え、1350年前の城?福岡の「大野城」は触れて歩ける国宝級の文化財

え、1350年前の城?福岡の「大野城」は触れて歩ける国宝級の文化財

更新日:2018/03/10 16:29

いなもと かおりのプロフィール写真 いなもと かおり 城マニア・観光ライター
みなさんがイメージする「城」は、豪華絢爛な天守ではないでしょうか?しかし、天守が「城の歴史」に登場するのは、16世紀になってから。安土城を築いた織田信長が、本格的な天守を最初に築いた人だといわれています。今回ご紹介する福岡県の大野城は、天守が登場するよりもずっと前の、7世紀中頃に築城されました。山に築かれた全長約8kmの要塞。古代史の神秘に包まれた大野城は、一体どのような城なのでしょうか。
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日本の城と「大野城」

日本の城と「大野城」

写真:いなもと かおり

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城といえば、姫路城や熊本城のような美麗で巨大な建物をイメージしますが、建物が現存している城はごく一部のみです。戦で燃えてしまったり、もともと建物が築かれない一時利用の城が大半でした。

時代でいえば、美しい天守が出現するのは、戦乱の世が終わりをむかえた江戸時代の少し前頃から。戦が最盛期だった戦国時代には、天守のない「戦うための城」がたくさん築かれました。
城は姿・形を時代の要請に適応させて、日本の歴史に寄り添ってきたのです。

日本の城と「大野城」

写真:いなもと かおり

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日本全国に3万〜4万ほどあるとされる城の中でも、特にレアな城が「古代の城」です。古代の城は、サムライが登場するよりもずっと前、大和朝廷が統治していた飛鳥時代に登場します。古代の城は全国に30城もなく、場所も西日本エリア限定!なかには、記録には残っているもののまだ発見されていない城もありますよ。

日本の城と「大野城」

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福岡県の観光名所、太宰府天満宮のすぐ北側に位置する大野城。この城が築かれた西暦665年は、古墳時代が終わり、日本は律令国家への転換期を迎えた頃でした。国内最古の歴史書『古事記』が完成したのが712年、最古の正史『日本書紀』の完成は720年なので、大野城の誕生はそれよりも前になりますね。

大野城からは博多の街や博多湾がよく見えます!実は、この眺めこそ大野城が築かれた最大のヒントなのです。

超ド級の城が触れる・歩ける!

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写真:いなもと かおり

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大野城は標高410mの四王寺山に築かれた全長約8kmの城です。遺構を探して全周歩いても6時間ほどはかかります。歩き疲れる分、完歩した後の達成感はスゴイ!とても攻め甲斐がある城なのです。

また、大野城跡は国指定特別史跡です。文化財保護法で指定された史跡のうち最高ランク!つまりは、国宝と同じクラスの文化財といえます。例えば、国宝の甲冑や刀は、博物館では展示ケースで守られ触ることはできませんが、大野城は触れることもできるし、さらには城内を散策することもできます!城巡りの醍醐味は、まさにそこ!貴重な歴史を肌で感じられる点です。

古代の城散策を楽しむ3つのポイント

古代の城散策を楽しむ3つのポイント

写真:いなもと かおり

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(1)土塁の上を歩こう
古代の城の特徴は、山の斜面に土や石で城壁を築き、谷を守るようにしてぐるっと囲ってある点です。この築城技術は朝鮮半島から取り入れられたもので、「古代山城」や「朝鮮式山城」などと呼ばれます。

土を盛った防御壁を「土塁」。なかでも、強度を増すために土を叩き固めミルフィーユ状に積んだものを「版築土塁」といいます。古代の城では版築土塁はよく見かける遺構なので覚えておきましょう!

大野城は版築土塁の上を歩けるように整備してあるので、随所に見られる土の高まりを目印に散策してください。

古代の城散策を楽しむ3つのポイント

写真:いなもと かおり

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(2)石垣を眺めて
大野城には版築土塁の他に、石の城壁もありますよ。石垣は全部で5ヶ所ありますが、見どころは「百間石垣」です。長さ180m、高さは最高8mにもなります。平らな場所に積んでいるわけではなく、斜面を登るように築かれた石垣はまるで龍のようですね。

修復は施されていますが、1350年前の人が築いた石垣を間近で楽しめる!興奮するポイントです。

古代の城散策を楽しむ3つのポイント

写真:いなもと かおり

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(3)城門の礎石を探して
大野城の城門は全部で9ヶ所あります。門自体は残っておりませんが、痕跡は残っています。そのひとつが礎石です。礎石には門の木柱が入っていた穴が残されており、大野城でも見つけることができます。

各城門ごとに礎石の穴(「ほぞ穴」という)の形が異なるため、見比べると面白いですよ。どんな形の門が建っていたのか想像するのもひとつの楽しみ方です。

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大野城はなぜ必要だったのか?

大野城はなぜ必要だったのか?

写真:いなもと かおり

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城の内部には、70棟以上の建物跡が見つかっています。これらの建物は、主に倉庫の役割をしていたと考えられ、数カ所にわたって礎石群があります。もっとも歩きやすい礎石群は、散策路上にある「増長天礎石群」です。調査の結果、増長天礎石群では4棟の建物が見つかっており、食料や武器などが収められていたと考えられます。

城内には、もちろん天守のような豪華絢爛な建物はありませんし、殿様も住んでおりませんでした。では、誰がこの城にいたのでしょうか?

大野城はなぜ必要だったのか?

写真:いなもと かおり

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大野城が築かれた当時、朝鮮半島を舞台にした戦がありました。それは国同士の大きな戦で、日本も参戦しています。日本は、朝鮮半島にあった「百済」という国と手を組み、中国のかつての王朝「唐」と、朝鮮半島にあった「新羅」と戦いますが、結果は大敗!日本は、唐・新羅連合軍から攻め込まれるかもしれない、古代史上最大のピンチを招くのです。

この「白村江の戦い」(663年)をきっかけに、国の防衛を目的とした古代の城が築かれました。そのなかでも大野城は、九州の拠点であった太宰府政庁を守る役割があったのです。

大野城内にあった倉庫は籠城に備えるため。そして「防人(さきもり)」と呼ばれる兵士が警備のため駐在し、博多湾の先にある唐・新羅に睨みをきかせていたのです。

古代山城の役割

古代山城の役割

写真:いなもと かおり

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大国の侵攻というピンチを迎え最前線に築かれた大野城でしたが、日本へ攻め込まれることはありませんでした。いずれ古代の城は役割を終え、大野城も廃城となります。

国家レベルで築かれた規模の城である点や、1350年前の日本の歴史を楽しめる点など、中世や近世の城とは一味違う古代の城の魅力を是非堪能してみてください。福岡県にある大野城は、古代山城の入門として最適の城ですよ!

<大野城の基本情報>

住所:福岡県太宰府市太宰府、大野城市乙金、糟屋郡宇美町四王寺ほか
電話番号:092-933-2600(宇美町役場 社会教育課)
アクセス:車の方は、県民の森センターか太宰府城門口付近の駐車場を利用。太宰府ICより20分ほど。
公共交通機関では、西鉄バス「県民の森入り口」バス停から徒歩約50分。または、西鉄「太宰府」駅から徒歩50分

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掲載内容は執筆時点のものです。 2017/12/03 訪問

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