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地図を見る幕末スポットが点在する京都御所周辺を、京都御苑の北西角に位置する交差点「烏丸今出川」を起点に歩くモデルコースをご紹介します。京都市営地下鉄烏丸線「今出川」駅を下車、地上に上がれば「烏丸今出川」の交差点です。
交差点に隣接して同志社大学の今出川キャンパスがあり、その敷地一帯は元は薩摩藩邸があった場所。ここは幕末でも重要なターニングポイントとなった「薩長同盟」が結ばれた地なのです。
ちなみに現在の同志社大学の土地は、明治維新の混乱の中で藩邸跡地を購入した山本覚馬から寄贈された土地。元会津藩士の山本覚馬は幕末に会津藩の公用方として活躍した人物で、その妹は八重。つまり、同志社大学の創始者新島襄と結婚した人物だったのです。
<薩摩藩邸跡の碑の基本情報>
住所:京都市上京区岡松町
アクセス:市営地下鉄「今出川」下車、徒歩すぐ
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地図を見る同志社大学に隣接する臨済宗相国寺派大本山「相国寺」は、室町時代の足利義満による創建。前述の薩摩藩邸はこの相国寺の境内にあったのです。
相国寺の境内には禁門の変により命を落とした長州藩士の墓所や、薩摩藩の戦死者の墓所があるなど幕末関連の史跡があります。
<相国寺の基本情報>
住所:京都市上京区今出川通烏丸東入相国寺門前町701
電話番号:075-231-0301
アクセス:烏丸今出川から徒歩5分
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地図を見る烏丸今出川から烏丸通を南へ歩くこと約8分、三つ目の門こそが有名な蛤御門です。幕末の動乱の中でもとりわけ大きな武力衝突だった「禁門の変」が別名「蛤御門の変」と呼ばれるのは京都御苑一帯が主戦場となり、その最大の激戦地が蛤御門付近だったためです。
写真:bow
地図を見る元々は新在家御門という名の開かずの門だったのですが、江戸時代の大火事によって門が初めて開かれることに。そのエピソードから「焼けて口開く蛤御門」という俗称がついたのです。
写真:bow
地図を見るその蛤御門には今も門柱などに弾痕らしき跡が残っており、激戦地だったことを物語っています。長州藩がこの戦いに敗れたことにより、幕末動乱は大きな転機を迎えることになるのです。
<蛤御門の基本情報>
住所:京都市上京区烏丸通下長者町上ル
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地図を見る蛤御門をくぐって京都御苑内へと足を進めていきましょう。すぐに京都御所の塀が見えてきます。ちょうど京都御所の南西角の部分に生えている大きな木は、かつてここにあった公家の名前から「清水谷家の椋の木」と呼ばれています。
「蛤御門の変」で長州藩屈指の豪傑、来島又兵衛がこの木の下で討ち死にしたといわれています。指揮官を失った長州藩はやがて総崩れとなっていくのです。
<清水谷家の椋の木の基本情報>
住所:京都市上京区京都御苑内(京都御所南西角)
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地図を見る次は「清水谷家の椋の木」から南へ約10分程歩き、堺町御門の方向を目指すと門に正対する位置に「鷹司邸跡碑」が立っています。蛤御門の変では長州勢が鷹司邸を拠点のひとつとして幕府方と戦ったのです。
戦況が不利となり久坂玄瑞は当主鷹司政通に天皇への弁明を嘆願したのですが、これは聞き入れられませんでした。絶望した久坂玄瑞は寺島忠三郎とともにここで自刃したのです。
<鷹司邸跡の基本情報>
住所:京都市上京区京都御苑内(堺町御門から北へすぐ)
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地図を見る鷹司邸からまっすぐ北へ500m歩けば、京都御所の南正面にある建礼門に突き当たります。この建礼門は「八月十八日の政変」で壬生浪士組が警護にあたり、その功績から後日「新撰組」の名を与えられました。つまりここは新撰組にとって初の晴れ舞台だったのです。
<建礼門の基本情報>
住所:京都市上京区京都御苑3
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地図を見る建礼門から京都御所の塀沿いを東へ歩き、東南角から北へ300mほど進んだ林の中に目立たないのですが碑が立っています。ここは「皇女和宮生誕の地」とされています。
急速に権威を失いつつあった幕府が朝廷と将軍家の公武合体を図るべく画策した政略結婚。皇室から武家に嫁ぐということは過去に例がなかったのですが、14代将軍徳川家茂に嫁いだ和宮親子内親王は、この地にあった橋本家で誕生したのです。
<皇女和宮生誕の地の碑の基本情報>
住所:京都市上京区京都御苑23
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地図を見る皇女和宮生誕の地から北へ200m歩けば京都御所の北東角。その角の部分は京都御所の鬼門の方角にあたり、塀の角を欠いた特徴的な姿をしています。ここには鬼門を守る日吉大社の猿がいることから「猿が辻」と呼ばれています。
この「猿が辻」は尊皇攘夷派の急先鋒だった公卿、姉小路公知が何者かに暗殺された「猿ヶ辻の変」の現場。ちょうど御所での攘夷をうながす会議を終えた帰り道に、この場で命を落としたのです。
<猿が辻の基本情報>
京都市上京区京都御苑内(京都御所北東角)
猿が辻から東に向かい、石薬師御門を出て京都御苑を後にします。そこから約100mほどの住宅街の中にひょっこり立っているのは「大久保利通旧邸碑」です。
薩摩藩士であり、西郷隆盛、木戸孝允と並ぶ維新三傑のひとり大久保利通。倒幕の為の工作をすすめていたため、約2年半ほどこの地で民家を隠れ家としていたのです。その後大久保利通は新政府の初代内務卿などを歴任し東京奠都、版籍奉還、廃藩置県等の改革を行ったのです。
<大久保利通旧邸碑の基本情報>
住所:京都市上京区扇町281
今回ご紹介したモデルコースは歩くだけなら約1時間といったところです。京都御所に行ったことのある方も、見落としているようなスポットがあるのではないでしょうか?
なお、今回紹介した京都御苑は明治に東京へと遷都された際に邸宅が取り除かれて公園へと整備されたもの。それ以前の江戸時代には宮家・公家屋敷が立ち並ぶ町だったのです。京都御苑内のスポットはぜひそんな町並みを想像しながら、幕末の志士達に思いを馳せつつ歩いてみてください。
2017年12月現在の情報です。
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