神戸「舞子海上プロムナード」から見下ろす龍馬の巨大砲台跡

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神戸「舞子海上プロムナード」から見下ろす龍馬の巨大砲台跡

神戸「舞子海上プロムナード」から見下ろす龍馬の巨大砲台跡

更新日:2018/01/13 18:01

春野 公比呂のプロフィール写真 春野 公比呂 歴史研究家、郷土文筆家、郷土登山家

神戸市垂水区と淡路島を結ぶ「パールブリッジ」こと、明石海峡大橋は全長3,911mで世界最長の吊橋。この橋桁内にはSFチックな回遊遊歩道「舞子海上プロムナード」があり、ダイナミックな海峡の展望を得られますが、龍馬が改修作業に携わった舞子砲台跡を見下ろすこともできます。大橋袂の公園には近代の複数の洋館、龍馬も通った西国街道跡には土佐の桂浜にあった地蔵もあり、歴史の変遷も体感することができます。

宇宙船的舞子海上プロムナード

宇宙船的舞子海上プロムナード

写真:春野 公比呂

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舞子海上プロムナードや大橋の博物館である「橋の科学館」、複数の洋館、舞子砲台跡は皆、兵庫県立舞子公園内とその付近にあります。公園の駐車場の前にこの周辺随一の観光スポットであるプロムナードの入口があるので、早速入ってみましょう。

プロムナードは海面からの高さ47m、本土から明石海峡に約150m突き出した全長317mの回遊遊歩道。通路は宇宙船内を彷彿させるようなチューブ型をしています。

宇宙船的舞子海上プロムナード

写真:春野 公比呂

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通路のカーブを外側から見るとSFチックで、まるでテーマパークのよう。

宇宙船的舞子海上プロムナード

写真:春野 公比呂

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通路の路面の一部はガラス張りになっており、両側のガラス張りの間には丸太橋を模した通路内通路があり、そこを歩くとまるで海峡上を丸太橋で渡っているような感覚に。

幻の四国新幹線と龍馬の幻影

幻の四国新幹線と龍馬の幻影

写真:春野 公比呂

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プロムナードの端から先を見ると、下方に通路のようなものが続いていますが、昭和40年代の計画段階では、淡路島と徳島県鳴門市を結ぶ大鳴門橋同様、この空間に四国新幹線の線路を敷設する予定でした。しかし陸地との勾配差や財政面等の問題があり、道路単独橋として建設されたのです。

が、年二回、この通路のような箇所を淡路島まで歩くイベントが開催されています。但し、2時間半の所要時間中、トイレは我慢しなければなりません。

幻の四国新幹線と龍馬の幻影

写真:春野 公比呂

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プロムナードから橋の科学館北西にある明石藩の舞子砲台跡を見下ろすことができ、カメラの望遠やズームレンズで大きく捉えることができます。台場は背後に建つマンションの横幅と同じ長さですが、何割かは地面に埋没し、或いは開発で消滅する等しています。本来の全長は約75mに及んでいました。

この砲台は元々和式砲台として嘉永6年(1853)に完成しましたが、文久3年(1863)、徳川家茂将軍が大坂湾の明石藩の砲台を視察した際、不備が指摘されたため、航路の要衝にあった舞子砲台を洋式砲台にすべく、改修が勝海舟の指導の下、行われたのです。この改修作業には坂本龍馬や高松太郎等の海軍塾生が携わっています。龍馬が脱藩した翌年のことです。

<舞子海上プロムナードの基本情報>
所在地:兵庫県神戸市垂水区東舞子町舞子公園
営業時間:9〜18時
休館日:10〜3月の第二月曜日
問合せ先: 078-785-5090(舞子公園管理事務所)
アクセス:JR山陽本線「舞子」駅若しくは山陽電鉄「舞子公園」駅下車、南へ約5分。

幻の四国新幹線と龍馬の幻影

写真:春野 公比呂

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プロムナードの観光を終えると、舞子砲台跡へ行く前に大橋の袂付近にある複数の洋館に寄ってみましょう。まず袂の東側にある移情閣。地元では「舞子六角堂」と通称されていますが、実際は八角三層の建物です。

明治末、神戸で貿易商を営んでいた中国人の呉錦堂が自社運営の果樹園の初収穫を記念して別荘「松海荘」を建築し、大正4年、隣に八角三層の楼閣「移情閣」を増築しました。平成12年、元の場所から約200m移動した現地に移築されました。八方の窓から見る景色はそれぞれ異なる情緒あるものだと言われています。

