写真:松縄 正彦
地図を見る東京あきる野市に、創建685年(飛鳥時代後期)といわれる「妙見宮」があります。百済から渡来した豪族が、関東開発のために武蔵国に移住した際、大和斑鳩の法輪寺の妙見菩薩をここに祀ったと言われています。この宮の建物が昭和62年に復元されました。
写真の「七星殿」がその建物。建築材料は韓国原産のものを使い、韓国人職人の手によって百済様式で復元された建物です。屋根の縁部は曲線になっており、先端が少し跳ね上がり、軽快な軒になっています。
写真:松縄 正彦
地図を見る軒下を見て下さい。軒は二段になっていて、緑・青・赤・黄など多彩な色で垂木に彩色が施されています。模様も多彩でいかにも韓国風の建物です。日本の古い建築物、例えば七世紀に作られた法隆寺などでは、赤を中心にして一部の格子窓に緑が使われ、まさに“青丹よし・・”と歌われている通りですが、この七星殿はそれと対照的な色使いです。
また、定番の“龍”も軒下にいます。写真には写っていませんが、ひげも付けられ、ちょっとユーモラスな顔をしているので探してみて下さい。
写真:松縄 正彦
地図を見る写真のようにこの場所は眺望が非常によく、高尾山も見え、望遠鏡を使えば羽田空港も見えるといわれています。この周辺では最大の夜景スポットとしても有名です。
写真:松縄 正彦
地図を見る妙見宮の名前の由来である妙見とは、優れた視力を指しています。善悪や真理を見通すという意味があり、妙見信仰では、北極星を妙見菩薩として祀っています。これは菩薩信仰が道教の北極星信仰と習合したものといわれ、古代中国では道教の影響で北極星(北辰ともいわれる)を天帝としていました。
この七星殿は標高285mの山頂(妙見山)に、参道から“略北の方向”に建てられています。これも北極星と関係するのでしょう。剣術で有名な流派に“北辰一刀流”がありますが、これは北辰妙見菩薩を信奉した千葉氏の流れをくむ流派です。ちなみに千葉氏は妙見菩薩を一族の守り神としていたといわれます。
七星殿の側面と後方には壁面に画が多数描かれています。写真のように鶴に乗った仙人(もしくは道士か)の画や、道士が碁に興じている姿など。これら壁画の内容には意味があるはずですが詳細は不明です。ちなみに、この建物は韓国の職人の皆さんが4ヶ月という短い期間で作ったと伝わっています。
写真:松縄 正彦
地図を見る七星殿の裏手に回ると艶めかしい像があります。裏手に「妙見池」なる小さな池があるのですが、そこにおわす“踊り弁天”様です。仏法を守るのが弁天様です。その像もいろいろあり、通常は座っていますが、裸でしかも踊っている弁天様は珍しい存在です。
ここでは毎年5月3日に“妙見まつり”が行われ、韓国舞踊が披露されています。踊る弁天様と併せて楽しんで下さい。
写真:松縄 正彦
地図を見るこの妙見宮は東光院というお寺が管理されています。妙見宮の場所が少しわかりにくいかもしれませんが、東光院を目印に来られるといいでしょう。写真の東光院本堂の左手横にある細い路地(墓地と本堂の間の路地)を通り、本堂裏手の山(この山が妙見山です)を登った所に妙見宮の七星殿があります。
妙見宮への参道は春にツツジが咲いてきれいですが、参道入り口にも見所があります。なんと川柳とも関係があるのです。
写真:松縄 正彦
地図を見る参道入り口に写真の像が建てられています。この像は高木角恋坊(たかぎかくれんぼう)という方の像です。明治から昭和初期にかけて活躍された川柳(新川柳)家で、川柳の流派を超えた古老的存在といわれ、川柳に新たな気風を開いたとされています。
写真:松縄 正彦
地図を見る角恋坊のお墓は台東区の千住院にありますが、実は参道入り口のすぐ下にある墓にも分骨されて葬られています。角恋坊の「おもしろや草葉のかげにかくれん坊」という辞世の句のように、お墓は木々の間にひっそりと隠れて建てられています。句を知っているとなかなかいい場所にある事がわかります。
東光院にはこの句とともに「いずれ散る花なり芥子のほろほろと」という句碑もありますので、妙見宮へ登りがてら川柳も味わって下さい。
住所:東京都西多摩郡日の出町大字平井3963(東光院)
電話:042−597−3437(東光院)
アクセス
電車の場合:JR五日市線秋川駅出口から徒歩約33分、
武蔵増戸駅出口から徒歩約36分
車の場合:圏央道日の出ICあるいは411号線で菅瀬橋経由約5分。
(周辺はハイキングコースにもなっています。MEMO欄の地図も参考にして下さい)
2017年12月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2024/10/10更新)
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