根が目印の「水の手展望台」です。文豪・島崎藤村自筆の文字が刻まれた「千曲川旅情のうた」の歌碑から階段を上ります。

ここは千曲川の流れが見渡せるビューポイントです。ここから見る千曲川の両河岸から迫る河岸段丘を覆う紅葉は、とうとうと流れる千曲川の青い水の流れを一層鮮やかにしてくれています。

見落としがちな小諸城大手門

見落としがちな小諸城大手門

写真:和山 光一

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小諸城址は、しなの鉄道の線路を挟んで「懐古園」と「大手門公園」に分かれています。小諸駅の西側エリアになる小諸城の三の丸の城郭が残る大手門を中心とした大手門公園以外にも参勤交代の大名の宿舎を移築復元した「本陣主屋」や湧水を水源とするせせらぎが流れる「せせらぎの丘」などがあり、もっとも小諸駅に隣接して「停車場ガーデン」があります。ガーデンショップ以外にも健康カフェテラスもあり寛げます。

見落としがちな小諸城大手門

写真:和山 光一

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電車で小諸駅に着いたら城のある懐古園に行かず市街地にある「大手門」に行きましょう。小諸城の表玄関にあたり慶長7年(1612)に初代小諸藩主仙石秀久により築かれました。三の門が有名なので見落とされがちですが小諸城としてはこちらが正門で、本丸から数えて4番目の門であることから「四の門」とも呼ばれています。高さ約11m、幅約12.7mの江戸時代の堂々たる姿は、青森の弘前城の追手門とともに東日本の代表的な大手門建築の双璧と言われています。

なぜ大手門だけがポツンと離れた場所にあるかと言えば、小諸城が線路で分断されているからです。

見落としがちな小諸城大手門

写真:和山 光一

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「日本100名城」や「日本さくら名所100選」に選定されている懐古園では、毎年10月下旬から11月中旬にかけて「小諸城址懐古園紅葉まつり」が開催されています。馬場のコモロヤエベニシダレザクラは有名ですが、風情ある秋の紅葉も美しく、静かな公園内をゆっくりと散策しつつ、歴史をしのびながら深まる秋を味わってみてください。敷地内には動物園や児童遊園地、美術館もあり、お子様づれでも楽しめますよ。

小諸懐古園の基本情報

住所:長野県小諸市丁311
電話番号:0267-22-0296
アクセス:しなの鉄道小諸駅より東西自由通路を渡りすぐ
料金:散策券大人300円、中学生以下100円

2017年10月現在の情報となります。変更となる場合がありますので、公式サイトなどで最新情報を必ずご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/11/20 訪問

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