写真:小野 浩幸
地図を見る上坂田地区までは公共交通がないため、車でのアクセスになります。
JR豊肥本線「豊後竹田駅」から車で約20分。穏やかな田園風景が続く地方道を走っていきますと、磨崖仏の入口となる古い木製の鳥居と立札風の案内板が建っています。
写真:小野 浩幸
地図を見る目印となる鳥居の扁額には「神明社」と刻まれており、案内板の解説にも「上坂田磨崖神像」と書かれています。「磨崖仏」という名称は後につけられたのでしょう。地元では神として祀られており、「神明様」と呼ばれて親しまれているようです。
写真:小野 浩幸
地図を見る車は少し広くなっている道路の脇に停めて、ここからは徒歩で向かいます。鳥居を潜り、田んぼの端に伸びる畦道へ歩を進めます。
写真:小野 浩幸
地図を見るやがて畦道は山道へ、急な登り道に変わります。舗道整備などしていませんので、雨の日や雨の降った翌日などは滑りやすくなりますので、天候にも注意が必要です。
写真:小野 浩幸
地図を見る30mほど登ったら、あとは林の中を多少昇り降りしながら縦走的に進んでいきます。
写真:小野 浩幸
地図を見るそして鳥居から約300m、時間にして約7分ほど歩いた先に、ポッカリと四角い口を開いた不気味な洞窟が見えてきます。
写真:小野 浩幸
地図を見る石碑や観光協会のサイトでは「上坂田磨崖仏」と称していますが、洞窟の入口には紙垂のついた注連縄が張られています。
写真:小野 浩幸
地図を見る洞窟の正面には神棚が祀られています。それを守護するかのように右側の岩壁に半肉彫りで刻まれた異様な磨崖仏が「上坂田の磨崖仏(神像)」です。
写真:小野 浩幸
地図を見る全身でなく、胸から上までの像。手の変わりに羽を広げたような造形は、隠れキリシタンが彫った天使像ではないかとも邪推できますが、それを裏付けるものは何もありません。
写真:小野 浩幸
地図を見るつり上がった目には赤い彩色の跡が残り、表情は歯を剥き出しにしています。明王像などに見られる憤怒の形相とも違う独特の表情です。
写真:小野 浩幸
地図を見る正面の神棚は比較的新しいものですが、ここに何かを祀っていたと思われる祭壇のようにくり抜いた跡が見られます。
写真:小野 浩幸
地図を見る左側に祀られていた石像。これも神様なのか仏様なのか分かりにくい造形です。胸には「×」が刻まれていて、それが一体何を意味しているのか、悩み苦しむばかりです。
写真:小野 浩幸
地図を見る洞窟の入口付近に「嘉永六年」(1853年)と刻まれています。1853年といえばペリー率いる黒船が浦賀にやって来た年で、新たな時代へ向かう節目の年でした。
キリスト教禁止令が出て240年も経っており、その間に信仰が続いてきたというのも考えにくいのですが、明らかに従来の宗教では見られない造形ばかりです。
写真:小野 浩幸
地図を見る多くの謎が残る「上坂田の磨崖仏」は、いかがでしたでしょうか。
竹田市内には、他にも宣教師をかくまった洞窟礼拝堂や籠目権現と呼ばれる日本人離れした石像を祀る不思議な社など、ミステリアス・スポットが多く点在しています。
住所:大分県竹田市上坂田719
アクセス:JR豊肥本線豊後竹田駅から車で約20分、阿蘇くまもと空港から車で約1時間30分
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