天理市櫟本地区は歴史の宝庫!和珥氏から柿本人麻呂、在原業平まで!

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天理市櫟本地区は歴史の宝庫!和珥氏から柿本人麻呂、在原業平まで!

天理市櫟本地区は歴史の宝庫!和珥氏から柿本人麻呂、在原業平まで!

更新日:2014/02/05 14:46

乾口 達司のプロフィール写真 乾口 達司 著述業/日本近代文学会・昭和文学会・日本文学協会会員

天理市の名所旧跡といえば、石上神宮や山の辺の道を思い浮かべる人が多いでしょう。では、もっとも知られていないところはどこでしょうか。その代表格に挙げられるのが、市の北方に位置する櫟本地区です。しかし、櫟本は大和王権を支えた古代豪族の本拠地であるとともに、誰もがよく知る歌人たちと深く関わる、由緒のある地区なのです。今回は櫟本の知られざる歴史を紹介し、その魅力を発見する旅に出かけてみましょう。

巨大な前方後円墳の上に!?重要文化財の本殿を持つ和爾下神社

巨大な前方後円墳の上に!?重要文化財の本殿を持つ和爾下神社

写真:乾口 達司

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櫟本(いちのもと)の集落は、西名阪自動車道天理インターの出入口周辺に広がっています。実際に当地を訪れると、一見、どこにでも見られるひなびた集落のように感じられるでしょう。しかし、意外や意外、かつては奈良盆地を南北に走る「上つ道」(かみつみち)と東西に伸びる「北の横大路」とが交差するところとして、古代以来、大いに栄えた交通の要衝なのです。

なかでも、当地を支配した和珥氏(わにし)は大きな勢力を築き、古代の大和王権を構成する有力豪族ともなりました。当地が和珥氏の勢力下に置かれていたことは、地区の鎮守社が和爾下神社(わにしたじんじゃ)と呼ばれていることからもうかがえます。桃山時代の様式を伝える本殿は国の重要文化財に指定されており、櫟本が伝える豊かな歴史の一端を垣間見ることができます。

注目したいのは、本殿の鎮座する小高い丘!和爾下神社は、実は、和爾下神社古墳と呼ばれる巨大な前方後円墳の上に鎮座しているのです。古墳の全長は120メートル。4世紀末から5世紀初頭にかけて造られたと考えられており、その東方に築かれている東大寺山古墳ともども、当地の盟主的な古墳に位置づけられています。土地柄、和珥氏の族長が埋葬されていることは、間違いないでしょう。

石棺の蓋石はどこから出土?和珥氏の末裔・柿本氏ゆかりの柿本寺跡

石棺の蓋石はどこから出土?和珥氏の末裔・柿本氏ゆかりの柿本寺跡

写真:乾口 達司

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和爾下神社古墳に寄り添うように、古代の寺院跡も残されています。柿本寺(しほんじ)です。その名のとおり、和珥氏の末裔に当たる柿本氏の氏寺で、奈良時代に創建されたと考えられています。柿本寺を描いた大和文華館所蔵の『柿本宮曼荼羅図』からは、中世の柿本寺が、現在からは想像もできないほど、壮麗な寺院であったことがうかがえます。

柿本寺跡で注目したいのは、敷地内に置かれた写真の石!これは古墳から出土した石棺の蓋石で、一説には、和爾下神社古墳から出土したものであるとされます。

『万葉集』を代表する歌聖・柿本人麻呂ここに眠る!境内に残る歌塚

『万葉集』を代表する歌聖・柿本人麻呂ここに眠る!境内に残る歌塚

写真:乾口 達司

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柿本氏から出たもっとも有名な人物として、歌聖とたたえられる万葉歌人・柿本人麻呂の名を思い浮かべる人も多いでしょう。境内に立つ歌塚は、石見国で亡くなった人麻呂の遺髪を埋めたところであると伝えられています。

円墳状の盛り土の脇には「歌塚」と刻まれた石碑が立っています。これは、享保17年(1732)、人麻呂を尊崇する歌人で医師でもあった森本宗範らによって建立されたもの。「歌塚」の文字は、後西天皇の皇女・宝鏡尼によってしたためられています。

『伊勢物語』筒井筒の段を憶えていますか?在原業平ゆかりの在原神社(在原寺跡)

『伊勢物語』筒井筒の段を憶えていますか?在原業平ゆかりの在原神社(在原寺跡)

写真:乾口 達司

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西名阪自動車道天理インターの南側には、在原神社が鎮座します。神社の周辺には、明治9年(1876)まで、在原寺と呼ばれるお寺が存在していました。創建は承和2年(835)とも元慶4年(880)ともいわれており、平安時代を代表する歌人であり、当代きっての美男子であったとされる在原業平と深い関わりを持っています。一説には、業平は当地で暮らしていたともいいます。

中学・高校時代、古典の授業で業平を主人公とした『伊勢物語』23段(筒井筒)を読んだ人も、多いのではないでしょうか。実は、境内には、その「筒井筒」とされる井戸も残されているのです。写真の左端に見える井戸が筒井筒です。

人麻呂といい、業平といい、櫟本の地が、歴史上、著名な歌人たちと深い関わりを持つ土地であったということ、意外ですね。

子授けと安産の神さまとして知られる楢神社

子授けと安産の神さまとして知られる楢神社

写真:乾口 達司

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地区の北方に鎮座しているのは、楢神社(ならじんじゃ)。創建は奈良時代後期で、かつては地区の東方に位置する宮山に鎮座していました。祭神に五十狹芹彦命と並んで鬼子母神が名を連ねていることもあり、古来、子授けと安産の神さま、子どもの守護神として、近郷近在の人たちから信仰されています。境内には、8代目市川團十郎が奉納した井戸も残されています。

おわりに

和珥氏を筆頭に人麻呂や業平の事績など、櫟本のたたえる豊かな歴史性をご理解いただけたのではないでしょうか。ほかにも、9世紀にさかのぼる聖観音菩薩立像を有する長林寺、古来、かぼちゃをそなえる風習を伝えるかぼちゃ薬師(興願寺)など、櫟本地区にはまだまだ見るべきところがたくさんあります。櫟本地区をぶらりと散策し、その知られざる歴史をご自身で再発見してみてください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2013/10/02 訪問

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