“晋どん、もうここらでよか”鹿児島「西郷隆盛終焉の地」

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“晋どん、もうここらでよか”鹿児島「西郷隆盛終焉の地」

“晋どん、もうここらでよか”鹿児島「西郷隆盛終焉の地」

更新日:2019/01/11 16:47

沢原 馨のプロフィール写真 沢原 馨

西郷隆盛の名は、特に歴史に興味の無い人でもご存知なのではないでしょうか。薩摩(鹿児島)出身の西郷は明治維新で主導的な役割を果たした一人ですが、後に明治政府に反旗を翻し、西南戦争によって最後を迎えました。波乱に満ちた生涯でした。折しも2018年には明治維新150年を迎え、NHK大河ドラマでは「西郷どん」が放送されました。これを機会に、鹿児島市内の西郷縁の地を巡ってみるのはいかがでしょうか。

人々の心を惹きつける西郷隆盛の生き様

人々の心を惹きつける西郷隆盛の生き様

写真:沢原 馨

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西郷隆盛は薩摩の下級武士の出身でありながら、島津斉彬に見出され、しかし斉彬の死によって失脚、後に藩政に戻り、やがて明治維新の立役者の一人となって、明治新政府では要職を担いました。その後、野に下った西郷は反乱軍を指揮して西南戦争で政府と戦い、“逆徒”として生涯を終えることになります。まさに波乱に満ちた生涯を送った西郷ですが、彼の生き方は一貫して私欲と無縁で、常に他者を思ってのものでした。それ故か、彼の生き様はなぜか人々の心を惹きつけるようです。

当然のことながら、鹿児島市内には西郷隆盛縁の地が点在していますが、中心市街に近い城山の麓には西南戦争末期に西郷が身を隠した洞窟や自刃した地が史跡として残っています。それらを訪ねて、西郷の最後の足跡を辿ってみましょう。まずは西郷に敬意を表して「西郷隆盛銅像」から訪ねてみてはいかがでしょうか。

<西郷隆盛銅像の基本情報>
住所:鹿児島県鹿児島市城山町
電話番号:099-298-5111(観光交流センター)
アクセス:カゴシマシティビュー「西郷銅像前」バス停下車すぐ、市電「朝日通」電停から徒歩8分

西南戦争末期に西郷隆盛が籠もった洞窟

西南戦争末期に西郷隆盛が籠もった洞窟

写真:沢原 馨

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明治10年(1877年)2月、西郷は政府に不満を抱く若い士族たちを率いて東京へと進軍を開始します。これに対して政府は“逆徒征討”として出兵を決定するのです。西南戦争(西南の役)の始まりです(西南戦争の背景や経緯について詳しく知りたい方は「西南戦争」で検索してみましょう)。

熊本城での攻防や、世に言う「田原坂の戦い」など、薩摩軍と政府軍は激戦を繰り広げますが、けっきょく薩摩軍は各所で敗戦を強いられ、西郷は軍を解散、残った兵と共に鹿児島に戻り、城山に陣を張ります。西郷は崖下の洞窟に籠もり、五日間を過ごしたと言われています。その洞窟が今も残り、「西郷隆盛洞窟」として鹿児島市の記念物(史跡)として保存されています。

西南戦争末期に西郷隆盛が籠もった洞窟

写真:沢原 馨

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「西郷隆盛洞窟」は、実際に見てみると意外に小さいと感じます。洞窟に籠もって、西郷は何を思っていたのでしょう。現代に暮らす我々には想像することも難しいですね。洞窟は柵で囲まれていますので実際に中に入ってみるということはできませんが、外から覗き見るだけでも充分でしょう。

<西郷隆盛洞窟の基本情報>
住所:鹿児島県鹿児島市城山町
電話番号:099-298-5111(観光交流センター)
アクセス:カゴシマシティビュー「西郷洞窟前」バス停下車すぐ

“晋どん、もうここらでよか” 西郷隆盛自刃の地

“晋どん、もうここらでよか” 西郷隆盛自刃の地

写真:沢原 馨

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明治10年(1877年)9月24日、政府軍の総攻撃の中、薩摩軍は城山の陣から突撃を開始します。薩摩軍の数は300余、対する政府軍は4万。死を覚悟の突撃だったのでしょう。

兵は次々と政府軍の銃弾に倒れました。西郷もまた被弾、洞窟から600mほど進んだところで覚悟を決めます。「晋どん、もうここらでよか」と、同行していた別府晋介に言い、襟を正して正座し、東を向いて深く奉拝すると、別府に介錯を頼んで自刃に果てるのです。満49歳でした。

