写真:LUI
地図を見る高松塚古墳はその美しい壁画で知られる古墳の一つで、藤原期(694〜710)年築造の円墳です。
中に入ることはできませんがすぐ近くには高松塚古墳壁画館があります。ここには高松塚古墳の壁画についての展示がされていて、壁画の模写や石棺の模型があり、小さいながら内容の深い資料館になっています。
高松塚古墳の壁画は同じく壁画のあるキトラ古墳とは違い人物が描かれており、色彩豊かな女子群像は教科書などでも見かける有名なものです。(キトラには獣頭人身十二史像が描かれてます)
その中でも南の方角にある朱雀が描かれていたであろう壁面は、残念ながら欠けていますが当時の陰陽五行の考え方を知る上でも貴重な遺跡です。
その謎はまだ多く被葬者がだれかというのも解明されていません。
写真:LUI
地図を見る高松塚古墳から車で10分の距離にあるのが石舞台古墳。ここは7世紀初め頃(推定)に造立された日本最大級の横穴式石室で古墳の一つです。30数個の巨石で構成されており、大きな石では1個約77tに及びます。
石舞台古墳は明らかではないが蘇我馬子が眠っているといわれています。今では石室を覆っていた土がなくなり、大きな石組だけ。存在感を放つ空間となっています。機械を使わずに巨石を運び、積み上げた昔の人の力と知恵を感じるとともに、石組だけでバランスをとっているその状態に思わず感動。また、石組の中にも入ることができ、空間の広さと内側から見る石組の迫力、凄さを実感することができます。
どのようにして運んだのか?なぜこのような巨大な古墳を作ったのか?ということに考えをめぐらすことも楽しみの一つです。
写真:LUI
地図を見る飛鳥寺は石舞台古墳から車で3分の距離にあり、飛鳥の都ができる前に建てられた古くからのお寺です。豪族、蘇我馬子が588年に建立した日本最古の本格的なお寺であり、都の建物さえ板、藁、茅葺であった1400年も昔に瓦を作って屋根にしたり、当時の中では最先端の技術を使ったお寺でした。
これから仏教が大陸から伝来した最先端の思想で権力者たちに尊重されていたことがうかがえます。
飛鳥寺は当時、東西約200m×南北約300mにおよぶ大寺院でしたが今では講堂のみとなっています。
本尊の飛鳥大仏は当時の渡来人の作で、右から見るのと左から見るのとでは顔つきが変わります。のちの時代に見る柔和な表情の大仏と比べてもまた違う顔つきをしています。
長い間ずっと同じ場所に鎮座する大仏には飛鳥の歴史の長さを感じます。
(写真撮影可能)
今から1400年以上も前に開かれた飛鳥。そこは日本の心のふるさとでもあり、謎多き古代ロマンにあふれたところでもあります。キトラ古墳壁画公開で盛り上がっている明日香村をぜひ訪ねてみませんか?
今回紹介できていませんが聖徳太子誕生の地、橘寺や奇妙な石造の猿石などの各所もめぐるには、のどかな景色を眺めつつレンタサイクルで周るのもいいかもしれません。
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この記事を書いたナビゲーター
LUI
関西在住の社会人です。社会人でも中身の濃い旅行がしたい!という自分の素直な気持ちに従い遊びも仕事も両立させるスタイルで旅行をしています。旅のメインは写真撮影、温泉、グルメ。おもなエリアは関西周辺です。
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