写真:浦賀 太一郎
地図を見る没後50年を記念して建立された「西郷隆盛銅像」。城山の麓にたたずみ、鹿児島市内観光の中心地である天文館や鶴丸城跡のすぐ近く。明治維新後の、陸軍大将の正装で鎮座しています。銅像の高さは8mもあり、台座を含めると14mあまりにもなる巨大な銅像。撮影するなら、道路を挟んで反対側の「西郷銅像撮影広場」からがおすすめです。
写真:浦賀 太一郎
地図を見る「西郷銅像撮影広場」には、記念撮影をしやすいようにカメラ置台が設置されています。ここでぜひ行いたいのが、「手乗り西郷どん」。あの巨大な銅像が、あの明治維新の巨人が、まさか自分たちの手のひらに収まるとは大感動間違いなしですよ!
距離感があるので、慎重に手の高さを合わせますが、これがなかなか難しい!辛抱強く撮影を試みてください。他の観光客さんも多いので、朝早くのチャレンジがおすすめです。
写真:浦賀 太一郎
地図を見る「西郷隆盛像」を正面から見て左の道は一方通行なので、その標識を利用してこんな写真はいかがでしょう。これでもかっていうくらい、西郷どんを指してます!
<西郷隆盛銅像の基本情報>
住所:鹿児島県鹿児島市城山4-36
電話番号:099-298-5111
アクセス:バス停 西郷銅像前下車すぐ
時間:見学自由
写真:浦賀 太一郎
地図を見る鹿児島中央駅から徒歩10分ほど。甲突川(こうつきがわ)を渡った加治屋町(かじやまち)には、「西郷隆盛君誕生之地」の碑があります。文字通り西郷どんが生まれたその地です。この地の下加治屋町の郷中(ごじゅう)教育でリーダー格になった西郷どんは、次第に頭角を現し、藩主の島津斉彬に用いられ、大きく飛躍していくのです。
郷中教育とは、戦国時代の名残を色濃く残す薩摩国で、かの時代そのままに町単位で若手武士のリーダーを決め、そのリーダーが生活を全て取り仕切り、武士の何たるかを徹底的に突き詰めて教育するというもので、その効果の高さは幕末から明治にかけて、薩摩から多くの偉人を輩出したことからもよくわかります。
<西郷隆盛誕生地の基本情報>
住所:鹿児島県鹿児島市加治屋町5
電話番号:099-216-1327
アクセス:鹿児島中央駅徒歩約10分
時間:見学自由
写真:浦賀 太一郎
地図を見る西郷隆盛生誕地からすぐ。せっかくなので立ち寄りたいのが、明治維新における薩摩人たちの活躍がよくわかる「鹿児島市維新ふるさと館」。展示や映像が豊富で、多彩な角度から明治維新を知ることができます。
加治屋町は、西郷隆盛はもちろんのこと、西郷どんの親友・大久保利通、元帥陸軍大将・大山巌、元帥海軍大将・東郷平八郎、日本海軍の父・山本権兵衛ら明治期の日本を躍進させた錚々たる面々を輩出しています。それぞれ誕生地・生い立ちの地には石碑が建立されてるので、のんびり周辺散策もおすすめですよ。
<鹿児島市維新ふるさと館の基本情報>
住所:鹿児島県鹿児島市加治屋町23-1
電話番号:099-239-7700
アクセス:鹿児島中央駅徒歩約10分
開館時間:9:00〜17:00(最終入場16:30)
写真:浦賀 太一郎
地図を見る明治新政府が成立すると、西郷どんは政治方針の違いから次第に政権と対立し、やがて政争に敗れ、鹿児島に帰ってきます。西郷どんは特に傷心も無く、今の吉野町に吉野開墾社を設立し、自ら鍬を握ります。そんな西郷どんが開墾した寺山に「南洲翁開墾地遺跡碑」が建っています。
およそ150人が昼は農業、夜は学問の日々を過ごしており、開墾事業も次第に軌道に乗りつつありました。ひょっとしたら、西郷どんがその生涯で最も充実した日々だったのかもしれません。しかし、時代の荒波は再び西郷どんに容赦なく吹き付けることになるのです。
