京町屋は1950年(昭和50年)以前に建てられた京都市内の木造家屋のこと。出格子や犬矢来(いぬやらい)、ばったり床几(しょうぎ)など独特の外観で、祇園や西陣、上七軒などでは、京都らしい京町屋の町並み散策を楽しむことができます。
様々な伝統が残る町、京都では、有名な神社仏閣に目を取られがちですが、京町屋の屋根の上に目をやると、怖い顔でこちらをにらむ瓦製の人形が!これが町屋の小さな守り神「鍾馗(しょうき)さん」です。雨にも負けず、風にも負けず、けなげに京都の街を守り続ける鍾馗さん。ちょっと注意してみると、京都の街を歩くのがいっそう楽しくなりますよ!
今回ご紹介するのは、祇園「花見小路」周辺の「鍾馗さん」です。お気に入りの鍾馗さんを探しながら、さあ、散策に出掛けましょう!
「鍾馗」は、中国に伝わる道教系の神様。日本では疱瘡除けや学業成就に効果があるとされ、関東では五月人形にされることもあるようです。日本に伝わった経緯ははっきりしてないようですが、平安時代末期の絵に登場しており、室町時代には漢画の画題として好まれたようです。どの絵の中でも、鍾馗は必ず長い髭を蓄え、中国の官人の衣装を着て剣を持ち、大きな目で何かをにらみつけているようです。
京都市内で、民家の大屋根や小屋根の軒の上に「鍾馗さん」が置かれるようになったのは‥‥
江戸末期ごろ、京都三条の薬屋が立派な鬼瓦を葺いたところ、向かいの家の住人が突然原因不明の病に倒れました。これは薬屋の鬼瓦に跳ね返された悪いものが向かいの家に入ったのが原因と考え、鬼よりも強いとされる「鍾馗」の人形を瓦屋に作らせて屋根の上に据えたところ、住人の病はたちまち完治したということです。
それ以降、京都では瓦屋根の対面に「鍾馗さん」を据えるようになったようです。そんな謂れの鍾馗さんですが、京都中心に鍾馗さんがこれほど広まったのは、向かいの家が鍾馗さんを上げると黙って自分の家にも上げるという京都人の気質が関係するらしく、ご近所で揉めないよう、正面を向いてない鍾馗さんもいます。
鬼よりも強いとされる鍾馗ですが、ではなぜそんなに強いのでしょうか。
昔々、中国は唐の時代にさかのぼります。六代皇帝「玄宗」が病に伏していた時、夢の中に小さな鬼が現れて玄宗の玉笛と妻「楊貴妃」の匂い袋を盗もうとしますが、鬼の手が玄宗にかかろうとしたとき、髭面の大男が突然現れて鬼を引き裂き、あっという間に退治しました。
夢に現れたその男は「鍾馗」と名乗り、「科挙の試験に失敗し、それを恥じて自ら命を絶ったが、帝に手厚く葬って頂いたことを感謝しております。」と告げました。玄宗が目覚めると、病は治りすっかり元気になっており、この噂は国中に広がって鍾馗は道教の神として祀られるようになった、ということです。
こちらは京都五山の第3位に列せられる「建仁寺」の鬼瓦です。今回ご紹介している祇園「花見小路」は建仁寺の門前。こんな立派な鬼瓦があるのですから、人々は挙って「鍾馗さん」を上げるわけです。
京都には現在も五つの「花街」が残っています。可愛らしい舞妓ちゃんや美しい芸子さんに悪いものが付いては大変と、特に花街では沢山の「鍾馗さん」が見られるようです。祇園も「五花街」のひとつ。いろいろな「鍾馗さん」を楽しむことができますよ!
取材をしたこの日は1月ということで、祇園には艶やかな正月飾りがありました。正月飾りと「鍾馗さん」ツーショット。
古くから伝わる京都の伝統文化である「鍾馗さん」。深刻な京町屋の減少や瓦屋根の家が減ってきたことから、残念ながら最近ではどんどん減ってきているようです。
「鍾馗さん」を作る瓦屋さんも以前は沢山あったようですが、現在では伏見「浅田製瓦工場」の京鬼瓦師、浅田晶久さん一人だけ。「鍾馗さん」は屋根に上げなくても、玄関先に置いても効果があるそうですよ!
怖い表情ながらどこか愛嬌のある「鍾馗さん」。伝統ある京瓦を作る最後の窯元である「浅田製瓦工場」では、「鍾馗さん」を購入できるほか、マイ鍾馗さん作りを体験することもできます。京都土産にひとついかがでしょうか?!
〈<浅田製瓦工場の基本情報>
住所:京都府京都市伏見区舞台町
電話番号:0120-006-546
2018年2月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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