栄華の極みと負の遺産。チャールストン歴史の扉を開く博物館3選

栄華の極みと負の遺産。チャールストン歴史の扉を開く博物館3選

更新日:2017/12/20 10:06

いしい ひいのプロフィール写真 いしい ひい 元旅行会社勤務、アメリカ旅行ライター、フードコーディネーター
ホスピタリティに溢れ、アメリカのベストシティに選ばれたこともあるチャールストンは、街全体が博物館のようなレトロな雰囲気が魅力!18世紀にアメリカ南部の貿易の中心地として栄え、その歴史ある街並みが多くの観光客を惹きつけています。今回は、栄華の極みを象徴する観光スポット、その影にある複雑な歴史を語る場所、そしてチャールストンらしいアートを鑑賞できる博物館をご紹介しましょう。

豪商が優雅に暮らした ナサニエル・ラッセル邸

豪商が優雅に暮らした ナサニエル・ラッセル邸

写真:いしい ひい

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ナサニエル・ラッセル邸(Nathaniel Russell House Museum)は、チャールストンの裕福な商人ナサニエル・ラッセル氏が1808年に建築した邸宅。赤レンガに漆喰の装飾がとっても優雅ですね!
家の平均価格が262ドルだった時代に、なんと80,000ドルもの巨費をかけて造られました。最も重要な新古典主義建築のひとつとして国定歴史建造物に指定され、現在は家全体が博物館となっています。
建物の外観からインテリアの細部までも手入れが行き届き、チャールストンで栄華を極めた人々の暮らしを今に伝えています。

美しいお庭を通り抜けて邸宅の中に入ると、小さなビジターセンターがあります。お宅を拝見するには、ここでガイド・ツアーに申し込みましょう!

豪商が優雅に暮らした ナサニエル・ラッセル邸

写真:いしい ひい

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ユニークな円形広間、ハープやピアノが並ぶ音楽部屋、美しいティーセットのあるリビングルームなど、往時のゴージャスな暮らしが眼に浮かぶようです。24金の金箔が使われた内装から壁の繊細なデザインまで、どの部屋も美しく保存されています。

暑い季節に風通しを良くするために窓を大きくし、さらに安全対策としてガラス窓を覆う開閉ドアを取り付けるなど、美的なだけでなく実用的にも優れたお宅であることが分かります。

豪商が優雅に暮らした ナサニエル・ラッセル邸

写真:いしい ひい

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そして特筆すべきは、3階までの吹き抜けに造られた、支柱が全くないらせん階段。造られたのが奇跡と言われたほど優雅なラインを描いています。こんなお宅に住めたら幸せですね!

1階の展示コーナーには、中国の置物や銀食器なども置かれています。
ナサニエル・ラッセル氏は貿易商だったので、一般人には手に入らないような貴重なものを数多く収集していました。そして他の多くのチャールストンの商人と同様、ラッセル氏も奴隷の売買に携わり、莫大な富を得ていました。
当時この邸宅には18人の黒人奴隷が働いていてました。展示コーナーには、多くの黒人がチャールストンの港に連れてこられた歴史も語られており、富める人たちの影に悲惨な歴史があったことを考えさせられます。

<Nathaniel Russell House Museumの基本情報>
住所:51 Meeting Street, Charleston SC
電話:+1-843-724-8481
営業時間:10:00〜17:00(10:30から30分おきにツアーが実施されています)

19世紀、奴隷の売買が行われた市場

19世紀、奴隷の売買が行われた市場

写真:いしい ひい

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チャールストンの負の歴史遺産とも言うべき場所が、奴隷市場博物館(Old Slave Mart Museum)。ここはかつて奴隷の売買が行われていたRyan’s Martという市場でした。
この建物の前に立つと、タイムスリップしたような気分になるかもしれません。周囲の景観は石畳の通りなど趣があるというのに、この建物の正面は薄汚れたままで、市場であったことを示すMartという語もそのまま残されています。アーチ型の鉄のゲートなど、できるだけ当時のままに復元されているのです。

