写真:井伊 たびを
地図を見る東京都台東区の“鶯谷”と言えば?ラブホ街を想像する方も多いことでしょう。そんなラブホ街のド真ん中に、今回ご紹介しょうとする「元三島神社(もとみしまじんじゃ)」がある。変形土地で段差のある境内は、狭いながらも工夫された佇まい。エ〜!ラブホ街へ?と少々躊躇される方もいらっしるだろうが、勇気をもって足を進めてみましょう。ちなみにこちらは、「下谷・七福神めぐり」のひとつに数えられる神社である。
写真:井伊 たびを
地図を見る鶯谷駅前といえども、境内の入口はJR線路には面していない。ラブホ街を回り込んだところ、忽然とこちらの門が現れ、鳥居や参道へと導いてくれる。境内には成木である巨木が多く茂り、都会にあっても、心安らぎ目に優しい、緑のパワースポットが迎えてくれる。
写真:井伊 たびを
地図を見る当社の起源は、弘安4年(1281年)、「弘安の役(こうあんのえき)」の代まで遡る。鎌倉時代の勇将であった“河野通有(こうのみちあり)”は、二度目の蒙古襲来に抗して九州へ出兵。勝利して上野山へ戻り、故郷である愛媛県大三島の大山祗神社(おおやまつみじんじゃ)のご祭神を、上野山の河野邸に勧請したのが、当社の始まりである。
写真:井伊 たびを
地図を見る当社は度々の遷座の運命にあっている。慶安3年(1650年)、3代将軍徳川家光に社地移転を命ぜられ、金杉村に遷座。さらに宝永7年(1710年)、社地が幕府の御用地に指定されたため、浅草小揚町(現 台東区寿、寿三島神社)に遷座。その後、現在地に落ち着いている。
ところで、社殿は見あげるほどの階段の上にある。足腰に自信のない方は、残念ながら階段下からのお参りになる。
写真:井伊 たびを
地図を見るご祭神は日本総鎮守とされる「大山祗命(おおやまつみのみこと)」である。和足彦命(石長姫命)、身島姫命(木花開耶姫命)、上津姫命、下津姫命を配祀されている。
また当社には“下谷七福神”の一柱である、「寿老人(寿老神とも呼ばれる)」が、社殿奥に祀られている。長寿延命の神様として有名な「寿老人」。“富貴長寿”というご利益からも連想できるが、ただ長生き出来るだけでなく、富を携えた長寿をもたらす神様として、昔から多くの人に崇められている。
当社のご利益としては、金運、商売繁盛、防災、健康長寿、安産などがある。
写真:井伊 たびを
地図を見る鳥居をくぐれば、尻尾を高くあげ、躍動感あふれる若き狛犬が迎えてくれる。もともと当社の狛犬は、明治35年(1902年)5月、氏子の篤志家により建立されたのが始まりである。
写真:井伊 たびを
地図を見るその後、昭和20年(1945年)3月の戦災で損傷していたが、昭和51年(1976年)4月に修復された。しかし、平成23年(2011年)3月11日、あの“東日本大震災”にて、残念ながら崩壊してしまった。
写真:井伊 たびを
地図を見る現在の狛犬は、平成24年(2012年)5月生まれである。
写真:井伊 たびを
地図を見るここ根岸は、“正岡子規”のゆかりの地である。正岡子規といえば、日本人なら誰しも一度は聞いたことのある名前。明治時代の俳人であり、ジャーナリストだった。その“子規”が、明治27年(1894年)こちらへ移り住み、明治35年(1902年)までの約8年間を過し、病没した「終焉の地」である。
境内にあるこちらの句碑は、“子規”没後百年記念として、「松山俳句協会」から寄贈されたものである。「木槿(むくげ)咲て 繪師(えし)の家問ふ 三嶋前」は、当社の奥にあった、明治時代の洋画家“浅井忠(あさいちゅう)”邸を訪ねた際に詠まれた句である。
また、お時間に余裕があれば、こちらから歩いて約5分のところにある「子規庵」も、あわせて訪ねられることをお勧めする。
住所:東京都台東区根岸1-7-11
電話番号:03-3873-4976
アクセス:JR山手線「鶯谷駅」北口より、歩いて30秒あまり
2018年1月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2024/3/19更新)
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