名古屋地区最古の鉄道・武豊線に潜む歴史を訪ねよう

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名古屋地区最古の鉄道・武豊線に潜む歴史を訪ねよう

名古屋地区最古の鉄道・武豊線に潜む歴史を訪ねよう

更新日:2018/04/03 10:38

池口 英司のプロフィール写真 池口 英司 フリーライター、フォトグラファー 日本写真家協会(JPS)会員

JR武豊(たけとよ)線は、愛知県の知多半島の東寄りを南北に走る路線です。開業は1886(明治19)年3月と古く、名古屋地区で最初の鉄道としてのスタートでした。最近は通勤路線として利用されている路線ですが、その長い歴史が反映され、沿線にはさまざまな歴史遺産が残されています。

東海道本線を建設するために敷かれた路線

東海道本線を建設するために敷かれた路線

写真:池口 英司

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武豊線が建設された目的は、東京と関西圏を結ぶ幹線を建設するために武豊港に荷揚げされた建設資材を、名古屋方面に運搬することにありました。平坦な場所が多い知多半島は鉄道の建設が容易で、資材運搬のルートに選ばれたのです。

鉄道が完成すると、地元の要望を受け入れて旅客列車の運転も始まり、まず1日に2往復の列車の運転が開始されました。現在は新型電車が走る路線ですが、今も沿線のいたる所に、昔懐かしい歴史遺産が残されています。

東海道本線を建設するために敷かれた路線

写真:池口 英司

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半田駅の跨線橋は1910(明治43)年に使用開始。昔と変わらず使用されている跨線橋としては、JR最古のものと伝えられています。丁寧に保守されていますが、使用されている鋼材、狭い通路などに年代を感じることができます。

東海道本線を建設するために敷かれた路線

写真:池口 英司

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半田駅にある危険物保管庫。通称「ランプ小屋」。まだ家屋の耐火構造が不備だった時代には、燃料用の石油などを保管するために、駅構内にレンガなどを使用した専用の保管庫が建てられました。今は、ほとんどが取り壊されてしまいましたが、残されたものは鉄道の長い歴史を物語る貴重な遺産となっています。

半田に残る懐かしい町並み

半田に残る懐かしい町並み

写真:池口 英司

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武豊線の主要駅となっている半田は、醸造の町としても発達し、今も大手メーカーの工場が置かれています。運河に沿って木造の蔵が並ぶ、江戸時代の面影が残る風景も、この町の遺産として大切に守り続けられています。

半田市内には、このほかにも明治時代に建てられた赤レンガの建物や、個人住宅が残り、この町が近代になって大きく発展を遂げたことが窺える証言者となっています。

半田に残る懐かしい町並み

写真:池口 英司

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半田の町を象徴する木造の蔵。壁を潮風から守るためにコールタールが塗り込まれたことで、独特の景観が創り出されました。

半田に残る懐かしい町並み

写真:池口 英司

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蔵が建ち並ぶ一角にある「MIZKAN MUSEUM(ミツカンミュージアム)」。館内では、酢づくりの歴史や、日本の食文化の移り変わりについてを学ぶことができます。

<基本情報>
住所:愛知県半田市中村町2-6
電話番号:0569-24-5111
アクセス:JR半田駅から徒歩5分

亀崎に残る古い駅舎と町並み

亀崎に残る古い駅舎と町並み

写真:池口 英司

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武豊線の中間駅の一つ、亀崎駅の駅舎は、現存する最古の駅舎ともいわれています。現存する最古の駅舎はどこかについては諸説があるのですが、この建物が明治前期に建てられたことは間違いがなく、やはり貴重な遺産となっています。

<基本情報>
住所:半田市亀崎常盤町2-156

亀崎に残る古い駅舎と町並み

写真:池口 英司

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亀崎の旧街道沿いには、今も懐かしい眺めの町並みが残っています。近世以降には漁村としてだけではなく、街道沿い中継地、醸造の町、あるいは織物業の町として栄えたという亀崎。きっと多くの人が、この道を行き交ったことでしょう。

亀崎に残る古い駅舎と町並み

写真:池口 英司

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亀崎の街道近くにある神前(かみさき)神社は、「子供の神様」として親しまれている神社です。ゆったりとした造りには存分な風格が。寺社仏閣は、心の拠り所として、人々の暮らしになくてはならない存在となっていました。

<基本情報>
住所:半田市亀崎町2丁目92
電話番号:0569-28-0019
アクセス:JR武豊線亀崎駅下車徒歩10分

武豊駅の先に残る廃線跡

武豊駅の先に残る廃線跡

写真:池口 英司

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武豊線の終着駅・武豊。現在の駅は、1892(明治25)年に移転して開業したもので、駅員が配置されていない小さな駅舎に隣接して、短いホームが造られています。

<基本情報>
住所:知多郡武豊町金下3−6

武豊駅の先に残る廃線跡

写真:池口 英司

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武豊線が開業した時の武豊駅は、今よりも海寄りに設けられていました。駅が移転した後、旧駅は貨物専用の武豊港駅として使用されましたが、それも1965(昭和40)年に廃止。線路跡の一部は、今は遊歩道として使用されています。

武豊駅の先に残る廃線跡

写真:池口 英司

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武豊港駅の跡地には、今も腕木式信号機や、貨車専用の小さな転車台が残され、ここに駅があったことを示すモニュメントとなっています。鉄道が開通すると武豊港には石油基地が建設され、武豊線が石油輸送に活躍した時代もありましたが、それも今は昔語りとなってしまいました。

鉄道に残る近代日本の足跡

このように武豊線沿線には、近世、近代以降の日本の歩みを物語る遺産が数多く残されています。まだ、自動車が未発達だった時代、鉄道は人と、あらゆる物資を高速で運ぶことができる唯一の交通機関でした。駅には多くの人が集い、町が現れて、新しい文化が創出されていったのです。鉄道の歴史には、日本の近代化の歩みが映し出されています。

2018年4月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2018/01/14 訪問

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