和歌山県・紀伊大島で映画『海難1890』の舞台を体感しよう!

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和歌山県・紀伊大島で映画『海難1890』の舞台を体感しよう!

和歌山県・紀伊大島で映画『海難1890』の舞台を体感しよう!

更新日:2018/02/07 20:46

モノホシ ダンのプロフィール写真 モノホシ ダン 総合旅行業務取扱管理者、総合旅程管理主任者

和歌山県・串本町にある「紀伊大島」は、面積およそ9.68キロ平方メートル、周囲約28キロメートルの和歌山県で最大の島です。1890年、この紀伊大島の樫野埼沖で起きた海難事故が、日本とトルコの友好関係のきっかけとなった「エルトゥールル号遭難事件」。そしてこの実話をもとに作られたのが、2015年公開の日本とトルコの合作映画『海難1890』。感動の映画の舞台を訪ねて壮大な歴史ロマンを体感してみませんか?

紀伊大島へのアクセス「くしもと大橋」とは

紀伊大島へのアクセス「くしもと大橋」とは

写真:モノホシ ダン

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紀伊大島へは、1999年(平成11年)9月8日に開通した「くしもと大橋」を渡って向かいます。串本本土と紀伊大島の間には、苗我島(みょうがじま)があって、くしもと大橋は、苗我島に架る386メートルのループ橋と、苗我島から紀伊大島に架る290メートルのアーチ橋からなっています。橋には歩道も設けられていますので、歩いて渡ることもできます。

紀伊大島へのアクセス「くしもと大橋」とは

写真:モノホシ ダン

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くしもと大橋の、紀伊大島側には「ポケットパーク」があって、橋のアーチ橋部分の景観を楽しめます。さらに、ポケットパークには有名な民謡『串本節』の歌碑があります。橋が開通するまでは、「♪ここは串本向かいは大島仲をとりもつ巡航船…」と串本節にも歌われた巡航船が、串本と紀伊大島の間を約20分で結んでいました。巡航船は串本フェリーとともに橋の開通と同時に廃止されました。

紀伊大島へのアクセス「くしもと大橋」とは

写真:モノホシ ダン

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ポケットパークから見た、くしもと大橋のアーチ橋は、とても力強さを感じさせます。橋の開通により、紀伊大島へのアクセスは飛躍的に向上しました。

〈くしもと大橋の基本情報〉
住所:和歌山県東牟婁郡串本町大島
電話番号:0735-62-3171(串本町観光協会)
アクセス:JR紀勢本線串本駅より「樫野灯台口」行きバスで約10分 タクシー約10分 車利用の場合は、気勢自動車道すさみ南ICより約50分 ポケットパーク駐車場利用

紀伊大島「トルコ記念館」で感動の映画の背景を知ろう

紀伊大島「トルコ記念館」で感動の映画の背景を知ろう

写真:モノホシ ダン

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日本とトルコの友好の証である、「トルコ記念館」は、紀伊大島のエルトゥールル号遭難現場付近に、1974年(昭和49年)12月に建設されました。建設の由来は、オスマン帝国(現在のトルコ共和国)の軍艦エルトゥールル号が、1890年(明治23年)、オスマン皇帝の特使を乗せて、明治天皇に謁見を終えて、帰国の途中、この記念館の沖で台風のために遭難したからです。

島民たちは総出で献身的な救助活動を行い、これにより日本とトルコの友好の歴史が始まったのです。トルコ記念館には、エルトゥールル号の模型や遺品、写真などが展示され、当時の様子が解説されています。

紀伊大島「トルコ記念館」で感動の映画の背景を知ろう

写真:モノホシ ダン

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記念館の2階の展望台からは、エルトゥールル号の遭難現場を見ることができます。エルトゥールル号は、全長約76メートル、排水量約2300トン、600馬力の補助機関を持つ、3本マストの汽帆船でした。船は、明治天皇への謁見を終え、帰国途中の1890年(明治23年)9月16日の夜、台風に遭遇し、トルコ記念館沖の「船甲羅(ふなごうら)」と呼ばれる岩礁に乗り上げ沈没しました。

沈没時に、船のボイラーが大爆発を起こした音を、多くの島民が聞いています。島民の献身的な救助活動により、乗員約650名のうち、69名が救助されました。救助された乗員たちは、手厚い看護を受け、のちに日本の軍艦によって無事トルコに送り届けらました。

