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神秘的な一刀石と静寂な剣豪の里、奈良「柳生」で剣の極意にふれる

神秘的な一刀石と静寂な剣豪の里、奈良「柳生」で剣の極意にふれる

更新日:2019/05/05 18:37

花月 文乃のプロフィール写真 花月 文乃 地域文化・民俗文化リサーチャー、グラフィックデザイナー、旅行ライター
奈良市内からバスで約1時間ほどの場所にある「柳生の里」。この隠れ里は、剣豪の柳生一族のゆかりの地として知られています。柳生の地で派生した剣の流儀を、柳生新陰流といいます。この流派は、人を殺す剣術に対して人を生かす平和の剣をときました。

柳生新陰流の平和の剣とは?また、柳生一族に縁の深い柳生とはどのような場所なのでしょうか?

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宮本武蔵が畏敬した剣豪、柳生石舟斎とは

宮本武蔵が畏敬した剣豪、柳生石舟斎とは

写真:花月 文乃

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宮本武蔵(1584〜1645)は、戦国時代(1467/1493〜1590)から江戸時代(1603〜1868)初期にかけての剣豪で、二刀を用いる二天一流の創始者です。13歳で初めて剣の対戦をして勝利して以来、29歳までに60回以上の勝負にすべて勝利したと伝わります。

武蔵は、奈良にも剣を磨くためにやってきます。宝蔵院流槍術は、奈良の興福寺子院の宝蔵院に住んだ僧、胤栄が創始した槍術です。武蔵は、宝蔵院流とも対戦し、見事勝利します。

しかし、天下無双ともいわれた宮本武蔵が、畏敬し、対戦を渇望するもかなわなかった人物が同地、柳生にいました。その名は柳生石舟斎。

柳生新影流の創始者、柳生石舟斎

柳生新影流の創始者、柳生石舟斎

写真:花月 文乃

柳生宗巌(1529〜1606)は宮本武蔵よりも55年先立ち、戦国時代(1467/1493〜1590)末期に奈良に生をうけます。石舟斎の名は47歳で隠居してからの号です。宗巌は親交のあった宝蔵院流槍術創始者、胤栄を通じ新陰流の上泉信綱と知遇をえます。そして、上泉信綱を柳生に招き、兵法を学びました。

柳生を去る際、上泉信綱は宗巌に「無刀の位」を宿題として与え、3年後の再会を約束して柳生を後にします。

「無刀の位」とは、自分の命だけでなく相手の命も尊重し、勝負にとらわれずそれを超越したところを悟るという、殺人のための剣を、いかに人をいかすために用いるかという難しいものでした。

天狗との壮絶なバトルと剣の極意。一刀石の不思議

天狗との壮絶なバトルと剣の極意。一刀石の不思議

写真:花月 文乃

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宗巌が上泉信綱からの課題をとくために、天乃石立神社にこもり、日夜修行に励んだといいます。ここには一刀石という巨石とともに宗巌にまつわる不思議な伝説が残っています。

ある夜、宗巌が天乃石立神社の境内で稽古をしているとどこからともなく天狗が現れます。宗巌の天狗との激しい対戦のうえ、一刀で天狗をまっぷたつに切り裂くと、その瞬間、天狗は消え、まっぷたつに割れた巨石があったといいます。それが、一刀石です。
現在も天乃石立神社の境内でみることができます。

みごと「無刀の位」を体得した宗巌は上泉信綱から印可状を授かり、新陰流に「無刀の位」の工夫を新たに加え、柳生新陰流の祖となりました。

<天乃石立神社の基本情報>
住所: 〒630-1237奈良県奈良市柳生町
電話番号: 0742-94-0002 柳生観光協会
アクセス:近鉄奈良線近鉄奈良駅から奈良交通柳生行きバスで50分、終点下車、徒歩30分

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旧柳生藩家老屋敷

旧柳生藩家老屋敷

写真:花月 文乃

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1594年、柳生宗巌は徳川家康の前で無刀取りの妙技を披露する機会をえます。宗巌の術に感銘を受けた家康は、剣術指南役として出仕を願いでましたが、宗巌はこれを辞退し、息子の宗矩を推薦します。宗矩はその後、徳川将軍家の剣術指南役として活躍しました。

宗矩の生涯は、作家・山岡荘八が原作のNHK大河ドラマになりました。ドラマ「春の坂道」の構想がねられたのが、旧柳生藩家老屋敷です。

旧柳生藩家老屋敷は、柳生藩の財政立て直しをした家老小山田主鈴の隠居宅で、奈良県唯一の武家屋敷として、奈良県指定文化財に指定されています。

石垣は1841年に尾張石工が築いたと伝わり、1964年には山岡荘八氏の所有となりました。氏の死後、1980年に奈良市へ寄贈され、柳生藩と小山田主鈴、山岡荘八氏に関する資料館として一般公開されました。

<旧柳生藩家老屋敷の基本情報>
住所: 〒630-1237奈良市柳生町155-1
電話番号: 0742-94-0002
アクセス:JR・近鉄奈良駅 石打・柳生・邑地中村行バス50分「柳生上」下車5分※自由乗降区間になります

柳生の静寂と平和の剣

石舟斎が体得し創設した柳生新陰流はその子、宗矩に引き継がれ、宗矩は江戸にあがり徳川将軍家の兵法指南役として柳生新陰流(江戸柳生)の地位を確立しました。

江戸時代(1603〜1868)は長くつづいた戦国時代をへて、大きな戦争や内乱のない平和な時代でした。江戸幕府の指南役だった宗矩は、平和な時代の武士の心がけをとき、武道を通じて人間形成の道をしめしました。

ひっそりとした森の中にたたずむ、一刀石は神秘的で、その精妙な空気はまさに「無刀の位」の精神にふれているような気になります。

奈良市中心部から柳生までは、バスで約1時間ほど。そこには、穏やかな柳生の里が広がっています。ぜひ一度、日本の剣豪たちが歩いた柳生の地とその精神にふれに訪れてみてください。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2015/07/14 訪問

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