写真:菊池 模糊
地図を見るモロッコの文明は、紀元前にローマによって花開きました。当時の首都ヴォルビリスの遺跡については下記メモ欄から「モロッコ最大の古代遺跡『ヴォルビリス』〜」をお読みください。
その後、8世紀にイスラム化した際、モロッコ独自の最初の王朝を開始したのがイドリス1世です。彼の霊廟があるのが、ヴォルビリスのすぐ近くにある聖都ムーレイ・イドリス(写真参照)で、重要な巡礼地となっています。
写真:菊池 模糊
地図を見るムーレイ・イドリスは、平原の端の山に張り付いています。周りに平坦な場所があるのに、わざわざ急峻な崖の斜面に立派な家屋が密集している不思議な雰囲気の町。ここは特別な意味で作られた宗教都市なのです。
イドリス1世は、預言者ムハンマドの娘であるファティマと夫アリー(第4代カリフ)の血をひく、貴種流離譚を絵にかいたような人物で、中東から苦難の末モロッコに到達し、原住民のベルベル人に担ぎ上げられ王となりイドリス朝を創始しました。彼は死の直前、フェズを国都に定めます。8世紀末、ちょうど日本で平安京(京都)が建設された頃です。
写真:菊池 模糊
地図を見るムーレイ・イドリスの中心部には、イドリス1世の霊廟とモスクがあり、モロッコ中から巡礼者が訪問します。ただし、イスラム教徒以外は中心部に入れませんので、我々日本人は町はずれを観光することになります。
この町では、名物の牛肉タジン鍋のを食べるのがおすすめ(写真参照)。また、ヴォルビリス遺跡を見学するための宿をとるのも良いでしょう。ヴォルビリスへは公共バスがないので、宿の自転車を借りてヴォルビリスへ日帰り観光するのがベストな方法です。
写真:菊池 模糊
地図を見るイドリス1世とモロッコのベルベル人の女性の間に生まれたイドリス2世は、父の遺志を継ぎ王国の首都としてフェズを開発しました。フェズは、東西南北に通じる交通の要衝で、都として最適。おりからカール大帝の侵入により騒乱状態にあった後ウマイヤ朝(現スペイン)から8000家族が避難してきており、東のアグラブ朝の弾圧を逃れたカイルワーン(現チュニジア)からの避難者2000家族も加えて、フェズ川の両岸に都市ができたのです。
イベリア半島の後ウマイヤ朝から来た人たちは、高度な芸術や職人工芸を伝え写真にあるフェズ焼という陶器や金銀細工・なめし皮・織物などの産業を興しました。いっぽう、カイルワーンから来た人たちは宗教を伝えその故郷の名を冠するカラウィンモスクを建設しました。フェズの基礎を築いたイドリス2世の霊廟であるザウイア・ムーレイ・イドリス廟もつくられました。
写真:菊池 模糊
地図を見るカラウィン・モスクを中心として、メインストリート二本がつくられ、その周りに葉脈のように小路がつけられ独特の街並みが誕生しました。これがフェズの旧市街フェズ・エル・バリです。後世には城壁に囲まれ、フェズはモロッコの中枢都市として大いに繁栄しました。
カラウィン・モスクは、異教徒には入れませんんので、門扉の隙間などからモスクを垣間見ることになります(写真参照)。
写真:菊池 模糊
地図を見るカラウィン・モスクは、高い壁に取り囲まれています。写真をご覧ください。右側がモスクの壁で、回りの細い路地の上部には美しい照明器具が吊られています。
実際にこのモスクの周囲を歩いてみると、その大きさを思い知らされます。モロッコの歴代王朝によって増築され、現在のカラウィン・モスクは2万2千人を収容できるアフリカ最大のモスク。ギネス記録によれば世界に現存する最古の教育機関とされます。イスラム圏の重要な大学でもあり、多くの留学生を受け入れています。
写真:菊池 模糊
地図を見るカラウィン・モスクの西側に家屋の密集した丘があり、その天辺にザウイア・ムーレイ・イドリス廟があります。近づくと圧倒的な装飾に驚かされます。
写真:菊池 模糊
地図を見るザウイア・ムーレイ・イドリス廟も異教徒は入れませんが、外部からなら中を見ることは許可されています(写真参照)。
