巡りやすくて見所たくさん!「広島城」はココを攻めよ

巡りやすくて見所たくさん!「広島城」はココを攻めよ

更新日:2018/04/01 18:27

浦賀 太一郎のプロフィール写真 浦賀 太一郎 週末トラベラー
中国地方最大の都市・広島。戦国時代、山陰山陽の覇者・毛利氏は、太田川下流の三角州に目を付け、もっとも「広」い「島」地であった五箇村に本格的な近世城郭を築城します。江戸時代、三百諸侯と云われた諸藩の中でも42万余石と、堂々の第8位に君臨!今回は、そんな広島の観光名所「広島城」の中でも、ここさえ行けばすべてがわかるという場所をピックアップ。広島城を陥落させる急所を私がお教えします!

広島城は防御に難あり?お堀と天守を攻める

広島城は防御に難あり?お堀と天守を攻める

写真:浦賀 太一郎

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まず最初に攻めておきたいのがココ!広島城は「防御に難あり!」とされる「平城」であるということ。下剋上の世が終わりを告げ、山の上にあった城は、続々と暮らしやすい平地へと下ってきました。いかにも攻めやすそうな縄張りですが、実際に豊臣・徳川政権下で謀反の疑いを掛けられぬよう、わざと攻めやすそうにしたとさえ言われているんですよ。

水の豊富さを活かした幅広な水堀も大きな特徴で、本丸、二の丸はさながら水に浮かぶ島の様に見えます。遊歩道が整備されたお堀の外周を攻城軍の気分で歩けば、その規模の大きさが分かります。今では本丸、二の丸を残すのみですが、かつては「総構(そうがまえ)」と呼ばれる、城下町を丸ごと囲んだ、典型的な近世城郭だったのです。

広島城は防御に難あり?お堀と天守を攻める

写真:浦賀 太一郎

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天守は「複合連結式望楼型5重5階」という、稀に見る規模と板張りの古風な様式で、天守台を合わせると、およそ39mとかなり高層で日本有数のド迫力!昭和初期までは現存し、国宝に指定されていましたが、原子爆弾によって倒壊してしまいました。

その後鉄筋コンクリートで外観復元され、現在に至りますが、外観だけでも復元されているだけあって、目の前で見るととっても大きく見えるんです!

広島城は防御に難あり?お堀と天守を攻める

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天守閣内部は歴史博物館になっていて、広島の発展や武家文化を伝える内容が充実し、見応え十分。望楼となっている最上階は広島の町が一望でき、ムシ暑い真夏の広島でも、風の涼しさを感じることができますよ。

復元された櫓群!小さな二の丸の秘密とは

復元された櫓群!小さな二の丸の秘密とは

写真:浦賀 太一郎

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攻めるに易い広島城ですが、大事な所をスルーして通らないでください!現在の広島城の実質的な入口「二の丸」にこそ、このお城の一大特徴があるんです。普通二の丸といえば、本丸をぐるりと覆いかぶさるように取り囲み、城郭防衛の最終防衛ラインといっても過言では無い施設なのですが、広島城の二の丸は、ポツンと本丸の横っちょに浮かんでいます。

実は、この二の丸は、「馬出(うまだし・城内からの出撃拠点)」の機能を備えていたと言われています。攻撃は最大の防御!という諺もあるように、守備的な目的というよりも、むしろ攻撃的に城を防御しようという考えのもとに作られているのです。

写真は、右の櫓が太鼓櫓。長く続いている多聞櫓、奥に見えるのが平櫓で、それぞれ木造で忠実に復元されています。

復元された櫓群!小さな二の丸の秘密とは

写真:浦賀 太一郎

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復元された御門橋でお堀を渡り、表御門をくぐり二の丸に入ることができます。二の丸では、表御門、平櫓、多聞櫓、太鼓櫓の建物を復元、公開しており、それぞれつながっていて、全ての櫓を見学することができます。

ちなみに、本丸からは二の丸内部がよく見えますが、外側からはどのような構造なのかが見えない普請がなされており、攻撃的と言いつつも、じつは相手の目を惑わせるような工夫も施されたりしているんです!

復元された櫓群!小さな二の丸の秘密とは

写真:浦賀 太一郎

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太鼓櫓では、史実に忠実に、櫓の二階に時を知らせる太鼓が置かれていましたが、広く見学者に触れてもらえるよう、一階に移し、誰でも太鼓を叩くことができるんですよ。櫓内の展示では、毛利氏や櫓に関して、多くの豆知識を得ることができますよ!

石垣に垣間見る!広島城の奥深い歴史

石垣に垣間見る!広島城の奥深い歴史

写真:浦賀 太一郎

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城郭遺構といえば石垣!広島城の石垣は、ニクイほどに広島城そのものの歴史を今に語り継いでいます。紹介したい石垣は山程ありますが、ここだけは押さえて欲しいところをピックアップして紹介します。

最大88もあったとされる広島城の櫓。全国でも屈指の数です。その全ては現存せず、往時を偲ぶ縁(よすが)となるのが、お堀の外周から眺めることのできる、古してなお壮麗に佇む石垣です。

ずっと見ていくと、何ヶ所も張り出している部分があるのが分かりますが、そこが、かつて櫓が存在していた櫓台なのです。時間があれば、周囲を回って内堀だけで幾つあるか数えてみても楽しいですね!

