木曽義仲伝説を秘めた古寺の桜も!木曽路に名残の花が咲く

木曽義仲伝説を秘めた古寺の桜も!木曽路に名残の花が咲く

更新日:2018/03/23 13:23

和山 光一のプロフィール写真 和山 光一 ブロガー
現代人と同じように、桜を愛してきた歴史上の人物たち。なかでも県歌「信濃の国」で「朝日将軍」とうたわれる武将・木曽義仲ゆかりの地・長野県木曽には、彼が残した伝説の桜が咲き誇ります。目の前の桜を眺めながら秘められたストーリーに思いを馳せる、そんな桜の楽しみ方があってもいいのではないでしょうか。木曽義仲の足跡を追いながら、美しき木曽路から天下に名をあげた朝日将軍ゆかりの地に咲く桜樹を巡ってみませんか。

「朝日将軍」と称された源氏の猛将・木曽義仲と愛妾・巴御前

「朝日将軍」と称された源氏の猛将・木曽義仲と愛妾・巴御前

写真:和山 光一

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日本の屋根と言われる山岳地帯を通って江戸と京を結ぶ中山道。木曽路はその中山道の一部であり、「是より南 木曽路」の碑の立つ贄川宿から馬籠宿まで十一宿が連なる木曽街道には、桜にまつわる古い伝説が残されています。

木曽義仲が少年期を過ごしたことでも知られる木曽町日義「宮ノ越宿」には、義仲や巴御前にまつわる史跡が点在します。まずは平成4年7月に建てられた施設「義仲館」にて激動の生涯をたどってみるのはいかがでしょう。

武家屋敷風の館で源氏の家紋“笹竜胆”の紋の幕をくぐると、義仲・巴御前の銅像が迎えてくれます。館内には各種の古文書や文献が展示され、悲運の武将と言われる義仲の短くとも壮絶な生涯を分かりやすく解説し、また北陸から京都周辺の義仲ゆかりの地も写真で紹介しています。

<義仲館の基本情報>
住所:長野県木曽郡木曽町日義290-1
電話番号:0264-26-2035
アクセス:中央道伊那ICから車で約30分、JR宮ノ越駅から徒歩5分

「朝日将軍」と称された源氏の猛将・木曽義仲と愛妾・巴御前

写真:和山 光一

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木曽で挙兵し、圧倒的な強さで上洛を果たした木曽義仲は、日の出の勢いから朝日将軍と呼ばれます。しかしながら栄華を誇る間もなくわずか31歳で源義経に討たれました。木曽の山中を京へ駆け上がって行った青春を思うと、周囲の景色もいっそう趣が深くなります。

「義仲館」から長閑な集落の道を辿って600m、山吹山の麓を流れる木曽川の深い淵を「巴ヶ淵」といいます。義仲と巴が水遊びをした所と伝えられ、芭蕉十哲のひとり許六の筆による碑が建っています。この淵に住む竜神が巴に化身して義仲を守り続けたという伝説の地です。

幼少時を過ごした木曽町日義の「日照山 徳音寺」のヒガンザクラ

幼少時を過ごした木曽町日義の「日照山 徳音寺」のヒガンザクラ

写真:和山 光一

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「義仲館」の斜め向かいにあるのが、仁安3年(1168)義仲が病没した母・小枝(さえ)御前を弔うために建立した一族の菩提寺「日照山 徳音寺」です。山号の日照山は朝日将軍木曽義仲に因んだ号です。鐘楼門に向かう参道の両側にはヒガンザクラがこぼれるように咲き乱れ参道を覆っています。

鐘楼門は木曽義仲24代の孫木曽玄蕃尉義陳の発願により、享保8年(1723)尾張藩犬山城主成瀬隼人正正幸の母堂により寄進されたもので、楼上の鐘の音は「徳音寺の晩鐘」と呼ばれ木曽八景のひとつに数えられています。

幼少時を過ごした木曽町日義の「日照山 徳音寺」のヒガンザクラ

写真:和山 光一

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幼少期を信濃権守・中原兼遠の元で過ごした義仲は兼遠の息子・兼平・兼光、娘・巴と共に養育され、生涯を共にする深い絆が生まれました。境内の本堂前にはそんな少女時代の巴御前の騎馬像があり、幼少期に野山を駆け巡った姿が思い浮かびます。

また本堂左手には武将姿の義仲の木像と位牌が安置された霊屋があります。

幼少時を過ごした木曽町日義の「日照山 徳音寺」のヒガンザクラ

写真:和山 光一

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裏手の墓所には、義仲の墓を中心に右側に母・小枝御前、今井四郎兼平と左側に巴御前と樋口次郎兼光の墓が並びます。

<徳音寺の基本情報>
住所:長野県木曽郡木曽町日義124-1
電話番号:0264-26-2520
アクセス:中央道伊那ICから車で約30分、JR宮ノ越駅から徒歩5分
見頃:4月下旬〜5月上旬

木曽家の菩提寺「萬松山 興禅寺」と名庭ふたつ

木曽家の菩提寺「萬松山 興禅寺」と名庭ふたつ

写真:和山 光一

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「入鉄砲に出女」とは江戸時代の関所の厳しい取り締まりを指す言葉ですが、東海道の箱根と新居、中山道の碓氷と並び天下四大関所のひとつと数えられた福島関所とその関守である山村代官の陣屋が置かれ、中山道の守りの要衡として栄えたのが「木曽福島宿」です。

その福島宿で桜見物をするなら、永享6年(1434)木曽家12代信道公が先祖義仲公菩提のため、荒廃していた旧寺を改建した「萬松山 興禅寺」がおすすめです。今なお木曽氏・山村氏の菩提寺であり、樹齢300年を越える木曽ヒノキの古木が混じる興禅寺山を背に諸堂が整然と配置された臨済宗妙心寺の禅宗寺院として落ち着いた雰囲気を保っています。