<移情閣の基本情報>
営業時間:10〜17時
休館日:月曜日
問合せ先:078-783-7172
アクセスその他は海上プロムナードと同じ。

間近に見上げると巨大な舞子砲台跡

間近に見上げると巨大な舞子砲台跡

写真:春野 公比呂

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移情閣の東方には明治40年建築の木造洋館「旧武藤山治邸」があります。武藤は明治から大正にかけて活躍した人物で、実業家、政治家、ジャーナリスト等の顔を持っていました。屋敷にはステンドガラス、暖炉、家具調度品、収集した各種美術・芸術品等が残されており、見学することができます。

<旧武藤山治邸の基本情報>
営業時間:10〜17時
休館日:月曜日
問合せ先やアクセスは海上プロムナードと同じ。

間近に見上げると巨大な舞子砲台跡

写真:春野 公比呂

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次はいよいよ舞子砲台跡。W字型の台場上は公園となり、大砲型ベンチが設置されていますが、一部、発掘調査時に出土した敷石が保存されています。もしかすると龍馬が運んだ石があるかも知れません。

間近に見上げると巨大な舞子砲台跡

写真:春野 公比呂

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この砲台は海岸から見上げるとその大きさが実感できます。高さは6mにもなります。淡路島に築造された徳島藩の松帆砲台と協力して、明石海峡に侵攻してくる外国の軍艦を狙う手筈でした。

龍馬の宿泊先に住むことができる?

龍馬の宿泊先に住むことができる?

写真:春野 公比呂

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砲台跡の西隣のマンション(写真中央)とその西の小振りのマンションは、’00年代初頭まで残っていた大規模旅籠「萬亀楼」跡ですが、この旅籠には伊藤博文、井上馨、東郷平八郎等の歴史的人物も宿泊しています。

そして更に西のマンション(写真左寄りの天辺が赤いマンション) の西側3分の2位の敷地が、龍馬が砲台改修時に宿泊した旅籠「左海屋(さかいや)」跡です。ここで龍馬は海軍塾生らと将来の日本について語り合ったことでしょう。龍馬ファンで神戸移住を考えている方は空き部屋をチェックしてみては如何でしょうか。
左海屋は昭和2年の国道改修時、立ち退き、萬亀楼はそれ以降も営業を続けていましたが、昭和18年、戦争激化に伴い、廃業を余儀なくされています。

龍馬の宿泊先に住むことができる?

写真:春野 公比呂

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萬亀楼跡や左海屋跡前を走る国道2号の前身は西国街道(山陽道)なのですが、龍馬は薩長同盟締結に向けて奔走していた際、何度もこの街道を歩いています。そこで当時の遺物を探してみましょう。
左海屋跡の西隣のマンション向かいには高さ4mもの「たたき地蔵」こと、「舞子延命地蔵」が道行く者を見守っています。この地蔵は文政8年(1825)、地元の旧山田村の人々によって祭られたものと言われていますが、元は龍馬の故郷、土佐の桂浜にあったとする説もあります。

地元の漁船が土佐で漁をして、桂浜に寄ってから帰国する際、もやい網が桂浜に立っていた地蔵を絡み取って船倉に落とし込んでしまい、それを誰一人気づかないまま、舞子まで戻り、荷揚げしたのです。それ故、地蔵は今でも桂浜方向に向いて鎮座しています。
いつの頃からか、木槌で地蔵を叩くと願い事が叶うと言われるようになり、「たたき地蔵」と呼ばれるようになりました。

龍馬の宿泊先に住むことができる?

写真:春野 公比呂

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西国街道はたたき地蔵を過ぎると国道2号から分かれ、住宅街の中に入り、狭い車道となります。この道沿いにある「舞子六神社」は藩政時代前期、旧多門村にあった「多門六神社」を移設したものです。境内には昭和40年の移設(外国人宅から)当時、日本一と言われたえびすと大黒の石像がある他、源平合戦時の戦死者を祭ったとされる古びた五輪塔もあります。龍馬も有名だったこの神社に参り、五輪塔に栄枯盛衰の理を感じたかも知れません。

有名史跡の無名伝承

「海の上を散歩できる道」は明石海峡大橋以外にもありますが、「世界一の吊橋の海上道」となると感慨もひとしお。路面がガラス張りになっている箇所ではスリルも味わえます。
舞子砲台跡については現地に詳しい案内板が建っているものの、龍馬については一切触れられていません。西国街道を龍馬が行き来していた事実を知る方は地元でも稀です。しかしそれらについては古文献等に明記されています。

このように、有名史跡であってもそれにまつわる伝承は知られていないケースが多々あります。みなさんの周りや、観光を予定している観光地にも隠れた伝承があるかも知れませんね。

※各基本情報は2018年1月現在のものです。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2012/01/02 訪問

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