写真:乾口 達司
地図を見る熊山に眠る歴史遺産といえば、第一に挙げられるのが、国の史跡名勝記念物に指定されている熊山遺跡です。ご覧のように、一辺が約12メートルから成る基底部の上に3段の基壇を積み重ねた石積遺構で、内部の竪穴石室には、かつて等身大の陶製筒型容器や奈良三彩の小壺などがおさめられていました。現在では奈良時代前期に築かれた仏塔であると考えられていますが、国内に残る石積遺構としては、奈良県奈良市の頭塔や大阪府堺市の土塔くらいしか類例がなく、きわめて高い稀少価値を有しています。
ちなみに、熊山の山中には、南山崖石積遺構をはじめ、現在、確認されているだけでも32箇所の石積遺構が見つかっています。熊山遺跡をふくめて、これらがどのような目的で築かれたのか。興味は尽きませんね。
写真:乾口 達司
地図を見る熊山遺跡の周辺は、室町時代まで霊山寺と呼ばれる古代寺院が存在していました。その名残りは、遺跡の周辺に点在する石塔や石垣などからうかがうことができます。なかでも、注目したいのは、写真の宝篋印塔。高さは1.1メートルで、正応5年(1292)、顕空の供養塔として建立されたものです。作られた年代がはっきりしている宝篋印塔としては、岡山県最古!現在、赤磐市指定の文化財に登録されています。
写真:乾口 達司
地図を見る熊山は、中世、戦乱の舞台ともなりました。その中心にいたのが、忠臣の鑑とたたえられる、南朝方の武将・児島高徳。『太平記』巻16「児嶋三郎熊山挙旗事付船坂合戦事」によると「児嶋三郎」こと高徳は南朝方の武将として新田義貞と連携し、九州から東上して来る足利尊氏の軍勢を迎え撃ちます。その際、兵を挙げた拠点が、ここ、熊山なのです。熊山神社の境内には、高徳が軍旗を立て掛け、腰を下ろしたとされる旗立岩・腰掛岩が残されています。熊山が、軍事上の要衝として、いかに重要視されていたか、このエピソードからも読み取れるでしょう。
写真:乾口 達司
地図を見る熊山神社と熊山遺跡とを結ぶ山道脇には、「熊山の天然杉」と呼ばれる2本の天然杉が並んでいます。赤磐市の天然記念物に指定されており、樹齢は700年から1000年ほど。その高さは何と38メートル!幹まわりも4.5メートルと巨大で、見るものを圧倒します。熊山遺跡や児島高徳の挙兵など、天然杉が熊山に残る数々の歴史を見続けてきたかと思うと、悠久のロマンを感じますね。
写真:乾口 達司
地図を見る熊山遺跡の近くには、南に向けて、展望台が設置されています。周囲の山々と比べてひときわ高い熊山からの眺望は素晴らしく、ご覧のように、岡山平野から瀬戸内海までを一望することができるんです!空気が澄んでいれば、四国の山々まで見渡すことができるそうですから、熊山には、天気のよい日に訪れましょう。
熊山が、歴史遺産をはじめ、さまざまな魅力を兼ね備えた山であることが、おわかりになったのではないでしょうか。最寄のJR熊山駅はキーステーションとなる岡山駅から電車で30分足らず。熊山駅からは1時間半もあれば山頂付近まで登れるため、他府県からのハイカーにとっても、利便性の高い山であるといえるでしょう。山歩きはどうも苦手……という方もご安心を。山頂付近まで車で登ることができるので、それぞれの関心対象や移動手段に応じて熊山を訪れ、その多面的な魅力を満喫してください。
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(2024/10/15更新)
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