<トルコ記念館の基本情報>
住所:和歌山県東牟婁郡串本町樫野1025-25
電話番号:0735-65-0628
営業時間:年中無休 9:00〜17:00
入場料:500円(高校生以下250円)
アクセス:JR紀勢本線串本駅よりコミュニティーバス利用約37分 大島・出雲線「樫野灯台口」下車。車利用の場合は、くしもと大橋より約10分 樫野灯台口駐車場利用

紀伊大島「トルコ記念館」で感動の映画の背景を知ろう

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トルコ記念館の近くの樫野埼の丘には、エルトゥールル号の遭難慰霊碑が建っています。ここには、沈没時に犠牲となった580余名の乗員の遺体が埋葬されています。この慰霊碑は、トルコ共和国のケマル・アタテュルク初代大統領か建設を決定、1937年(昭和12年)に完成したものです。

この事件から約100年が経過した、イラン・イラク戦争の最中の、1985年(昭和60年)3月17日、イラク側の「無差別航空機撃墜宣言」によって、イランの首都テヘランに脱出できずにいた日本人約200名を、救出したのがトルコでした。トルコ政府は、2機の救援機を派遣し、自国民に優先して日本人を搭乗させたのです。なぜ、トルコが危険を冒して救助に来てくれたのか。のちに明らかになった理由というのが、エルトゥールル号救助の恩に報いるためだったのです。友情が時代も国境も越えた瞬間でした。

2015年(平成27年)公開の映画『海難1890』は、この一連の感動のドラマを史実をもとに再現したものです。トルコ共和国・ユルドゥズ宮殿にて行われたプレミア上映会では、安倍晋三 第97代日本国内閣総理大臣とレジェップ・タイイップ・エルドアン 第12代トルコ共和国大統領の二人も本作を鑑賞。両国のトップがひとつの作品を鑑賞するというのは極めて異例の出来事でした。

悲劇の海から友好の海へ続く奇跡の物語

悲劇の海から友好の海へ続く奇跡の物語

写真:モノホシ ダン

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樫野埼の丘には、トルコ共和国のケマル・アタテュルク初代大統領の騎馬像が。この騎馬像は、日本とトルコ友好の礎を築いた軍艦エルトゥールル号の遭難120年に当たる年に、更なる両国の発展を祈って、駐日トルコ共和国大使館より串本町に寄贈されたものです。

後方に見える灯台は、日本で最初の洋式石造り灯台である「樫野埼灯台」です。映画『海難1890』のロケは、この紀伊大島でも行われ、エルトゥールル号の遭難シーンでは、樫野埼灯台も登場します。なお、樫野埼灯台周辺では毎年12月〜1月まで、スイセンの甘い香りに包まれます。

悲劇の海から友好の海へ続く奇跡の物語

写真:モノホシ ダン

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樫野埼灯台は、外側に取り付けられた螺旋階段で昇ることができます。灯台からは、エルトゥールル号の悲劇の現場となった熊野灘の雄大な景観が望めます。悲劇の海から友好の海へ。大海原を眺めながら、遭難から約125年が経過した奇跡の物語を体感してみましょう。

いまも続く日本とトルコの絆

いかがでしたか。テヘランでの救出劇の後、日本とトルコの相互扶助の精神はさらに高まりました。1999年(平成11年)8月17日、トルコ北西部に大地震が発生し、死者17000名を超える大惨事に。日本政府は直ちに、100万ドルの緊急援助を行い、さらに海上自衛隊の輸送艦などで、仮設住宅約2000戸を運び、その仮設住宅群は現地では「日本トルコ村」と呼ばれ、ピーク時には約5000人の避難民が暮らしました。

そして、運命の2011年(平成23年)3月11日、日本で東日本大震災が発生。世界の20以上の国々が日本に救援隊を派遣してくれました。しかし、福島第一原発事故の深刻さが判明するに至って、撤収する国が続出しました。しかし、その混乱の中でも、被災地の現場に最長となる約3週間も踏みとどまった救援隊がありました。それがトルコです。彼らは、深刻な原発事故に見舞われた異国の地で、危険を顧みずに、人間として成し難い救助活動を行ったのです。

これは、日本とトルコが紡いできた友情と強い信頼の証とも言えます。これからも、両国は、国境を越えてお互いを支えあう歴史を作っていくことでしょう。その絆の原点となった紀伊大島を訪ねてみて、時空を超えた感動のドラマを体感してみてはいかがでしょうか。

2018年2月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/02/28 訪問

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