会津ころり三観音の一つ、徳一菩薩開創「鳥追観音如法寺」の魅力

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会津ころり三観音の一つ、徳一菩薩開創「鳥追観音如法寺」の魅力

会津ころり三観音の一つ、徳一菩薩開創「鳥追観音如法寺」の魅力

更新日:2019/08/18 10:22

いずみ ゆかのプロフィール写真 いずみ ゆか ライター

約1200年前、奈良から福島県の会津へ赴き、仏都会津の祖となった法相宗の僧侶・徳一をご存じでしょうか?会津ころり三観音の一つ「鳥追観音如法寺」(西会津町)は、大同2年(807)、徳一が「会津西方浄土」として開創した古刹。また平成28年、日本遺産に認定された「会津三十三観音」の番外別格札所でもあります。奈良とも縁があり、人々が篤い信仰を寄せる鳥追観音とその文化財は見所が多いので見逃さないで。


行基と徳一の縁起が伝わる鳥追観音とは?

行基と徳一の縁起が伝わる鳥追観音とは?

写真:いずみ ゆか

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「鳥追観音如法寺」の縁起には、二人の名僧が登場します。
一人は「行基」、もう一人は「徳一(とくいつ)」です。行基は奈良時代、徳一は平安初期と活躍した時代は異なりますが、どちらも”奈良”に縁がある人物。そして、両者とも多くの寺院を建立し、精力的な布教活動を行い、人々を救済した事で、民衆から「行基菩薩」「徳一菩薩」と呼ばれた共通点があります。

行基は、奈良の大仏造立に尽力した事で知られる奈良時代の僧侶。徳一は、奈良から会津へ赴き、仏都・会津の礎を築いたと伝わる法相宗の僧侶です。

では、なぜ”鳥追観音”と呼ばれているのか?行基と徳一が登場する縁起を簡単にご紹介しましょう。
(以下、行基菩薩、徳一菩薩と表記)

行基と徳一の縁起が伝わる鳥追観音とは?

写真:いずみ ゆか

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約1280年前の天平8年(736)、行基菩薩が会津へ赴き、この地(西会津)の貧しい農家に宿を求めました。そこで鳥獣害の不作に悩まされていることを知った行基菩薩は、農夫に憐れみをかけ、自身の念持仏である一寸八分の聖観音像を授けました。すると、観音様の霊験により、鳥獣が追い払われ、五穀豊穣、家が多いに栄えたことから「鳥追観音」呼ばれる様になったと伝えられています。

そして大同2年(807)、奈良から赴いた徳一菩薩が西方浄土の寺を建立しようと志し、阿賀川の御身ヶ淵(昔、鳥追観音がまつられていた地)を通った際、鳥追観音の「これより南の山に七仏説法の霊場あり。そこへ我を勧請せよ」とのお告げを頂き「金剛山如法寺」を創建。6月17日、ご本尊・聖観世音菩薩の胎内に「鳥追観音」を入仏秘したと伝わっています。
『鳥追観音如法寺縁起』より

御本尊は行基菩薩、創建は徳一菩薩に縁があるのです。

胎内秘仏を納めた御本尊は秘仏。お前立ちが「修復完成記念 特別御開帳」中

胎内秘仏を納めた御本尊は秘仏。お前立ちが「修復完成記念 特別御開帳」中

写真:いずみ ゆか

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御本尊「聖観世音菩薩像」は平安初期の作。一木造りで県重要文化財に指定されています。秘仏なので非公開。この秘仏の中に更に行基菩薩ゆかりの胎内秘仏が収められているとされています。

写真のお前立ちの「聖観音坐像」(室町〜南北朝時代の作)は、本来は例大祭「若葉祭」「紅葉祭」開催時(1ヶ月間)やご祈祷時のみ、御開帳されていました。
しかし、東日本大震災の翌日から、「被災者の方の慰霊と復興を祈願したい」という三留住職の思いにより、常時御開帳を決断されたとのこと。

そして現在(令和元年8月現在)、このお前立ちは修復を終え、「修復完成記念 特別御開帳」されています。南北朝期の仏像の特徴である華やかな装飾を天冠や胸元の飾りに見ることができます。

胎内秘仏を納めた御本尊は秘仏。お前立ちが「修復完成記念 特別御開帳」中

写真:いずみ ゆか

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今でも多くの人が篤く信仰を寄せる如法寺。実は、鳥追観音様は、鳥獣害を鎮めただけでなく、長年、子どもができなかった農夫一家に子宝を授けたことも縁起に伝えられています。

胎内秘仏を納めた御本尊は秘仏。お前立ちが「修復完成記念 特別御開帳」中

写真:いずみ ゆか

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その縁起から、如法寺には「縁結び」「子授け安産」「厄除長寿」(ころり観音)を願う人が多く訪れるのです。御本尊のそばには、「子授け安産子育て観音」も。その姿は微笑みをたたえながら、マリア観音のように赤子を抱いて乳をあげており、訪れた人に安らぎを与えています。

なんと、1200年前の仏像を触る事ができる!会津ころり三観音とは?