ちなみに「南洲翁(なんしゅうおう)」とは、西郷どんの号である南洲に、尊称である翁を付けた、リスペクトな呼び方です。
<南洲翁開墾地遺跡碑の基本情報>
住所:鹿児島県鹿児島市吉野町10877番地15(寺山ふれあい公園)
アクセス:寺山ふれあい公園バス停 徒歩約10分
時間:見学自由
写真:浦賀 太一郎
地図を見る「南洲翁開墾地」から6分ほどの所に、世界文化遺産に登録されている「寺山炭窯跡」があるので、せっかくなので立ち寄りましょう。日本各地に点在する「明治日本の産業革命遺産」として、非常に貴重な遺産で、苔むした石積みとアーチ状の窯口がとっても素敵です。
<世界遺産・寺山炭窯跡の基本情報>
住所:鹿児島県鹿児島市吉野町10877番地15(寺山ふれあい公園)
アクセス:寺山ふれあい公園バス停 徒歩約10分
時間:見学自由
写真:浦賀 太一郎
地図を見る晴耕雨読。煌びやかではないが充実した日々を過ごしていた西郷どんですが、明治政府に不満を持つ士族が暴動を起こし、彼らに慕われている西郷どんは、次第にその渦中に飲み込まれていきます。日本最後の内乱といわれる、西南戦争が始まろうとしていました。
鹿児島市内と桜島を眺める景勝地の城山。その中腹に、西郷どんが最期の5日間を過ごした洞窟があります。全面戦争か降伏か、揺れる薩摩軍に、「おはんらにやった命!」といい、意を決して挙兵します。しかし数万の兵力を擁する政府軍に圧倒され、城山のこの洞窟に追い詰められてしまったのです。
写真:浦賀 太一郎
地図を見るこんな狭い所で何日も過ごしたのか!と驚くほど、巨体の西郷どんには小さく寂しい洞窟です。周囲は小さな園地となっていて、木々が茂り木漏れ日が注ぐような、のどかな趣の場所です。屋久杉の工芸品も売っている「おみやげセンターせごどん」の裏手には、大きな西郷どんの像も建っていますよ!
<西郷隆盛洞窟の基本情報>
住所:鹿児島県鹿児島市城山町19
アクセス:西郷洞窟前バス停 徒歩すぐ
時間:見学自由
写真:浦賀 太一郎
地図を見る西郷隆盛洞窟から坂を下って7分ほどの場所に、「南洲翁終焉之地」碑はあります。流れ弾を腰部に受けた西郷どんは、自らの武運つきたることを悟り、仲間に「もうここらでよか」と伝え、介錯を頼み、自刃して果てました。
「不平士族」となった仲間達のために立ち上がった西郷どんの死をもって、日本国内の紛争は終結し、明治以降の日本のカタチが出来上がったということもできます。周囲は閑静な住宅地で、維新の巨人が壮絶な最期を遂げた地とは思えないような場所です。
<南洲翁終焉之地の基本情報>
住所:鹿児島県鹿児島市長田町19-37-2
アクセス:鹿児島駅徒歩約10分
時間:見学自由
西郷どんは、鹿児島市内だけにとどまらず、東京や奄美大島などにも多くの足跡を残しています。今回紹介したスポットは、生まれた地や、意外と知られていない鍬を握って田畑を拓いた時期、そして最期の数日を過ごした地と、西郷どんの魅力を知るうえでは格好のスポットです。ぜひとも鹿児島観光の際は、鹿児島が生んだ英雄・西郷どんの足跡を巡ってみて下さいね!
2018年2月現在の情報となりますので最新の情報は公式サイト等でご確認ください。
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(2024/4/18更新)
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