写真:古都の U助
地図を見る地蔵院の歴史はとても古く、そのはじまりは奈良時代に僧・行基によって摂津の国 昆陽池(こやいけ、今の兵庫県伊丹市)のほとりに建立した地蔵院に始まるとされています。
正式名称は昆陽山地蔵院といい、平安時代になり現在地の北部にある衣笠山の麓に移され足利義満によって再建された後、豊臣秀吉によって現在地へ移されました。
この地蔵院から徒歩10分ほどの地には、北野天満宮や平野神社などお花が楽しめる神社があり、徒歩5分ほどの地には妖怪ストリートとよばれる大将軍商店街のほか、地名の由来となった大将軍神社などの人気観光スポットがあります。
写真:古都の U助
地図を見る地蔵院の山門はちょっと珍しく境内の北側にあり、その山門をくぐって真っ直ぐ奥に地蔵堂がこれまた北向きに建っています。
写真:古都の U助
地図を見るこちらは山門をくぐり右手にある観音堂で、こちらは洛陽三十三所観音霊場の第三十番札所となっています。
写真:古都の U助
地図を見るそしてこちらは本堂前に咲く五色八重散椿です。この椿はもともと豊臣秀吉が天正15(1587)年に北野大茶会を催した際お世話になったお礼にと地蔵院に献木されたもの。初代は残念ながら昭和50年代に枯れてしまいましたが、現在はその2世にあたる椿が見事な花を咲かせます。
2世といってもこの木の樹齢はすでに約120年。京都市の指定天然記念物に指定されているとても見事な椿の木です。
写真:古都の U助
地図を見るこの椿の大きな特徴の1つは、1本の木に白に近い淡い色の花から赤に近い色や絞り(混合色)などバリエーション豊かな花が咲くことです。また地蔵院の椿はかなりな大輪の花を咲かせることでも知られています。
写真:古都の U助
地図を見るもう1つ五色八重散椿の大きな特徴には、花が散るとき花弁が1枚ずつ散っていくという点があります。普通の椿の花が散る際は、花が花首から丸ごと落下します。庭園の足元を彩る散った椿も大変美しいとは思いますが、戦国時代や江戸時代の武将達には打ち首を連想すると敬遠されることもありました。
この五色八重散椿は散り際も良い、と豊臣秀吉も気に入って愛したと伝わります。
写真:古都の U助
地図を見る地蔵院北側にある山門前の石柱です。右の石柱の文字にご注目下さい。そう、ここ地蔵院には赤穂義士でおなじみ、吉良邸討ち入り成功の影の功労者、天野屋利兵衛の墓所があるのです。
写真:古都の U助
地図を見る天野屋利兵衛は元禄年間 活躍した大阪の商人で、赤穂義士を支援した義に厚い人物として伝えられています。町奉行にとらわれ拷問されても口を割らず、討ち入りが成功した後ようやく自白したとされる天野屋利兵衛。『仮名手本忠臣蔵』の第十段には天河屋 義平として登場する彼の「天河屋の義平は男でござる」のセリフはあまりに有名で、ファンも多いことでしょう。京都では他に下京区聖光寺にも彼の墓所があります。
また、地蔵院境内には与謝蕪村の師・夜半亭巴人(やはんてい はじん墓石には宋阿の名が刻まれています)の墓所や句碑もあり、歴史好き文学好きの方がお参りに来られます。
住所:京都府京都市北区大将軍川端町2
電話番号:075-461-1263
拝観時間:午前9時から午後4時
アクセス:京福電鉄 北野線北野白梅町駅より徒歩約7分
京都市バス北野白梅町下車 徒歩約5分
2018年2月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2024/4/20更新)
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