市会議員であったトーマス・ライアン氏がRyan’s Martを造ったのは、1856年。それまで奴隷の売買を屋外で行っていたのを市が禁止したため、このような屋内市場を造ったのです。
ここは、プランテーション農家など裕福な白人が黒人の労働者を求めて訪れる、いわゆるショールーム。黒人たちは、競売にかけられるまでは家族一緒にいることができましたが、その後の運命は、買い手である白人の手に委ねられることになりました。

黒人奴隷はチャールストン市内で労役に携わったり、郊外のプランテーションで農業に従事したりしました。1820年のデータでは、チャールストンの人口23,000人のうち、黒人の人口が過半数を占めていたそうです。

19世紀、奴隷の売買が行われた市場

写真:いしい ひい

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博物館の中は、黒人が運ばれた船室の状況がいかに過酷であったかを示す写真や、公衆の面前で行われた人身売買の様子、一人当たりいくらで売られたかを示す展示などがあり、胸が痛くなります。
多くの観光客とともにこの場にいると、今もなおチャールストンに負の歴史が重くのしかかっているような気持ちになることでしょう。

<Old Slave Mart Museumの基本情報>
住所:6 Chalmers Street, Charleston SC
電話:+1-843-958-6467
営業時間:月〜土 9:00〜17:00

ギブズ美術館でチャールストンならではのアートを鑑賞

ギブズ美術館でチャールストンならではのアートを鑑賞

写真:いしい ひい

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ギブズ美術館(Gibbes Museum of Art)は、地元サウスカロライナ州の風景画や肖像画などを中心に、アメリカ絵画のコレクションが自慢の美術館。衣装だんすやテーブルなど、18〜19世紀の美しい家具も展示されています。

1915年頃から1940年代にかけて、多くの画家、詩人や劇作家がチャールストンの豊かな歴史や自由奔放な文化に惹かれて移り住むようになりました。独創的な作品が生まれ、貴重な歴史が保存され、チャールストン・ルネッサンスと言われる時代が繁栄しました。

春信や広重の浮世絵も展示されており、日本のアートのエッセンスを吸収しようとしていたアーティストたちもいたことが分かります。

ギブズ美術館でチャールストンならではのアートを鑑賞

写真:いしい ひい

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2階にあるメアリー・ジャクソン氏の展示も必見です。チャールストン在住のジャクソン氏は1945年生まれ、バスケット・アートの第一人者。写真左側のNever Againという作品は、3年もの歳月をかけて制作されたそうです。

バスケット作りの起源は、西アフリカ。アメリカに奴隷として連れてこられた黒人たちは、プランテーション農家で労働しながら、身近にあるスィートグラスやヤシの葉を使って、多くのバスケットを編みました。チャールストン近郊では米作が盛んだったので、米を収穫したり篩いにかけたり運んだりする際に、さまざまな形のバスケットが役に立ったのです。

現在もバスケット作りは伝承され、伝統的な手法を守りながらも、独創的な素材を使用したり、凝ったデザインのアート作品も生まれています。
メアリー・ジャクソン氏の先祖も、はるか昔にアメリカに奴隷船で渡ってきた人々。自身のルーツであるアフリカのバスケット・アートを誇りに思い、芸術の域に高めているのです。

<Gibbes Museum of Artの基本情報>
住所:135 Meeting Street, Charleston SC 29401
電話:+1-843-722-2706
営業時間:火〜日 10:00〜17:00

記憶に残るチャールストン歴史旅

18〜19世紀にかけて綿花や米の輸出が盛んであったチャールストンには、多くの裕福な商人が住み、贅沢な邸宅が建てられ、芸術も花開きました。それとともに奴隷の歴史が今なお影を落としていることも否定できません。現在のチャールストンはおもてなしの心にあふれ、フレンドリーで快適な観光都市ですが、このような負の歴史があったことも記憶に残る旅になることでしょう。

2017年12月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

【取材協力:チャールストン観光局】

掲載内容は執筆時点のものです。 2017/11/14 訪問

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