写真:井伊 たびを
地図を見る本郷通りに面したこの「山門」は、200年あまりの年月を経てもなお、何気なく通り過ぎるのが憚れるほどの存在感を放っている。左右に築地の土塀の名残を辛うじて残し、「諏訪山 吉祥寺」の石柱を従え、その前を行き交う人々に歴史を語りかけている。
なぜ?この「吉祥寺」が、あの誰もが住んでみたいと憧れる武蔵野市吉祥寺にナイのか?不思議に思われる方も多いことだろう。本を正せば「吉祥寺」自体も、当初この地にはなかった。
写真:井伊 たびを
地図を見る「曹洞宗 諏訪山 吉祥寺」の創建は長禄2年(1458年)。太田道灌が江戸城築城の際、井戸の中から「吉祥」と書かれた“金印“を見つけ、和田倉門あたりに、これを祀って「吉祥庵」と名づけたのが始まりとされている。その後、大永年間(1521〜27年)に「吉祥寺」と改め開山、家康の代には水道橋あたりに移転した。
ところが、明暦3年(1657年)の大火で類焼し、本駒込の現在地に移り、七堂伽藍を建立し大寺院となった。その際、門前の住人たちも焼け出され、五日市街道沿いの移住地が、現在の武蔵野市吉祥寺である。
山門に掲げられた扁額の「旃檀林(せんだんりん)」とは、仏教で“学校”という意味。こちらには、千余名の学僧が学んだ養成機関があった。現在の「駒沢大学」の前身である。禅学の聖地「吉祥寺」が“学業成就の寺”とされる由縁だ。
写真:井伊 たびを
地図を見る山門から長いナガ〜い参道を歩いて来て、ほっとする間もなく、眼前に広がる境内の広さに驚く。とにかく広い!テニスコートが何面も。いや!テニスコートどころか、サッカー場ができそうな広さだ。
ここ駒込で再出発した「旃檀林」には多くの学寮があり、天明年間には学僧の数は1600人にまで達し、江戸市中最大規模を誇っていた。当時の吉祥寺門前は、書店ばかりであったとか。
ところが、残念ながら昭和20年(1945年)の東京大空襲で、境内の堂舎はことごとく灰燼と化した。辛うじて残ったのが、「山門」と「経蔵」のみである。
そのおかげといってはなんだが、大都会東京にあって、貴重な広々としたこの空間を享受することとなった。ここに身を委ねる充足感。日常の諸々の雑事を矮小化できるひとときを過ごす幸せが、ここにはある。
写真:井伊 たびを
地図を見る本堂、書院、庫裏などが再建されたのは、昭和39年(1964年)のことである。緑青に染まった大屋根が、大空にむかって優雅な曲線を描いている本堂。海老茶色に塗られた柱部分と、真っ白な壁のコントラストがとてもモダンである。でも開かれた窓から、聞こえてくる読経を聞けば、思わず合掌する寺院にいることに気づく。学業成就を願わくばいられない!
写真:井伊 たびを
地図を見る本堂前で護りを固める一対の妖怪!?自分に初めて出合い、自分を見入る人の「あなたは一体何者?」という心のざわめきを、楽しんでいるかのように、こちらを眺めている妖怪。本堂への出入りを制限する、見えないバリアをかけられているようでもある。
写真:井伊 たびを
地図を見る本堂の左手前に背の高い観音さまがいらっしゃる。「縁結びの吉祥観音」である。“縁結び・良縁”のご利益を授かろうと、人知れずそっと手を合わす参詣者も多い。この観音さまは、日中国交回復10周年を記念して、中国から当寺へ寄贈されたもの。
その傍らの碑文には、「日中の文化の縁結びの因縁より、ひいては世の諸々の人の良縁を示現される観音像であります」とある。建立当初から、縁結びの強力パワースポットになっている。男女の巡り合いはもちろん、これから巡り合う人が、全ていい人たちでありますように、こちらの“観音さま”にぜひお祈りしておこう!
写真:井伊 たびを
地図を見る「旃檀林」の隆盛を、現在に伝える「経蔵(きょうぞう)」は、図書収蔵庫であった。こちらは、貞享3年(1686年)に建造されたが、安永7年(1778年)に焼失、その焼け残った礎石をもとに、文化元年(1804年)再建されている。その後、昭和8年(1933年)に大修復が行われ、現在にいたっている。
東京都内に残る江戸時代の建造物として貴重であり、文京区指定文化財である。
写真:井伊 たびを
地図を見る「経蔵」の入口を護る狛犬?というより、どことなく寅のような形相が、建立当時の厳粛さを、そのまま今もとどめている。そのまなざしは、当時「図書収蔵庫」へ出入りした学僧を見守っていたのだろうと偲べば、どこからともなく、語らう学僧たちの声が聞こえてきそうである。
写真:井伊 たびを
地図を見る屋根は桟瓦葺きで、屋根の頂には青銅製の“露盤宝珠(ろばんほうじゅ)”をのせた、「二重宝形造りである。壁面の随所に施された彫刻に注目しよう!当時の技術の粋を堪能したいものだ。
写真:井伊 たびを
地図を見るかつて、どちらの学校にも、背中に薪を担ぎながら、書物を読んでいる像があった、通称・金次郎さん。参道脇には、その「二宮尊徳」の墓碑がある。
また、境内には「お七吉三 比翼塚(ひよくづか)」がある。八百屋お七の伝説では、お七が恋したのは「駒込吉祥寺の寺小姓」という一説もある。せめて死後は鳥の二つの羽のように、常に一緒に居ろよ、という供養碑である。
「吉祥寺」が、学業成就、縁結びの寺と呼ばれ、訪れる参詣者が多い、由縁のひとつなのだろう。
住所:東京都文京区本駒込3-19-17
電話番号:03-3823-2010
アクセス:東京メトロ南北線「本駒込」駅より徒歩7分。あるいは、都営地下鉄三田線「白山」駅より徒歩12分
2018年5月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
この記事の関連MEMO
- PR -
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索
(2024/3/19更新)
- 広告 -