“晋どん、もうここらでよか” 西郷隆盛自刃の地

写真:沢原 馨

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その場所が、今は住宅街となった線路脇の一角に「西郷隆盛終焉の地」として残されています。これも鹿児島市の記念物(史跡)です。緑地のような場所を設け、その中に「南洲翁終焉之地」と記された碑が建てられています。「南洲」とは西郷隆盛の別名(号)、鹿児島では敬意を込めて「南洲翁」と呼ばれることも多いのです。西郷隆盛自刃の地、訪ねておきたいですね。

<西郷隆盛終焉の地の基本情報>
住所:鹿児島県鹿児島市城山町
電話番号:099-298-5111(観光交流センター)
アクセス:カゴシマシティビュー「薩摩義士碑前」バス停から徒歩5分

西郷隆盛、今は桜島を望む南洲墓地に眠る

西郷隆盛、今は桜島を望む南洲墓地に眠る

写真:沢原 馨

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西南戦争に於ける戦死者は、政府軍、薩摩軍共に六千名を超えます。西郷をはじめとする薩摩軍将兵2000余人が、城山の北東に位置する南洲墓地に眠っています。明治12年(1879年)に設けられたという参拝所は、今は南洲神社となって西郷を祀っています。ぜひ足を運んで西郷の墓に手を合わせ、南洲神社に参拝しておきたいものです。

西郷隆盛、今は桜島を望む南洲墓地に眠る

写真:沢原 馨

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南洲墓地と南洲神社の一帯は南洲公園という公園として整備されていて、その中には西郷の生涯を紹介し、その功績を顕彰するための「西郷南洲顕彰館」が建っています。昭和52年(1977年)に、西郷没後百年を記念して募金によって建てられたもの。ここも見学しておきましょう。

西郷隆盛、今は桜島を望む南洲墓地に眠る

写真:沢原 馨

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南洲神社の参道脇には広場が設けられています。南洲公園は小高い丘の端に位置していて、広場からは東に視界が開け、目の前に桜島の姿を望むことができます。ベンチに腰を下ろして桜島を眺めながら、ひととき西郷隆盛の波乱に満ちた生涯に思いを馳せるのもいいかもしれません。墓所に眠る西郷も、きっと桜島の姿を見ているのでしょう。

<南洲公園の基本情報>
住所:鹿児島県鹿児島市上竜尾町2番地
電話番号:099-247-1100(西郷南洲顕彰館)
アクセス:カゴシマシティビュー「西郷南洲顕彰館前」バス停すぐ、カゴシマシティビュー「南洲公園入口」バス停から徒歩5分

こだわり派の方は維新ふるさと館や祇園之洲も訪ねてみよう

こだわり派の方は維新ふるさと館や祇園之洲も訪ねてみよう

写真:沢原 馨

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鹿児島市中心部、甲突川の左岸に位置する加治屋町は西郷隆盛が生まれたところ。河岸には「維新ふるさとの道」と名付けられた緑道が設けられ、一角には「維新ふるさと館」という資料館や西郷隆盛生誕地もあります。西郷隆盛の生涯や明治維新のことについてより深く知りたいと思う方は訪ねてみましょう。

<維新ふるさと館の基本情報>
住所:鹿児島市加治屋町23番1号
電話:099-239-7700
アクセス:鹿児島中央駅より徒歩8分
開館時間:9:00〜17:00(最終入館16:30)
入館料:大人(高校生以上)300円/小人(小・中学生)150円

こだわり派の方は維新ふるさと館や祇園之洲も訪ねてみよう

写真:沢原 馨

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市街地北部の祇園之洲には西南戦争で戦死した政府軍将兵1270余人が葬られ、今は「祇園之洲公園」内に「西南戦争官軍戦没者慰霊塔」が建っています。西南戦争関連の事物に興味のある方は、ここも訪ねておきたいですね。

<祇園之洲公園の基本情報>
住所:鹿児島市清水町26番
電話番号:099-298-5111(観光交流センター)
アクセス:JR鹿児島駅または鹿児島市電鹿児島駅前電停より徒歩15分

西郷隆盛の最後の足跡を辿って、遠い明治へ思いを馳せよう

西南戦争(西南の役)は、日本に於ける“最後の内乱”と呼ばれ、“近代日本の産みの苦しみ”などと形容されることもあります。明治初期の混乱を経て、この後、日本はいよいよ近代国家として歩み始めるわけですね。西郷隆盛の最後の足跡を辿りながら、近代国家へ生まれ変わろうとしていた明治の日本に思いを馳せるひとときを過ごしましょう。

西郷隆盛の生き様、共感できるかできないかは人それぞれでしょう。反乱軍を指揮して政府と戦った西郷の思いも、すでに歴史の彼方になってしまいましたね。

2019年1月現在の情報です。最新情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。

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