写真:雲本 らて
地図を見る明治時代に活躍し、小説家、歌人として有名だった樋口一葉は、24年間の短い生涯のうちの3年ほどを、今回紹介する東京・本郷の旧居跡地で暮らしています。現地はかなりわかりにくい路地裏の場所にありますが、最寄り駅でいえば都営地下鉄春日駅から徒歩3分か4分くらいでたどり着ける場所にあります。
写真:雲本 らて
地図を見る東京・本郷界隈は関東大震災や東京大空襲を免れた建物が多く残っています。樋口一葉旧居については当時のまま残されているわけではありませんが、旧居跡界隈はかつての路地風景がそのまま残っています。以前は旧居跡前に由来などが書かれた案内看板もあったのですが、現在はありません。ただ樋口一葉も使ったという井戸は当時のまま残っています。
写真:雲本 らて
地図を見る樋口一葉旧居跡の西側(徒歩でいえば2、3分)の場所に「鐙(あぶみ)坂」はあります。江戸時代から存在する坂道で、現在も車1台がなんとか通れる道幅の狭い道ながら、急坂のためかなぜかその狭さを感じない風景的にも興味深い坂道です。またそのためか「2011年文の京都市景観賞」にも選ばれています。坂名の由来は坂の途中に鎧の製作者の子孫が住んでいたとか、坂の形が鎧に似ているからなど諸説あります。
写真:雲本 らて
地図を見る鐙坂の坂上あたりには、言語学者の金田一京助・晴彦旧居跡があります。現地には案内看板もあります。なお現在の鐙坂の西側あたりの場所(写真でいえば左側のエリア)は、高台になっておりかつては右京山と呼ばれていました。
またひと昔前には、この高台の地に集合住宅と戸建が混在する東京市営真砂住宅地がつくられ、当時は同潤会と並ぶおしゃれな住宅として有名でした。現在その名残りが確認できる場所は現存する数戸と清和公園のみですが、関東大震災後に住宅供給を行なう目的で設立された同潤会にも大きく影響を与えた市営住宅がこの地にあったことは記憶に留めておくべきだと思います。
写真:雲本 らて
地図を見る鐙坂の途中には、樋口一葉旧居跡とつながっている路地に入れる場所があります。ここを通ると鐙坂と旧居跡は徒歩1分ほどで行き来できます。鐙坂の坂上は高台になっていたこともあり、樋口一葉が住んでいた時期は周りも低層住宅ばかりで景色も良く、まさに気晴らし散歩にはうってつけの場所だったと思われます。そういう意味では、樋口一葉ゆかりの地といえば近くの菊坂が有名ですが、実は鐙坂も一葉ゆかりの坂道であり、そんな場所だったからこそ、のちに金田一京助がこの地に居を構えたのかもしれません。
今回は、文京区本郷界隈にある樋口一葉旧居跡と鐙坂について取り上げてみました。樋口一葉の聖地としての旧居跡ということで、ファンにはたまらない場所かもしれません。ただ本文でもふれたとおり、以前は案内板が立っていたのですが、現在は見学者が多いためか撤去されています。ですので旧居跡は路地裏のひっそりとした場所にありますので見学する際は周辺の住民の方々に最大限の注意をはらっていただければ幸いです。
<基本情報>
樋口一葉旧居跡
所在地:東京都文京区本郷4丁目
アクセス:都営地下鉄・春日駅より徒歩4分
鐙坂
所在地:東京都文京区本郷4丁目
アクセス:都営地下鉄・春日駅より徒歩3分
2017年12月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
この記事を書いたナビゲーター
雲本 らて
ブログ「東京坂道さんぽ」にて、坂道の魅力を随時発信しながら、坂道探検家としてカメラ片手に全国の坂道の調査を続けています。坂道に加えて、大学時代は建築を学んだこともあり、建築物や街並み自体にも興味があり…
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