弘前城下の様々な物語を今に伝える曹洞宗寺院群〜禅林街〜

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弘前城下の様々な物語を今に伝える曹洞宗寺院群〜禅林街〜

弘前城下の様々な物語を今に伝える曹洞宗寺院群〜禅林街〜

更新日:2018/02/28 15:57

小谷 結城のプロフィール写真 小谷 結城 国内旅行業務取扱管理者、京都検定2級、温泉ソムリエ、日本城郭検定2級、国内旅行地理検定2級

江戸期、城下町建設の際、寺町の配置には城下の防衛が意識されました。有事に寺々を砦として利用し、城下町防衛の前線基地とするためです。津軽・弘前城下で寺町と言えば禅林街。禅林街は弘前城の南の弘前台地の縁に沿って東西に構える寺町になります。城下建設当初から元和年間(1615〜1625)にかけて領内の曹洞宗寺院33カ寺を集めてここに並べ、土塁と空堀を廻らせました。今回はそんな禅林街をご紹介します。

茂森町桝形から実感される禅林街の機能

茂森町桝形から実感される禅林街の機能

写真:小谷 結城

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城から南へしばらく歩いてゆくと「禅林街入口」という信号があります。これを右に折れるとすぐに鉤状に屈曲します。こちらは茂森町桝形という名です。攻めてきた敵の見通しを悪くする防衛の工夫で桝形と呼び、ここを境に長勝寺構となるとされています。その証拠に2メートルほどの土を盛った防御施設・土塁(写真)も残っています。長勝寺構とは寺町・禅林街の軍事上の呼び名。長勝寺構はまさに弘前城の出城だったことを指します。

茂森町桝形から実感される禅林街の機能

写真:小谷 結城

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茂森町桝形を進むと、長勝寺構を構成する一要素である黒門が現れます。これが禅林街最奥部に鎮座する津軽家菩提寺・長勝寺の入口を示す総門(表門)なのですが、門の形式は城の桝形虎口一の門によく見られる高麗門。やはり長勝寺構の出城たる機能を再確認できます。門の内側にはちゃんと武者隠しになりうる空間が設けられており、寺町の軍事上意図が明確に読み取れるのが面白いです。

栄螺堂と禅林街の通り

栄螺堂と禅林街の通り

写真:小谷 結城

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門を入ってすぐ左手には臙脂色をした栄螺堂(正式名称・六角堂)が立ちます。建てられたのは天保10(1839)年。豪商の船の海難事故による死亡者や、津軽出身の太宰治曰く「津軽一円を凄惨な地獄と化しめ」た天明・天保の飢饉の数万に及ぶ死亡者を弔うために建立された八角の稜線を持つ堂宇になります。屋根を支える扇垂木が美しいです。

栄螺堂と禅林街の通り

写真:小谷 結城

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禅林街の通りを見てみましょう。江戸期に荘厳さを高めるため植えられた杉並木が奥まで続いており、太い幹の隙間から黒い板塀が覗かれます。板塀の奥で甍を並べる寺々の中には三門の装飾が優れた寺院や、本堂に超絶技巧の木彫が見られる寺院、実は貴重な歴史を持つ寺院もあり、秘めたるものの多さは33カ寺並ぶだけあります。この禅林街の突き当りに津軽屈指の名刹・長勝寺が控えます。

軍事拠点でもある長勝寺の偉大な三門

軍事拠点でもある長勝寺の偉大な三門

写真:小谷 結城

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さて、長勝寺です。大永6(1526)年に青森県鰺ヶ沢町に初代津軽藩主・津軽為信の曽祖父の菩提を弔うために建立したものを津軽藩菩提寺としてこの地に移してきました。この場所が築城地第一候補でしたが、あまりに要害堅固だったために幕府の許可が下りず、そのために城でなく寺町として長勝寺を核として軍事拠点化を図ったと伝わります。境内の前には偉大な三門が立ちはだかります。寛永6(1629)年、城下町建設を主導した2代・信枚による建立です。

構造は入母屋造りの栩(とち)葺き。入母屋破風を二軒繁垂木が支え、組物は詰組の三手先。華頭窓からは金剛力士像が通らんとする者に睨みを利かせています。木鼻には雲のような禅宗様木鼻が確認でき、上層廻り縁の高欄の親柱には蓮の葉を様式化したデザインが取り入れられた逆蓮柱も見られ、堂々と肘木が外側に向かって延びているところを察するに禅宗様を基調とした折衷様になっていることが判ります。

庫裏を経由して本堂へ

庫裏を経由して本堂へ

写真:小谷 結城

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本堂は三門の先にありますが、右手の庫裏を伝って本堂へ入る造りになっています。庫裏は切妻造りの茅葺き屋根。江戸期以前の簡素な建築です。本堂は、信枚が慶長16(1610)年に造営したものですが、この方丈型は曹洞宗の本堂としては最古級とのことです。本堂は入母屋造りで庫裏同様にシンプルな外観です。庫裏の様式に従ったと思われます。

宗教の狭間で

宗教の狭間で

写真:小谷 結城

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庫裏の向かいには蒼龍窟なる堂宇があります。小さな入母屋造りの中に、緻密な装飾の施された宝形造りの厨子が納まっています。中には3体の仏像。中央が阿弥陀如来像、左が薬師如来像、右が土台で薬師如来像と高さを合わせた十一面観音像です。本来、弘前から見て左が低い岩木山に三尊を見立ててわざと十一面観音像も少し低くしてあったそうです。

堂内上部に設置された壁掛け棚には十六羅漢像が左右8体ずつ、厨子より壁を隔てての左右には、五百羅漢像が雛壇状に据えられています。これらの仏像群はもともと岩木山神社で習合されていたもの。慶応4(1868)年に発せられた神仏判然令によって明治政府より神仏分離が命じられ、移ってきたり、遺棄されていたものを拾ってきたりしたものがここにあります。敬虔な信仰と明治政府の悪法による被害を感じられる空間です。

宗教の狭間で

写真:小谷 結城

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津軽家霊廟は蒼龍窟の奥。入って正面から左奥に向かって曹洞宗の様式で葬られた5棟の御霊屋が並びます。初代藩主・為信の正室の御霊屋、2代・信枚、信枚の正室、3代・信義、6代・信著(のぶあき)。ちなみに為信の御霊屋はまた別の場所にあります。遺言で御霊屋の葬られた6代を除き4代以降の藩主たちは御霊屋ではなく、基本的に五輪塔様式。家康のブレーンであり、天台宗の僧侶でもあった南光坊天海と長勝寺との間に縁があり、長勝寺が天台宗に宗旨替えすることになっため。

五輪塔が並ぶ墓所(写真)が霊廟群と向かい合うように設けられています。中央奥には4代(遺体は高照神社)、左に5代・7代・8代、右に9代・10代・11代・12代と並びます。こちらも荘厳な雰囲気です。

城下町建設、飢饉、神仏分離…、禅林街は弘前城下の様々な物語を今に伝えています。

禅林街・長勝寺の基本情報

住所:弘前市西茂森1-23-8
電話番号:0172-32-0813
アクセス:JR弘前駅より弘南バス「川原平・田代・大秋・相馬線」茂森町下車・徒歩10分
開館時間:9:00〜16:00
拝観料:300円(長勝寺庫裏・本堂・津軽家霊廟)

2018年1月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2017/08/28 訪問

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