なんと、1200年前の仏像を触る事ができる!会津ころり三観音とは?

写真:いずみ ゆか

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観音経で人は三毒(貪・瞋・痴)※によって、苦悩を受けるとされていますが、三観音を巡拝すれば、その苦しみが除かれ、天寿を健康に全うし大往生が遂げられるとされています。

「会津三観音」は、「鳥追観音」(西会津町)、「中田観音」(会津美里町)、「木立観音」(会津坂下町)。「鳥追観音」では、身代りなで仏(執金剛神/平安初期作/県指定重文)と自分の体を交互になでて、厄除けを祈願します。

※貪欲に求める心、怒りの心、おろかな無知の心

なんと、1200年前の仏像を触る事ができる!会津ころり三観音とは?

写真:いずみ ゆか

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そうすると、「ころり」と大往生が叶うことから、「ころり観音」と呼ばれています。
この仁王像(執金剛神)は、約1200年前の文化財でありながら、なんと触る事ができるという大変珍しいもの。
文化財指定される際に、三留住職が「仏像は信仰のためにある」という考えから、特別な許可を取り、現在も触ってお参りする事ができるようにしたのです。

なんと、1200年前の仏像を触る事ができる!会津ころり三観音とは?

写真:いずみ ゆか

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「ころり」と亡くなる大往生と厄除けを祈願したら、「身代わり守り」を。

「福まさる」で探してみよう!左甚五郎の三猿

「福まさる」で探してみよう!左甚五郎の三猿

写真:いずみ ゆか

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鳥追観音は、他にも見所があります。観音堂は、慶長16年8月21日に会津地方を襲った大地震(慶長の大地震)で倒壊し、慶長18年に再建されたもの。再建時、日光東照宮の「眠り猫」の製作者で知られる江戸時代の名工・左甚五郎が、三匹の猿を彫ったと伝わります。

この三匹の猿を探し得た者は、牡丹のつぼみが開くがごとく、幸運が開き”福まさる”のだとか。

※写真は、鷹に襲われた猿(災難よりかくれ猿)

「福まさる」で探してみよう!左甚五郎の三猿

写真:いずみ ゆか

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こちらは、鷹が猿を見失い難をのがれた猿(災難をのがれ猿)。隠し彫りの三匹目、手枕でまるく眠っている猿(安楽に暮らし猿)はを見つけるのがとても難しいので、是非、ご自身の力で探してみて下さい。

西方浄土へ!不思議な造りの観音堂と徳一菩薩

西方浄土へ!不思議な造りの観音堂と徳一菩薩

写真:いずみ ゆか

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徳一菩薩は、大同元年(806)に起きた磐梯山大噴火の後、荒廃した会津の人々をを救うために多くの寺院を建立しました。そのため、噴火の翌年「大同2年」創建とされる徳一菩薩ゆかりの寺院は多いのです。中でも代表的な寺院として、会津盆地の中央に勝常寺(湯川村)、東方に慧日寺(磐梯町)、西方浄土として鳥追観音如法寺を創建しました。

「会津西方浄土」と称される「鳥追観音如法寺」の観音堂は、「東西向拝口・三方開き」という独特な造り。参拝者は、東口から入り、御本尊(鳥追観音)に祈願した後、戻らずに西口より出ます。鳥追観音のお導きで、その彼方にある「西方浄土世界」へ向かうという造りなのです。

また、観音堂内には「善男柱」「善女柱」があり、抱きついて祈願すると観音様のお導きで良縁が授かると言われています。

西方浄土へ!不思議な造りの観音堂と徳一菩薩

写真:いずみ ゆか

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境内には、徳一菩薩が創建した時に植えたと伝わる樹齢1200年の高野槇(東北最大/県天然記念物)も。徳一菩薩の時代から現代に至るまで、どっしりと私達を見守っています。

磐梯山大噴火から会津の復興を願い活動した徳一菩薩。より深く、徳一菩薩や奈良と会津の関係を知るなら、奈良・興福寺(法相宗)と磐梯町が交流を重ねて、伽藍復興を進めている「国指定史跡 慧日寺跡」と隣接する「慧日寺資料館」をセットで訪れるのがおススメです。

会津西方浄土の「鳥追観音如法寺」で、徳一菩薩を通じ、奈良と会津のつながりを、そして会津の篤い信仰を実際に肌で感じてみて下さい。

鳥追観音如法寺の基本情報

住所:西会津町野沢字如法寺乙3533
電話番号:0241-45-2061
拝観時間:8時30分〜16時(4月〜11月)
※12月〜3月(要問合せ) 豪雪地帯のため、閉門の場合があり
※祈祷・法話、観音堂案内希望の場合は要予約
アクセス:
磐越西線「野沢駅」より車(タクシー)で約6分
磐越自動車道西会津インターより車で約5分

2019年8月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2017/08/18 訪問

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