大阪に日本一低い山!?意外な歴史を秘めた堺市の大浜公園

大阪に日本一低い山!?意外な歴史を秘めた堺市の大浜公園

更新日:2017/11/12 20:02

乾口 達司のプロフィール写真 乾口 達司 著述業/日本近代文学会・昭和文学会・日本文学協会会員
大阪の堺市といえば、大山古墳をはじめとする百舌鳥古墳群や千利休・与謝野晶子をはじめとする歴史上の著名人を輩出した旧寺内町などを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。そんな堺の街に日本一低い山を擁する公園があること、ご存知ですか?今回は意外な魅力を秘めた堺市の大浜公園をご紹介しましょう。

意外な歴史を有する大浜公園

意外な歴史を有する大浜公園

写真:乾口 達司

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大浜公園は、大阪湾をのぞむ大阪府堺市の西の端に位置する公園。その歴史は意外と古く、1879年(明治12)、江戸時代末期に築造された砲台跡を整備することで誕生しました。堺の市営公園としてはもっとも古いとのこと。

海沿いに松並木が広がっていたこの地は風光明媚な観光地として当時の大阪の庶民に愛され、一力楼や丸三楼、八角萬など、数多くの観光旅館が立ち並んでいました。1903年(明治36)には第5回内国勧業博覧会の会場にも選ばれ、1913年(大正2)には総合レジャーランドというべき「大浜潮湯」が開業。1923年(大正12)には大浜少女歌劇も創設されており、大浜公園の人気は絶頂期を迎えますが、太平洋戦争中、軍需工場の寄宿舎となったことで一大レジャーランドとしての大浜公園の役割は終わりました。

園内には、ご覧のように、在りし日の大浜公園について解説した案内板も設置されているため、こちらで大浜公園の豊かな歴史を学びましょう。

意外な歴史を有する大浜公園

写真:乾口 達司

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大浜公園がいかに由緒のあるスポットであるか、こちらの石碑からもうかがえます。石碑には「明治天皇御駐蹕之跡」(めいじてんのうごちゅうひつのあと)と刻まれています。「駐蹕」とは、天皇が行幸の途中に一時的に乗り物をとめること。すなわち、明治天皇はかつて大浜公園を訪れているのです。明治天皇が大浜公園を訪れていたこと、ご存知でしたか?

意外な歴史を有する大浜公園

写真:乾口 達司

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写真の陸橋は「乙姫橋」。橋の下は遊歩道になっており、決して川が流れたりしているわけではありません。したがって、わざわざ橋をわたる必然性はありませんが、なぜ、こんなところに橋があるのか、疑問を持つ方もいらっしゃるでしょう。実はかつてこの橋の下を車道が走り、大浜公園はそれによって南北に分断されていたのです。乙姫橋は公園が南北に分断されていた当時、双方の区画をつなぐ役割をしていたのです。公園を分断していた車道が移設された現在、乙姫橋は橋としての役割を終えていますが、これもまた大浜公園の歴史を物語る貴重な遺産といえるでしょう。

日本一低い山!?大浜公園内にある蘇鉄山

日本一低い山!?大浜公園内にある蘇鉄山

写真:乾口 達司

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先にも紹介したように、大浜公園には日本一低い山が存在します。その名は「蘇鉄山」(そてつやた)。山頂付近に蘇鉄が生えていることから名付けられたこの山の標高は6.97メートル!山頂には一等三角点まで存在しています。一等三角点のある山としては日本一低いとのこと。

しかし、大阪湾に面した海沿いの平地になぜ山が存在するのだろうか。そんな疑問を抱く人も多いのではないでしょうか。実はこの蘇鉄山、大浜公園の整備にともない、大阪湾を一望する目的で意図的に築かれた人工の山なのです。その意味では、大浜公園とは切っても切れない関係にある山であるといえるでしょう。

写真はその登り口を撮影したもの。登山道は10メートルくらいで、登り口から山頂までものの数秒で到着してしまいます。大浜公園を訪れたら、ぜひ登ってみましょう。

日本一低い山!?大浜公園内にある蘇鉄山

写真:乾口 達司

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写真は上で紹介した一等三角点。山頂の南の端に位置しています。

日本一低い山!?大浜公園内にある蘇鉄山

写真:乾口 達司

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こちらは一等三角点の脇に据えられた案内板。蘇鉄山について詳しく解説していますが、特に注目したいのは、その末尾にある記述。何と蘇鉄山の登山証明書も発行してもらえるのです。発行所は南海本線堺駅のそばにある神明神社。蘇鉄山に登った記念に登山証明書をいただくのも、良い旅の思い出となるでしょう。

お猿さんにご挨拶!園内にあるサル舎

お猿さんにご挨拶!園内にあるサル舎

写真:乾口 達司

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大浜公園にあるのは、何も日本一低い山だけではありません。何とおサルさんまでいるのです。現在はオリ形式のサル舎のなかに数十頭のおサルさんが飼育されていますが、2009年(平21)までは園内にあった猿島で暮らしていました。猿島は先に紹介した第5回内国勧業博覧会を引き継いだ水族館時代からのもの。大浜公園の歴史の一端がサル舎に残されているとは、意外ではありませんか?

お猿さんにご挨拶!園内にあるサル舎

写真:乾口 達司

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オリのなかでは、おサルさんたちが元気に遊んでいます。私たちにも興味があるのか、タイミングが良ければ、目の前までやって来ますよ。

『南極物語』をご存知ですか?樺太犬慰霊像

『南極物語』をご存知ですか?樺太犬慰霊像

写真:乾口 達司

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大浜公園ゆかりの動物といえば、ほかにもイヌがいます。こちらは「樺太犬慰霊像」と呼ばれているもので、日本から派遣された南極観測隊に同行し、観測隊が南極を離れた後、南極に残された樺太犬の悲劇を顕彰しています。取り残された樺太犬のうち、生き残ったタロとジロの物語を描いた映画『南極物語』をご存知の方も多いのではないでしょうか。こういった意外な記念碑があるのも大浜公園の魅力です。

完備している遊具や遊歩道

完備している遊具や遊歩道

写真:乾口 達司

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もちろん、公園なので、遊具もそなわっています。したがって、お子さまを連れていったら、大喜びすること、間違いありません。

完備している遊具や遊歩道

写真:乾口 達司

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園内には池もあり、その周辺をめぐる遊歩道も完備しています。広い公園なので、ぐるりとめぐると良い運動にもなりますよ。

おわりに

大浜公園、いかがでしたか?日本一低い山はもちろん、今回ご紹介したほかのスポットも珍しいものばかりなので、大浜公園を訪れ、その豊かな歴史を思い返しながらゆったりとした時間をお過ごしください。

<基本情報>
住所:大阪府堺市堺区大浜北町4丁3番50号
電話:072-228-8897(大浜公園事務所)
アクセス:南海本線堺駅より西へ徒歩10分

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掲載内容は執筆時点のものです。 2017/07/15 訪問

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