写真正面奥の門は、治承4年(1180)源行家が以仁王の勅使として平家追討の令旨をこの門を通り観音堂において義仲に伝えたことから勅使門と称しています。

木曽家の菩提寺「萬松山 興禅寺」と名庭ふたつ

写真:和山 光一

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東福寺の方丈庭園で有名な現代作庭家の巨匠・重森三玲により昭和37年(1962)に設計されたのが庫裏前の「看雲庭」です。禅宗庭園として一木一草を用いない東洋一の広さを誇る枯山水の石庭で、雲海の美をテーマにしたモノトーンの見事な景観を見せています。やはり木曽は山岳地帯なので、石庭の漆喰の雲紋は雲海の雲の動きを表し、雲上に浮かぶ山を表現しています。

木曽家の菩提寺「萬松山 興禅寺」と名庭ふたつ

写真:和山 光一

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庫裏西側の斜面を利用した池泉観賞式庭園が「万松庭」です。江戸中期金森宗和の作庭で、中心に池を設け、築山は松を主体に植込みを作り静かな雰囲気を醸し出しています。「看雲亭」とは全く対照的な庭で、石庭の力強さに対して温和な心の安らぎを感じさせてくれます。江戸と現代の対照的な趣を楽しむことができますよ。

義仲ゆかりのシダレザクラが木曽谷の風にそよぐ「興禅寺の時雨桜」

義仲ゆかりのシダレザクラが木曽谷の風にそよぐ「興禅寺の時雨桜」

写真:和山 光一

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枯山水の看雲庭とともに参拝者の目を楽しませるのが、観音堂の傍らに大きく枝を伸ばす義仲公お手植えと伝えられるシダレザクラです。昭和2年(1927)の火災で焼失し、現在の桜は根から芽吹いて成長したため、2代目とされています。推定樹齢90年、幹周り221cm、樹高6.5m、濃い紅の花を満開に咲き誇る姿は空から桜が降ってくるようで、「興禅寺の時雨桜」と呼ばれます。

種田山頭火が興禅寺に来た時に詠んだ句「たまたま 詣でて木曽は 花まつり」の句碑があります。

義仲ゆかりのシダレザクラが木曽谷の風にそよぐ「興禅寺の時雨桜」

写真:和山 光一

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境内の東北隅にあるのが、義仲が巴御前に託した遺髪が埋められているという「木曽義仲公の墓」です。寿永3年(1184)1月21日粟津ヶ原で源義経らの軍勢に敗れて、31才でこの世を去りましたが、その時僅か護衛13騎、その中に巴の姿があり、「義仲死に臨み女を従うは後世の恥なり、汝はこれより木曽に去るべし」と遺髪を巴御前に託したのです。写真中央の宝篋印塔が義仲公の墓です。

ここにも山頭火の句「さくら ちりをへたるところ 旭将軍の 墓」の句碑があります。

<興禅寺の基本情報>
住所:長野県木曽郡木曽町福島5659
電話:0264-22-2428
アクセス:JR木曽福島駅から徒歩20分
見頃:例年4月20日頃

木曽家ゆかりの「定勝寺」の山門前にゆれるシダレザクラ

木曽家ゆかりの「定勝寺」の山門前にゆれるシダレザクラ

写真:和山 光一

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「須原宿」は木曽谷の中でも一番早く開けた宿場町で江戸末期の大火後、復興された街並みが残ります。ここにも木曽家ゆかりの「浄戒山 定勝寺」があります。木曽町福島の興禅寺、長福寺とともに木曽三大寺のひとつです。室町時代後期、嘉慶年間(1387〜1388)に木曽氏11代親豊が祖先の菩提を弔うために開創したと伝わります。

桜の名所としても知られ、禅寺の山門前を彩る淡い紅色のシダレザクラが、天から降り注ぐように咲き誇ります。幹周り225cm、樹高12mと、幹自体は細身ですが枝ぶりは素晴らしく、荘厳な寺を背景に雅な花姿にカメラを向ける人も多くいます。

木曽家ゆかりの「定勝寺」の山門前にゆれるシダレザクラ

写真:和山 光一

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山門へ続く参道は格段の段差が小さくしてあり、山門を潜って振り返ると檜皮葺の山門がよくわかり、屋根のカーブがとても優雅です。桃山風の豪壮な建築様式となっていて、山門・本堂・庫裏が国の重要文化財となっています。

<定勝寺の基本情報>
住所:長野県木曽郡大桑村須原831-1
アクセス:長野道塩尻ICから車で60分、中央道伊那ICから車で70分、JR須原駅から徒歩10分
見頃:4月中旬

朝日将軍との絆を知るゆかりの地に咲く桜

中山道69次の32番目の宿場町で善光寺街道との追分の宿であった洗馬宿付近にもき木曽義仲ゆかりの桜があります。山手にあった古薬師堂を義仲が光輪寺近くの地に移した際にお手植えされたと伝わるソメイヨシノの2代目です。樹齢100年の老木は茅葺屋根の薬師堂の傍らに枝を広げ、素朴ながら華やかで県外から多数のカメラマンが訪れます。

木曽地域以外にも義仲の伝説は残ります。それは挙兵の際、自前の兵を持たない義仲が兵を集めるため信濃国中を回ったからです。戦勝祈願をしたという上田市丸子にある岩谷堂観音には義仲が自ら植えたという樹齢800年のエドヒガンザクラ「義仲桜」があります。

こうした桜が大切に保存されていることからも木曽義仲が信州でどれほど愛されているかがわかりますね。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2017/04/23 訪問

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