まるで“王家の丘”!古墳女子もコーフン 福岡・岩戸山古墳

まるで“王家の丘”!古墳女子もコーフン 福岡・岩戸山古墳

更新日:2018/04/13 11:33

万葉 りえのプロフィール写真 万葉 りえ レトロ建築探訪家、地域の魅力伝え人
昨今では古墳型グッズを集める「古墳女子」という言葉も当たり前になりました。ただ、そこまで古墳にハマりきれないという女子にも、ぜひ訪ねて欲しい初心者にもお勧めの古墳があります。それが福岡県の八女にある岩戸山古墳。
なぜならこの地はヤマト王権にも負けない古墳の宝庫。さらに、資料館だけでなく古墳に登ったり石室内に入れたりという環境も整い、特色ある古墳が待っているのです。さあ、古代史大事件の英雄の元へ!

古墳人気、沸騰中

古墳人気、沸騰中

写真:万葉 りえ

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古墳フェスに一日に二万人も集まったと新聞で報じられるほどの古墳人気。古墳をかたどった様々な製品まで出ているのを知ると、その人気の高さもお分かりいただけるでしょう。各地で古代史フェスが行われていますが、2017年の秋に福岡県の博多で開かれたフェスも第三回となり、ますます盛況になってきています。

古墳って近畿地方だけにあるものじゃないの・・?と思う方も多いかもしれません。しかし、九州も古墳の宝庫。ご紹介する八女丘陵の地だけでも、前方後円墳だけで12基、そして円墳は300基以上ありまさに“王家の丘”。しかも個性的な古墳がたくさんあるのです!

「新羅」から届いた金のイヤリング

「新羅」から届いた金のイヤリング

写真:万葉 りえ

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さらにここでは、眺めるだけでなく、その場に立つことができるのも大きな魅力です。

同時期のヤマト王権が作った継体天皇の墳墓は200メートルありますが、それと遜色ない大きさの「岩戸山古墳」。まずは、岩戸山古墳の横にある八女市岩戸山歴史文化交流館「いわいの郷」へ行きましょう。展示室には古墳に残された貴重なものが納められ、わかりやすい映像でこの地の歴史を案内してくれます。

「新羅」から届いた金のイヤリング

写真:万葉 りえ

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北部九州の豪族は弥生時代から朝鮮半島の国々と独自につながっていました。大豪族の磐井も八女地方を治め、新羅という国から最先端の文物を取り入れて交流していたのです。

やがて朝鮮半島を統一していく新羅は、金の装飾品で有名な国です。ですからここには、韓国の歴史ドラマで出てくるようなきらびやかな装飾品も伝わっていました。ほかにも人だけでなく動物をかたどった巨大な石像などが並べられ、迫力ある展示がされています。ここをご覧になれば、磐井が当時としてはどれだけ進んだ文化を取り入れていたかがよくわかるようになっています。

歴史は勝者が作る

歴史は勝者が作る

写真:万葉 りえ

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展示室の後は、実際の古墳へ行ってみましょう。
まず現れるのが、一辺が43メートルもある大きな正方形の広場です。こんな場所を持った古墳は全国でもここだけ!実はここ、今の言葉で言うと裁判所になります。大陸の文化に詳しかった磐井は、そんな制度も取り入れていたのです。その法廷部分とつながる形で磐井が生前に築いていたのが、この巨大な岩戸山古墳です。

歴史は勝者が作る

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当時の日本はまだ統一国家でなく、ゆるやかな上下関係しかありませんでした。ヤマト王権が墳墓に埴輪を並べたのに対し、磐井一族は簡単には壊れない石人石馬を並べていました。それはヤマト王権とは異なることを表す為ともといわれています。

しかし進んだ造船技術や操船技術を持っていなかった畿内のヤマト王権は、朝鮮半島(百済)へ進出するために北部九州の豪族達に人や船、食料の供給を要求し始めます。その圧力に地元は荒廃し、募っていく人々の不満。そして、自分たちの自治を守るために、火の国(現在の熊本県)、豊の国(大分県)とともに立ち上がったのが磐井でした。

どこでもそうですが、歴史書を編纂し後世に残すのは勝者です。ですからこの古代史の大事件も「磐井の乱」と表現されてきました。他にもヤマト王権から統一されていく過程で隠された物語が、日本各地にいくつもあったことでしょう。

頂上や石室内、その場に立って古代のロマンを感じよう

頂上や石室内、その場に立って古代のロマンを感じよう

写真:万葉 りえ

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岩戸山古墳は周りをぐるっと歩いて回れるだけでなく、階段を使って頂上に上ることができます。また、すぐ西側にある古墳(4号墳)や、動かせないほどの巨石で作られた童男山(どうなんざん)古墳、そして個性的な石人が守っている石人山古墳など石室が見学できる古墳もあります。

また、九州は色鮮やかな装飾古墳という文化も生んだ地です。約200年にわたる古代史のロマンがたくさん詰まった磐井一族の王家の丘。ぜひ、その場に立って1500年前の空気を感じてください。

頂上や石室内、その場に立って古代のロマンを感じよう

写真:万葉 りえ

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最後に磐井一族のその後を紹介しておきましょう。

ヤマト王権側が残した「日本書紀」等には、戦の後に磐井は殺されてしまったと記されています。しかし地元に伝わる「風土記」には新羅からの帰化人が多い地域に逃れたという記述が残り、信ぴょう性の高い内容が含まれているようです。
磐井の息子たちは、日本海側に持っていた外交拠点をヤマト王権に差し出し罪を許されました。戦後も磐井の後を継いでこの一帯を治めていったようです。

もしかしたら外交拠点を奪うためにヤマト王権が仕組んだのかも・・・なーんて、この地に立てば想像が尽きないことでしょう。
「乱」といわれた磐井の挙兵ですが、現在はヤマト王権から独自性を守ろうとしたという見方から「磐井の戦」とも言われるようになっています。

八女市岩戸山歴史文化交流館の基本情報

住所:福岡県八女市吉田1562-1
電話番号:0943-24-3200
アクセス1:西鉄久留米より八女行バス「福島高校前」下車
アクセス2:広川インターから国道3号経由で約10分

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