島根県松江市「美保神社」の前には青く美しい石畳があります。これは青色畳石と呼ばれるもので海から引き上げられ敷き詰められた天然石です。
この地は江戸時代に北前船の航路であったことから、多くの人が往来しとても繁盛しました。物資の移動に便利なように石畳が敷き詰められたと言われます。神社前から佛谷寺方向に繋がっていますので、観光の際にはぜひ歩いてみましょう。
登録有形文化財(建造物)となっているのが、鳥居近くにある「おかげの井戸」です。昔、干ばつが続き、今まで使っていた井戸が干上がり、村人は困り果てていました。
そこで美保神社の宮司が雨乞いをするとご神託が。指定されたこの場所を掘ると水が湧き出てきたのだそうです。難を逃れた村人はそのありがたさから「おかげの井戸」と呼ぶようになりました。
また、北前船が来ていた場所ですので、多くの人の喉を潤したのは間違いありません。江戸時代に石板を不思議な八角形にして作られた独特な井戸。じっくりと観察してみましょう。
神門前の様子は、格式ある美保神社を象徴するように美しいつくりとなっています。本殿の右殿に事代主神、左殿には大国主命の後の妃となる三穂津姫命が祀られています。この三稜津姫命から「美保」の名がついたとも。
また、歌舞音曲(音楽)の神となっていることから、この神社には多くの楽器が奉納されています。中には日本最古のオルゴールやアコーディオンが残されています。
島根県松江市にある美保神社(みほじんじゃ)の創建は明確になっていません。しかしながら、天平5年(733年)の「出雲国風土記」にはすでに記載されており、相当古い歴史があることが分かっています。
出雲大社の大国主命が高天原からの使者に国譲りを迫られた際、子供である事代主神が返答しています。その事代主神が住んでいた場所が美保関。だからこそこの地は神の住む場所となっているのです。父である大国主命は出雲大社であり、ここから両参りに繋がっているのです。
事代主神は美保関で魚を獲って生活していました。魚釣りと言えば日本人にはおなじみの七福神の中で、日本古来の神と言われるのが恵比須様。恵比須神は商売繁盛の神です。こうして美保関は福の神である恵比須神と事代主神が同一視され、そして神の住む場所として、美保神社の祭神となっているのです。
もちろんのこと海に関連し、漁業、海運の神となっています。
なお、事代主神の事代は「ことしろ」であり、これは「言を知る」から来ていて託宣神の意味があるとされています。パワースポットである美保神社で祈願をし、確かな託宣神を頂ましょう。もちろん、縁結びである出雲大社で祈願すれば恋愛成就も。
拝殿と本殿を正面に見て左側にあるのがご神竹。この地方の風習ですが神札と御払いした「御種」を持ち帰り、その御種からなる竹を田畑に刺して、その竹に榊と三つ葉を差し込んで五穀豊穣と、害虫よけの祈願をしていました。
その「御種」から育ったこの竹は神様の竹となっています。竹の数は決して多くは無いのですが、独特の雰囲気がある場所ですので、足を止めてみましょう。
神門を出て右側にあるのが祓所(はらえど)。一見、何もない場所に結界があるだけと見えますが、祓所という名の通り極めて重要な場所なのです。神職は正面に向かって祓詞を唱え、参列者を清める、供え物がある場合はそれらを清める場所となることから、神事では特別に聖なる空間となるのです。
神社は基本的に、鳥居から中は神域となります。その中でも特に重要な場所はしめ縄や紙垂(しで)のような目印がある場合多く、そこは立ち入らない、触れない等の配慮を忘れないようにしましょう。
参拝が終わったら、美保神社前から続く青石畳通りから彿谷寺まで歩いてみましょう。そして奥出雲には、美しき秘境「鬼の舌震」があります。詳細は関連MEMOをご覧ください。
住所:島根県松江市美保関町美保関608
電話番号:0852-73-0506
アクセス:JR松江駅からバスで万原停留所乗り換え美保神社入り口
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