石垣に垣間見る!広島城の奥深い歴史

写真:浦賀 太一郎

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二の丸から本丸への虎口(入口)である中御門跡の石垣には、鏡石(かがみいし)と呼ばれる、当時大ブームとなった石垣があります。城主の威厳を見せつけるため、城内の重要な場所、主に大手筋の虎口の石垣に巨大な石を埋め込みました。城郭の威風をPRする広島城最大の石垣は、毛利氏時代に積まれたものとされています。

石垣に垣間見る!広島城の奥深い歴史

写真:浦賀 太一郎

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関ヶ原合戦で総大将を務めながらもほとんど参戦することなく敗北した築城主の毛利輝元は、徳川家康の怒りを買って周防長門(山口県)へ転封され、代わりに武功を挙げた福島正則が入ります。

その正則も、未完成であった広島城下の整備・拡張を行い、武家諸法度違反を咎められ、城を去ることになります。上の写真は、正則が潔白を証明すべく一部の石垣を崩したとされる遺構で、本丸に人知れず現存しています。

ちなみに福島氏の後に入った浅野氏は、江戸期を約250年12代統治し、明治維新を迎えますが、その間も地震や経年劣化の修復など、地道な拡張・改修を行っていたことがわかっています。

1945年8月6日原子爆弾投下。広島城に見る被爆の実態

1945年8月6日原子爆弾投下。広島城に見る被爆の実態

写真:浦賀 太一郎

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広島城を巡っていると、所々に「被爆樹木」と表示される樹木が見られます。これは、1945(昭和20)年8月6日にアメリカによって投下された、原子爆弾に被爆しながらも、現在に残っている樹木のことです。

写真は内堀の外周にあるクスノキで、爆心地から約1120mの距離にあります。幹は途中で折れ曲がっており、被爆の影響と考えられています。城内にも、ユーカリノキ(爆心地から約740m)、クロガネモチ(同910m)がのこり、それぞれ城郭遺構が炎上する中生き残った樹木です。

1945年8月6日原子爆弾投下。広島城に見る被爆の実態

写真:浦賀 太一郎

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江戸時代から残る貴重な現存建造物を軒並み破壊した原爆ですが、その凄まじさを語る城郭遺構として、赤茶けた石垣が遺っています。写真は中御門の石垣ですが、他に表御門の石垣にも見ることができます。

1945年8月6日原子爆弾投下。広島城に見る被爆の実態

写真:浦賀 太一郎

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城内は戦中、軍の施設が設置されていましたが、中国軍管区司令部の地下通信室は、原爆投下によって市内の通信網を破壊され、通信不能となっていましたが、辛うじてこの通信室の軍事用電話のみが残り、女学生が原爆投下の第一報とされる、広島の壊滅を通信したと言われています。

広島城を巡るにあたっては、戦災、それも原子爆弾の惨禍を伝える遺構も、悲しいことですが重要な見所の一つといえるでしょう。

様々なバリエーションも!お堀に映える天守ライトアップ

様々なバリエーションも!お堀に映える天守ライトアップ

写真:浦賀 太一郎

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日中の城めぐりだけで満足して帰ってしまっては大損をしてしまいますよ!広島城は夜間、天守閣のライトアップが行われています。お堀の周りをのんびり歩き、夜空にそびえる天守閣の優美な姿を拝む時間は至高そのもの!

水面に映る天守も美しいですよ!時期やイベントで、様々な色に装飾されるので、詳しくはMEMO欄の公式HPなどで調べて訪れてみて下さい。

様々なバリエーションも!お堀に映える天守ライトアップ

写真:浦賀 太一郎

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夜間は天守閣には上れませんが、本丸までは常時解放されているので、ライトアップされた天守閣の目の前まで行くことができます。大きな天守閣なので、夜間は特に迫力満点です!

広島城は、国の史跡に指定され、日本百名城にも選定されている、まさに「名城」です。天守閣と二の丸の櫓以外は常時開放されているので、旅の朝の散歩や出張の夜の隙間時間など、ちょっとしたタイミングで散策しやすいんです。広島に訪れた際は、ぜひ立ち寄ってみて下さい。お城初心者も、お城通も、満足度の高い「城めぐり」ができること請け合いですよ!

広島城の基本情報

住所:広島県広島市中区基町21-1
電話番号:082-221-7512
アクセス:山陽本線新白鳥駅から徒歩約15分・広島電鉄紙屋町東徒歩約10分
開城時間:城内は終日解放、ライトアップは日没〜22:00
天守閣 9:00〜18:00(12月〜2月は〜17:00・最終入城は各30分前)
二の丸(櫓群) 9:00〜17:30(11月〜3月は〜16:30・最終入城は各30分前)

2018年4月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2017/08/06 訪問

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