ここは、フェズをつくったとされるイドリス2世の霊廟ですから、多くの巡礼者が参ります。丘の頂上にある位置からして、この霊廟こそフェズの本来の中心といえます。すなわち、フェズはムハンマドの血をひくシャリーフ系王朝の首都ですが、その歴史的経過からモロッコの極めて重要な聖地でもあるのです。そして、このザウイア・ムーレイ・イドリス廟に巡礼する人と、カラウィン・モスクで祈る人を世話する門前町という性格を有しているのです。
写真:菊池 模糊
地図を見るこうした歴史から貴種を重んじるモロッコでは、イドリス朝の祖にあたる預言者ムハンマドの娘ファティマがとても人気があります。彼女は、生涯を社会奉仕に捧げた慈悲深い人でイスラム女性の理想像。そして、霊力があるとされるファティマの手のデザインは、モロッコで生まれ、現在でも「邪視」を払う重要なアイテムです。写真のように門のノッカーから、魔除けの護符、アクセサリー、装飾品の類にも使われ、お土産品としてもポピュラーです。
写真:菊池 模糊
地図を見るフェズのメインストリートには店舗が多いのですが、そこから一歩奥へ入ると、両側に建物が覆いかぶさるように非常に狭い路地があり一見すると圧迫感のある迷路のように感じます。これがフェズが迷宮都市といわれるゆえんです。しかし、この路地は行き止まりの袋小路になっている場合が多く、突き当たれば引き返せば良いだけで、実際は迷路というわけではありません。
なぜ、このような構造になっているかというと、メインストリートの後ろ側に、入り口の扉だけが街路に面した、しっかりした中層建て住宅が、どんどん建設されていったからです。それが密集しているため、暗い路地ができたのです。
写真:菊池 模糊
地図を見るフェズ旧市街の住宅はイスラム法に基づく構造になっており、外側には窓がない中層建てで、内側は明るい中庭の周囲を窓のある部屋が取り囲んでいます。これこそイスラム的なプライバシーと採光を両立させる間取り。グーグルなどでフェズの航空写真を見れば、真ん中に空間(中庭)のある家がびっしり並んでいるのが一目瞭然。中庭はガラスの天井の場合もあります(写真参照)。
写真:菊池 模糊
地図を見る住宅資材も石造りや煉瓦造りに漆喰が塗られたもので非常に頑丈。漆喰が剥がれた建物を見ると構造がよく分かります(写真参照)。つまり、フェズの街並みは決してバラックやスラム街的な混沌の集合ではなく、頑強な建物が有機的につながった都市なのです。
フェズ旧市街は、現在の自動車優先の都市とは全く違います。今でも最も強力な物資輸送手段はロバです。しかし、発展に取り残された町ではなく、生き生きとした中世的生活が今も躍動している稀有な都会です。他所で見られる遺跡的建物が残っているだけの古い町ではないのです。ぜひ、フェズの旧市街にある民宿的な宿:リヤドに泊まって、フェズの息吹を実感してください。
写真:菊池 模糊
地図を見るフェズ旧市街内部の観光を終えたら、フェズ・エル・バリを見る展望ポイントに行って見ましょう。フェズ・エル・バリはフェズ川の谷間に開けた町ですので、見晴らしの良い尾根に登れば町を一望できます。おすすめは、北側の高台にあるマリーン朝墓地付近と、南側の尾根の大通りに沿った公園。写真は南側の展望所から撮影したもので、左から右へ下ってい行くフェズの街並みを眺めて、歩いた場所を再確認してください。
なお、フェズの一般的な観光ポイントの歩き方については、下記メモ欄から「モロッコの迷宮都市フェズの真実〜」をお読みください。
フェズ
カサブランカから飛行機(1時間)・鉄道(4時間)・バス(5時間30分)
メクネスから鉄道(30分)・バス(1時間)
ムーレイ・イドリス
鉄道のメクネス駅からプチタクシー、バス(30分)
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(2025/2/10更新)
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