写真:SHIZUKO
地図を見る瀬戸内海に浮かぶ島の中で一番大きな淡路島は、日本神話で、一番初めに作られた島といわれる神秘的な面を持つ島(詳しくは、[MEMO]の「淡路島の歴史と神話」をご覧ください)。淡路市・洲本市・南あわじ市の3市からなり、一番南側、四国に近い位置にあるのが南あわじ市。その西側にあるのが最高峰『諭鶴羽山(ゆづるはさん)』。
山の南側は日本を東西に貫く中央構造線(日本を空から見たときに明らかに判る、関東から九州までを繋いでいる大断層)の断層からなる崖があり、そこには『灘黒岩水仙郷』と呼ばれる水仙の名所があります。
最高峰と言っても標高は607メートルと低めの諭鶴羽山は、古くから山岳信仰の対象として崇拝され、中世には熊野三山と並んで修験道の一大道場として栄えました。諭鶴羽という名前は、神様をのせた鶴が熊野へ赴く途中にこの地に降り立ったという神話から名づけられたとか。
その場所は『神倉(かんのくら)神社』。
登山口から林の中の急登15分、尾根筋に出た場所にあります。
写真:SHIZUKO
地図を見る『熊野詣』の第一次最盛期は平安時代。その後、いったん衰退し、再び江戸時代に再燃し、現在、熊野古道が世界遺産登録されてブーム再びとなっています。
再生を願う祈りの道・古道は『諭鶴羽古道』も同じです。
熊野よりも規模が小さい諭鶴羽ですが、実は、この地を経由して、熊野の神様は、最終地である熊野へ赴かれました。
ということは、この諭鶴羽山がなければ、熊野の神様たちは、熊野へたどり着けなかったということでしょうか。もちろん、他のところを通ったのかもしれませんが、実際に歩いていると、神様にとっても大切な山だったのだと感じる、パワーあふれる山です。
諭鶴羽神社の境内からは、建武元年(1334年)・鎌倉時代の銘がある町石も発見されていて、諭鶴羽詣が盛んだった古の賑わいを思い浮かべることができます。
町石が設置できるのは、相当の財力があった場所だけ。つまり、その時代かなり隆盛を誇っていた証拠となります。今では諭鶴羽神社の周辺だけが、人の気配のする場所ですが、かつては28もの建物が連なる大伽藍だったというのですから、熊野詣人気に匹敵する場所だったことが分かります。
写真:SHIZUKO
地図を見る諭鶴羽ダムから裏参道を登ること、約1時間半で山頂に到着。
山頂は諭鶴羽神社のお旅所になっています。
山頂に至る道には、参詣道らしく『町石地蔵』も設置されています。
鎌倉時代の町石ではないでしょうが、それぞれにお顔も違って、一町(約109メートル)ごとに出会う楽しみで、足も軽々と進みます。
写真:SHIZUKO
地図を見る山頂から400メートルほど下ると鶴諭羽神社に到着。境内のそばに、無料の休憩所・杠(ゆずりは)山荘があります。
寒い時期などは、こちらで昼食をとらせていただけます。ストーブがたかれていて、暖かい! 冬のアウトドアで最高にうれしい瞬間です。
写真:SHIZUKO
地図を見る帰り道となる表参道は、かなりの急坂。岩がいっぱいで歩きにくい。
やっと道が緩くなったころに、海が見えます。この海沿いの崖に、水仙で有名な『灘黒岩水仙郷』があります。花が少ない冬に、可憐な姿を見せてくれる水仙の群落は見事です。
水仙郷へ降りる道もありますから、帰りにたっぷりと水仙の香りを楽しむのもいいですね。
熊野古道同様、この道は、祈りを捧げる信仰の道として、また地域の人々の生活の道として活躍してきた道。時間的には短時間なのに、いろんな思いを感じることができる道。晴れていれば、瀬戸内海の絶景がたまらないので、ぜひ、一度登ってみていただきたいと思います。
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(2023/11/29更新)
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