複雑なプーリアの歴史を象徴する南伊バーリの顔「ノルマンノ・スヴェヴォ城」

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複雑なプーリアの歴史を象徴する南伊バーリの顔「ノルマンノ・スヴェヴォ城」

複雑なプーリアの歴史を象徴する南伊バーリの顔「ノルマンノ・スヴェヴォ城」

更新日:2018/04/20 17:41

ケイコ ソリーノのプロフィール写真 ケイコ ソリーノ プーリア旅コーディネーター、チーズ教室主宰

東西を海に囲まれた特異な環境から、土地の支配者が幾度となく変わった歴史をもつイタリアのプーリア州。その州都バーリで時を経て輝くひとつの城が「ノルマンノ・スヴェヴォ城」。

この城を訪れるとプーリアの歴史が一目瞭然!複雑な歴史を象徴する建物ですが、現地でその軌跡を辿ってみるのもいいものですよ。

城のはじまりは海沿いの要塞

ノルマンノ・スヴェヴォ城は旧市街の南西に位置し、無骨ながら力強さ感じさせる佇まい。「バーリの顔」といえる代表的な建物です。この城は、複雑な歴史背景からさまざまな様式が複合した建築物で、紀元後5世紀から現代まで数多くの支配者を迎えてきました。

ここからはゆっくりと、城の歴史に沿って読み進めていきましょう!

城のはじまりは海沿いの要塞

写真:ケイコ ソリーノ

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まずは城の基礎から。この地を支配していた西ローマ帝国亡き後、紀元後5世紀にプーリアへやってきた東ローマ帝国。彼らは海沿いに要塞を築きます。これが、この城の長い歴史のはじまりです。

現在、城の1階にある「ホーエンシュタウフェン王家の間」では、当時の教会やお墓が遺跡として残り、現代の私たちでもその姿を間近に見ることができます。およそ1600年も前の遺跡を見られること自体が奇跡、さすが!歴史の国イタリアの環境です。

城のはじまりは海沿いの要塞

写真:ケイコ ソリーノ

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さらに、同じく1階にある「マルチメディア室」の階段を下り、地下に進むとここにも当時の遺跡。ここでは、城の基礎となった要塞のオリジナルを見ることができます。当時の壁の厚さはなんと6.5メートルもありました。

城のはじまりは海沿いの要塞

写真:ケイコ ソリーノ

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フェデリーコ2世の個性が光る建物入口の空間

その後、12世紀のノルマン時代にプーリア公爵で後にシチリア王となるルッジェーロ2世が、元々あった東ローマ帝国の要塞の上に城を築きます。これが城としての第一歩。

敵から身を守るための防御機能をもつ城でありながら、王の重臣をここに住ませ、自分達の権力を常にバーリ市民に見せつけることも築城の目的のひとつでした。

そして、プーリアの歴史を語る上で忘れてはならないのがフェデリーコ2世。シチリア・ナポリ王国の王であり、ルッジェーロ2世の孫。数々の領土を手に入れ、イタリアにおいては当時ローマ教皇と勢力を二分した人物。

13世紀にこの地を手に入れ、残された城壁や塔の骨組みを再利用して改修を行いました。現在の城には文化人であった彼が芸術性を城に求めた跡が見て取れる当時の建物入口(写真)がそのまま残っています。

フェデリーコ2世の個性が光る建物入口の空間

写真:ケイコ ソリーノ

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当時ここにはフェデリーコ2世の命令で、地元の職人のほかにアラブ人の石細工職人も働いていました。

柱頭のレース編みのような繊細な彫刻は柱ごとに1本ずつ異なり、イスラムの神殿を思わせるかのような造りです。これもイスラム文化に精通していた彼らしさの名残ですね。

フェデリーコ2世の個性が光る建物入口の空間

写真:ケイコ ソリーノ

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フェデリーコ2世の時代に、ある有名人にまつわるエピソードが残されています。

アッシジの修道僧であった聖フランチェスコがエルサレムへ行く途中、この城で数日過ごします。その際、ローマ教皇と対立していたフェデリーコ2世が女性を遣わせて堕落させようと試みましたが、失敗に終わるというもの。

きっと聖フランチェスコもこのできごとの後には、この中庭を眺めて心を落ち着かせたことでしょう。

フェデリーコ2世の個性が光る建物入口の空間

写真:ケイコ ソリーノ

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今も城内に残る愛人の家紋

次に続いたのが、13世紀から14世紀にかけてこの地を支配したアンジュー家。劣化が激しかった北側の外壁を修復して、城内からダイレクトに海へ脱出するための扉(写真)や礼拝堂、パーティー用の広間を加えました。現在、城の周囲は埋め立てられ、この扉からすぐに海に辿りつくことはできません。

