写真:村井 マヤ
地図を見る鹿児島中央駅まで九州新幹線で到着したら、まずは駅前からナポリ通へ。駅前にそびえる「若き薩摩の群像」を仰ぎ見ましょう!
薩摩藩の青年藩士17人、薩摩藩からイギリスへ留学した若者たちです。ここにいるのは17人ですが実際にイギリスに渡ったのは、留学生15名、使節3名、通訳1名で全部で19名。このうち2名は他藩の青年でした。志を抱いて旅立った若者たちへ思いを馳せましょう。
写真:村井 マヤ
地図を見る鹿児島中央駅前の「若き薩摩の群像」からナポリ通りを歩いて4分くらいで「西郷南洲翁宅地跡」です。南洲とは、西郷隆盛の号です。この場所で西郷隆盛が暮らし始めたのは、29歳ごろ。ここでは、弟たちの結婚式が行われ、妹を嫁がせ、自分自身も妻イトと結ばれています(1865年、39才頃)。西郷隆盛にとっては、公私ともに忙しい時代を過ごしました。
写真:村井 マヤ
地図を見る鹿児島市を流れる川・甲突川沿い南洲橋から高麗橋にいたるまでの河岸には、写真のような「オープンテラス」が広がります。対岸には、歴史ロード“維新ふるさとの道”が広がっています。川沿いののどかな風景や史跡巡りもできる散策ロードをのんびり歩いてみませんか?
甲突川沿い、高麗橋を渡らずにしばらく歩くと「大久保利通誕生地」(写真)があります。その手前には「井上良馨誕生地」も。西郷隆盛とともに明治維新を成し遂げた大久保利通の誕生地など実際に歩いてみると実感がわいて楽しいもの。偉人たちが生きた時とは、今はすっかり景色は違うでしょうが、想像しながら歩くのは楽しいですよ!
写真:村井 マヤ
地図を見る高麗橋を渡りしばらく歩くと見えてくるのは「鹿児島中央高校」です。実はこの周辺にも沢山の名所が、時間のない方は「東郷平八郎誕生地」や「大山巌誕生地」だけでも見てみましょう。写真は、かのバルチック艦隊を破り「東洋のネルソン」と呼ばれた東郷平八郎元帥の誕生地です。
写真:村井 マヤ
地図を見る「ナポレオン以来の戦略家」と呼ばれ、下加治屋郷中の元気坊として育った大山巌は、天保13(1842)年に生まれました。日本陸軍を創設し、フランス留学後はその近代化に力を注ぎました。
日清・日露の両戦争の活躍によって元帥公爵になりました。豪傑なイメージですが、ハイカラな面もあり、その住まいもさながら西洋のお城のようだったとか。後妻は「鹿鳴館の花」と呼ばれた大山捨松です。捨松との結婚いたるエピソードなどから、大山巌の人間としての魅力も垣間見られます。ちなみに西郷隆盛とは従兄弟の関係です。
写真:村井 マヤ
地図を見る西郷隆盛は、文政10(1827)年に、薩摩藩の下級藩士の家に生まれました。島津斉彬が藩主になるとその才を認められ、未曽有の出世をし、活躍します。斉彬の死後は、2度の遠島の憂き目にあいますが、元治元(1864)年召還され、禁門の変で長州藩を破りました。江戸城無血開城なども成し遂げたことは有名ですね。
波乱に満ちた生涯を終えた西郷隆盛はこの地で生を受けたのです。今や公園になり市民の憩いの場所となっている誕生地で、西郷隆盛に思いを馳せてみませんか?
写真:村井 マヤ
地図を見る甲突川沿いに広がる歴史散策スポットの入口。なかなか趣がある門も建っていますね。薩摩の偉人を輩出した加治屋町周辺を、歴史を感じながら歩ける素敵な道ですよ。
写真:村井 マヤ
地図を見る写真は、歴史ロード“維新ふるさとの道”にある「いろは歌の広場」です。このいろは歌は、島津家中興の祖・島津忠良公が、人の道、生き方、人の上に立つ者の心得などを分かりやすく歌の形で広めるため、天文14(1545)年に全47首作成したもの。
島津忠良公は「日新公」と呼ばれていたので、このいろは歌は「日新公いろは歌」と呼ばれています。薩摩藩の独特の教育方針などは有名ですが、かるた歌など親しみやすい方法を用いるなんて、創意工夫を感じさせますよね。
写真:村井 マヤ
地図を見る歴史ロード“維新ふるさとの道”には、西郷隆盛や大久保利通ら下級武士たちの生家の住居形態「二つ家」を再現しています。間取り図など見てもそんなに広くありませんが、下級武士のつつましい暮らしぶりが偲ばれます。
写真:村井 マヤ
地図を見る甲突川沿い、加治屋町周辺には維新の偉人たちの生家などが密集しています。とくに、鹿児島中央高校の周囲には、至る所に石碑などがあるので、注意して散策してみてください。
写真は、村田新八の誕生地。村田新八(1836-1877)は、西郷隆盛らが起こした西南の役で、薩軍の二番大隊長として奮戦。城山最後の日には、西郷隆盛の死を見とどけて、自刃しその生涯を終えました。
村田新八は、明治4年に岩倉具視一行と外遊し、明治7年に帰国。将来を期待されましたが、征韓論で敗れた西郷の後を追って、鹿児島に戻って私学校で教鞭をとっていました。西郷隆盛を兄として敬っていたといいますから、その最期はなんとも切ないですよね。
写真:村井 マヤ
地図を見る日本の近代化に尽力した大久保利通の功績を讃え制作された銅像です。歴史ロード“維新ふるさとの道”の高見橋の傍らにありますので、高麗橋から高見橋方面に歴史ロードを歩いていけば自ずと見えてきますよ。
大久保は西郷隆盛らと明治維新を成し遂げ、西郷隆盛、木戸孝允とともに「維新の三傑」と呼ばれました。しかし、西南戦争後の明治11(1878)年に暗殺され、その生涯をとじました。ちなみに利通の次男の牧野伸顕(まきののぶあき)の娘婿は、吉田茂です。
大久保利通は、私財を投じて国のために働いた人でした。そのため、亡くなった時は借金の方が多かったといいます。西郷隆盛と大久保利通は、最終的には別の道を歩みましたが、国を思う熱い志は同じだったのではないでしょうか・・。
写真:村井 マヤ
地図を見る歴史ロード“維新ふるさとの道”のほぼ中央くらいに位置している「維新ふるさと館」は、お時間があれば立ち寄ってほしいスポットです。鹿児島の歴史を分かりやすく学べますし、観光スポットの情報取集にもおススメです。とくに、維新体感ホールではロボットなどを駆使したドラマを観覧できます。
<基本情報/維新ふるさと館>
住所:鹿児島市加治屋町23-1
電話番号:099-239-7700
アクセス:JR鹿児島中央駅から徒歩8分、市電「高見橋」下車徒歩で3分、カゴシマシティビュー「維新ふるさと館前」下車徒歩すぐ。
今回ご紹介の史跡巡りは、JR鹿児島中央駅から徒歩で散策できるのが魅力です。各スポットを散策しながら、維新の息吹を感じられます。入場料が必要な施設は、「維新ふるさと館」のみでリーズナブルな散策も魅力です。ぜひ、歩いて感じる旅を楽しんでくださいね。
2018年1月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2024/3/19更新)
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