写真:井伊 たびを
地図を見る東京都目黒区にある、「瀧泉寺(りゅうせんじ)」は、天台宗の寺院。山号は泰叡山(たいえいざん)。不動明王を本尊とし、一般には目黒不動(目黒不動尊)の通称で呼ばれている。
「成田不動尊」などと並び“日本三大不動尊”のひとつ。また江戸三大不動・江戸五色不動のひとつで、江戸三十三箇所第33番札所や、関東三十六不動第18番でもある。ちなみに、「目黒」の地名はこの“目黒不動に由来”とする説もある。
「目黒不動尊」は台地と平地の境目に建立。この「仁王門」などの建つ平地と、「大本堂」が建てられている高台の2段構成になっているため、仁王門をくぐると正面に大本堂へ至る急な石段が。
その「男坂」と名付けられた、真正面の石段の傾斜は、“ほぼ45度”ありとても急勾配。足腰に不安のある方は、右側にある「女坂」という比較的勾配の緩やかな石段のご利用をお勧めする。
石段下の左側には「独鈷の滝(とっこのたき)」、「前不動堂」、「勢至堂」などがあり、右側には「地蔵堂」、「観音堂」、「書院」、「阿弥陀堂」など、ご利益をいただけるところが多い。
写真:井伊 たびを
地図を見る天安2年(858年)、開祖である慈覚大師円仁が、堂宇建立の敷地を定めるに当たり、自ら所持していた仏具「独鈷(とっこ)」を投じたところ、浄地より“瀧泉”が湧出した。これを「独鈷の滝」と名づけた。その流れは、数十日間の炎天旱魃が続いても涸れることなく、“不動行者”の洗心浄魂の場として、今日に至るまで滔々と漲り落ちている。都内では大変珍しい名所である。
写真:井伊 たびを
地図を見る滝の傍らに、身代わりで滝に打たれてくださる「水かけ不動」が造立されている。水をかけることで、より清らかな心と身で、目黒不動尊に参詣できるように設えてある。合掌礼拝して、「独鈷の滝」の霊水をかけ、洗心浄魂して大慈大非の不動明王と、大願成就のご縁を結びたいものだ。
写真:井伊 たびを
地図を見る「目黒不動尊」の開基は、今から1200余年前の平安時代・大同3年(808年)とされる。15歳の慈覚大師が、師の広智阿闍梨に伴われて、故郷の下野国(栃木県)から比叡山の伝教大師・最澄のもとへ向かう途中、この地に立ち寄った。
その夜の夢中、面色青黒く、右手に降魔の剣を提げ、左手に縛の縄を持ち、恐ろしい形相をした「不動明王」が枕もとに現れた。夢覚めた後、その尊容を黙想し自ら像を彫刻して、安置したのが始まりとされている。その“ご尊像”は秘仏として、12年に一度、酉年にご開帳される。次回は、2029年の酉年である。
写真:井伊 たびを
地図を見る大本堂の左手奥に「愛染(あいぜん)明王」が、祀られている。愛染明王は一面六臂で他の明王と同じく忿怒相であり、頭には獅子の冠をかぶり、宝瓶の上に咲いた蓮の華の上に結跏趺坐(きっかふざ)で座り、後背に日輪を背負っている。とても怖い表情だが、“良縁成就”のご利益がある。
写真:井伊 たびを
地図を見る「愛染明王」は一切衆生を諸々の苦悩から救うために“愛染明王十二大願”なる広大な誓願を発している。そのなかに、「女性に善き愛を与えて良い縁を結び、結婚後は善根となる子供を授ける」や、「女性の出産の苦しみを和らげ、その子のために信心すれば、子供には福徳と愛嬌を授ける」というのがある。
写真:井伊 たびを
地図を見る愛染明王の傍らには、“お参りのしかた”が記されている。女性は、左側より時計回りに、男性は反時計回りに、心鎮めて回り明王に一礼すれば願いが叶う。
写真:井伊 たびを
地図を見る大本堂裏手の林の中に「大日如来像」が、屋根付きで鎮座している。まず、4メートル弱の高さに驚かされる。そもそも大日如来は、不動明王の本地仏(ほんじぶつ)であり、滞りなくお参りしておきたい。
写真:井伊 たびを
地図を見る「女坂」の石段途中に、“修験道(しゅげんどう)”の開祖 「役の行者(えんのぎょうじゃ)の銅造像がある。役の行者は、奈良時代の山岳修行者で、役小角(えんのおづの)とも呼ばれ、足腰健全のご利益がある。
寛永8年(1796年)、鋳工・太田駿河守藤原正義作で、頭巾を山高にかぶり、木の葉の肩衣をかけ、右手には錫杖(しゃくじょう)を、左手には巻子(かんす)を持っている。江戸時代の銅造彫刻として優れた芸術品であり、目黒区指定文化財である。
住所:東京都目黒区下目黒3丁目20番地26号
電話番号:03-3712-7549
アクセス:JR山手線/目黒駅 より 徒歩20分
東急目黒線/不動前駅 より 徒歩15分
2017年11月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2025/2/17更新)
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