今も城内に残る愛人の家紋

写真:ケイコ ソリーノ

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その後、1464年アラゴン王家のフェルディナンド1世がこの城とともにバーリの街をミラノ公爵のスフォルツァ家に譲渡。スフォルツァ家といえば、ミラノにあるスフォルツァ城(またはスフォルツェスコ城)で有名ですね。

城は邸宅にリフォームされ、1501年からルドヴィーコ・スフォルツァの妻イザベッラと後にポーランド女王になる娘のボーナが住みました。

また、ボーナは現在見ることができる城を囲む石造りの城壁や堀を新たに造らせ、礼拝堂(写真)をポーランドの国を守る聖スタニスラオに捧げます。

今も城内に残る愛人の家紋

写真:ケイコ ソリーノ

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そして、城の管理をナポリ貴族のパッパ・コーダ氏に一任。噂では彼はボーナ・スフォルツァと愛人関係にあったとされています。城内には、パッパ・コーダ家の家紋が1階のマルメディア室、2階の「アンジュー家の間」(写真)のそれぞれの壁に残されています。当時どれだけこの一族が権力をもっていたか?が見て取れますね。

ちなみに、パッパ=食べる、コーダ=しっぽ。紋章を見ると、しっぽをくわえたライオンに気付くはずです。

今も城内に残る愛人の家紋

写真:ケイコ ソリーノ

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牢獄、兵舎、そして、博物館に

1557年に彼女が亡くなり、城はナポリ・シチリア王に返上されます。そして、城は元の城塞へと戻りました。その後、牢獄(18世紀)や憲兵の兵舎(19世紀)として使用され、19世にはイタリア統一とともにイタリア王国、さらに20世紀にはイタリア共和国の管理下となります。

2001年からは博物館として公開され、2017年10月にリニューアルオープン。1階のマルチメディア室では城の歴史ビデオが伊語、英語、仏語、独語の4ヶ国語で観ることができます。

牢獄、兵舎、そして、博物館に

写真:ケイコ ソリーノ

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同じく1階の「石膏陳列の間」には、11世紀から17世紀のプーリア州各地に点在する教会装飾のレプリカが常設展示されています。州内のどこに、どのような教会があるのかを知るのに役立ちますね。

この空間に足を踏み入れると、台に置かれたいくつもの柱頭がライトに照らされて神秘的にさえ感じてしまうから不思議です。

牢獄、兵舎、そして、博物館に

写真:ケイコ ソリーノ

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2Fの「アンジュー家の間」では、この城から発掘された壷や皿、水差しなどの陶器が展示されています。

牢獄、兵舎、そして、博物館に

写真:ケイコ ソリーノ

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写真で辿る修復の月日 4つの塔が今では3つに!

城の2階には、1950年代からはじまった修復の様子を語る展示コーナーが。片側の壁には城の歴史を写真とともに表した大きな年表。そして、反対側には時代区分を選んでボタンを押すと、当時の城の姿がCGで浮き上がる映像装置が設置されています。

写真で辿る修復の月日 4つの塔が今では3つに!

写真:ケイコ ソリーノ

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展示コーナーには城の模型も。東西南北それぞれ1塔ずつ、計4つあった塔のひとつがボーナ・スフォルツァの時代に消失します。

1525年に「風の塔」と名付けられた塔(写真手前)が落雷に遭い炎上。この塔は火薬庫として使用されていたことから、その被害は甚大でした。よって、現在見ることができるのは残りの3つの塔だけです。

写真で辿る修復の月日 4つの塔が今では3つに!

写真:ケイコ ソリーノ

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見学の際は、チケット売り場で有料のビデオガイドを借りることができます。日本語はありませんが、英語に自信のある方は城をより理解するために借りることをおすすめします。

写真で辿る修復の月日 4つの塔が今では3つに!

写真:ケイコ ソリーノ

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ノルマンノ・スヴェヴォ城の基本情報

住所:Piazza Federico II di Svevia 4 70122 Bari
電話:+39-080-521-3704
営業時間:8:30-19:30
入場料:3ユーロ
    ビデオガイド(伊、英、独、露の4ヶ国語 3.5ユーロ)
    ※毎月第1日曜日は無料
アクセス:Bari Centrale駅から徒歩15分

※2018年4月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

この記事の関連MEMO

掲載内容は執筆時点のものです。 2018/04/07 訪問

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