写真:菊池 模糊
地図を見るヴォルビリスは、古代ローマ時代に属州マウレタニア西部の首都として栄えた都市で、ローマ帝国の西端地域の中心地として、全盛期には3万人近くの人が住んでいました。公共広場(フォーラム)の周りにバシリカ、浴場、カピトル神殿などが設けられ、凱旋門から大通りの両側には富裕層の豪邸が立ち並んでいました。この周辺は小麦やオリーブオイルなどを産出する肥沃な地で、それらをローマへ出荷し経済的にも繁栄したようです。
ローマ帝国の衰退やイスラム教の普及により、廃墟と化しましたが、1915年にフランスの調査団により発掘が開始され、世に知られるようになりました。そして、1997年にヴォルビリスの古代都市として世界文化遺産に登録されたのです。
写真:菊池 模糊
地図を見るヴォルビリス遺跡に入場すると大きなアーチが迎えてくれます。その階段を上り、丘の上に並ぶ邸宅跡から見学します。
ヴォルビリスの邸宅の多くは、そこに描かれているモザイクの題材から名付けられています。モザイクのある中庭(パティオ)を囲む邸宅の構造になっており、当時の人々の豊かな生活の様子を知ることができます。この中庭を中心とした家屋構造は、モロッコの都市家屋建築に大きな影響を与え、後にフェズの迷宮都市に至る先駆けとなったのです。
写真:菊池 模糊
地図を見る大通りへ出る手前に通称ヴィーナスの家と言われる邸宅跡があります。ここには、綺麗なモザイクがあり、ダイアナ(アルテミス)がニンフと水浴しているところを、人間の狩人アクタエオンに見られてしまうという逸話が描かれています。さらに、ヘラクレスの子ヒラスがニンフたちに訓練を受けている場面のモザイクもあります。
写真:菊池 模糊
地図を見るヴィーナスの家の横から少し上ると、大きな道へ出ます。これがメインストリートのデクマヌス・マクシムス通り。中央の敷石の下には下水道が完備されていました。写真はこの大通りの北東方面を撮影したもので、遠く一番奥に小さく見えるアーチが北出口であるタンジェ門です。
デクマヌス・マクシムス通りの両側には豪邸が立ち並んでおり、中庭には多くの見事なモザイクが残されていますので、ゆっくり左右の遺跡を見学しながら、南西側に下っていきましょう。
写真:菊池 模糊
地図を見るさらに進むと、ディオニソスと四季の家があります。ここには、ディオニソス(バッカス)とニンフのモザイクがあり、保存状態の良さに驚かされます。
写真:菊池 模糊
地図を見る丸い枠の中に春夏秋冬の四季の擬人像があります。写真の「秋の像」が頭につけているのはブドウの葉で、アップに撮影してみると、さらにモザイクの美しさが分かります。
写真:菊池 模糊
地図を見るヘラクレス功業の家も有名です。ゼウスの子ヘラクレスは、アポローンの神託により十二の功業を行いましたが、その様子がメダリオン(楕円枠)にモザイクで残されています。写真はメデューサの顔のモザイクです。
写真:菊池 模糊
地図を見るいろいろなモザイクが見られますが、動物たちのモザイクも見事なもの。写真は豹(パンサー)を描いたもので、その他にもライオンや虎、さらにはイルカなど海の動物のものもあります。
写真:菊池 模糊
地図を見るデクマヌス・マクシムス通りの南西端にそびえるのがカラカラ帝の凱旋門です(写真中央左)。カラカラ帝は暴君の一人とされますが、217年には、全属州民にローマ市民権を与え属州民税も廃止しました(アントニウス勅令)。ヴォルビリスのようなローマ属州にとっては、願ってもない吉報で、カラカラ帝への感謝の気持ちからこの凱旋門を造ったのです。
ここは、映画『パットン大戦車軍団』(1970年)で、パットン将軍(ジョージ・C・スコット)が立つ遺跡の背景に使われた場所でもあります。
写真:菊池 模糊
地図を見るカラカラ帝の凱旋門から南に折れると、公共施設の区域があります。まずは大きな空間であるフォーラム広場です。このあたりは、市民のオープンな社交場でした。
写真:菊池 模糊
地図を見るバシリカは、公的な会議が行われ、裁判所や取引所・市場としても使われたようです。キリスト教の普及後は、教会施設となりました。
写真:菊池 模糊
地図を見る次に、ローマ神ゼウスを祀る神殿であるキャピトルがあります。柱は修復されていますが、当時の雰囲気を知ることが出来ます。今は、野生のコウノトリの格好の営巣場となっており、人と自然の共生のあるべき姿に感動します。
南へ下っていくと、ガリエヌス帝の浴場跡があり、さらに出口近くにはオリーブ圧搾工房跡もありますので、忘れずに見学しましょう。
写真:菊池 模糊
地図を見るヴォルビリス見学の最後は、遺跡周辺の地形を見てみましよう。ここは、平らな基盤に設えられた都ではなく、自然の地形を利用して造られた都です。丘の上の傾斜地に街路がつくられ、西側から南にかけての低地に川が流れ農地が広がっています。見ようによっては、ローマと立地条件が似ています。ローマ人がここをアフリカ西部の中心地として建設した情熱が感じ取れるようです。
写真:菊池 模糊
地図を見るヴォルビリスの北東側には、聖都ムーレイ・イドリスが遠望できます(写真参照)。約3.5kmという近さです。せっかくここまで来たら、ムーレイ・イドリスの町にも行ってみましょう。
写真:菊池 模糊
地図を見るムーレイ・イドリスは、モロッコ独自の最初のイスラム王朝を興したイドリス1世の埋葬されている聖なる町です。イドリス1世は、預言者ムハンマドの娘ファティマとその夫であるアリ(第4代カリフ)の子孫で、モロッコでは非常に崇敬されており、ムーレイ・イドリスには多くの巡礼者が訪れます。イスラム教徒以外は、霊廟やモスクには入れませんが、町の雰囲気を見学することはできます。
やがて、イドリス1世の子(イドリス2世)が近郊のフェズに都を建設し、イドリス朝が興隆しました。その後も新都メクネスが近傍につくられ、この一帯は、モロッコの文明の中心の地となっていったのです。
モロッコでは、メディナ(旧市街)の複雑な迷路のような都市を歩くことが多く、緊張感を強いられ疲れますが、ここヴォルビリスは、緑のある広々とした風景で、ほっと癒されます。40ヘクタールもある大遺跡をのんびりと歩いて、奇跡のように残った約2000年前のモザイクの美しさを心ゆくまで鑑賞してください。
また、ヴォルビリス出土品の中で特に重要なものは、現在はモロッコの首都ラバトの考古学博物館に保管されていますので、余裕のある方は見学してください。
住所: Route de Volubilis, Fertassa
アクセス:公共交通機関なし、メクネス市よりグランタクシーを利用
2017年11月現在の情報です。最新の情報は公式サイトでご確認ください。
この記事の関連MEMO
トラベルjpで250社の旅行をまとめて比較!
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索
(2025/2/10更新)
- 広告 -