ホーチミン・戦争証跡博物館で体感する悲惨なベトナム戦争

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ホーチミン・戦争証跡博物館で体感する悲惨なベトナム戦争

ホーチミン・戦争証跡博物館で体感する悲惨なベトナム戦争

更新日:2018/04/24 16:54

大里 康正のプロフィール写真 大里 康正 写真家、旅ライター

ベトナム・ホーチミン市の中心部にある戦争証跡博物館は、世界から年間約100万人が来館。ベトナム戦争の残酷さ、悲惨さを体感できます。

戦闘機類、銃器類の実物展示の他、ピューリッツアー賞受賞の戦場カメラマン沢田教一、「飛び散った体」で知られる石川文洋の写真。また、米軍が使用した枯れ葉剤で多くの奇形児が生まれ、その悲惨な写真が多数展示されています。

ベトナムで知る「負の遺産」も観光の一つなのです。
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戦争証跡博物館と屋外展示

戦争証跡博物館と屋外展示

写真:大里 康正

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ベトナム・ホーチミン市の中心地にある「戦争証跡博物館」は、1975年9月4日に開館しました。

ベトナム戦争の悲惨さを後世に伝えるための博物館で、戦争の始まりから経緯、使われた枯れ葉剤によるあまりにもひどい影響等を、生々しい写真で見ることができます。

戦争証跡博物館と屋外展示

写真:大里 康正

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入場料を払って敷地内に入ると、そこには使用された戦闘機や戦車、機銃等が屋外展示されています。

戦争証跡博物館と屋外展示

写真:大里 康正

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ヘリコプターから機銃が突き出た様子。銃口の正面に立つと、銃を突き付けられる恐怖を体感できるのでは。

戦争証跡博物館は3階から番号順に1階へ進む

戦争証跡博物館は3階から番号順に1階へ進む

写真:大里 康正

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戦争証跡博物館内の見学は、3階から各階を番号順に進むような順路になっています。館内には階段の他にエレベーターもありますので利用して下さい。

展示スペースは大きく1から13まで分かれており、上で紹介した、実際に使用された戦闘機などが展示されている屋外が13にあたります。

戦争証跡博物館は3階から番号順に1階へ進む

写真:大里 康正

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1の部屋は「歴史的真実」と題が付けられており、戦争にいたる様子が詳しく説明されています。この場所には銃器類の展示もあり、黒光りする鉄の圧迫感を体験できるでしょう。

戦争証跡博物館は3階から番号順に1階へ進む

写真:大里 康正

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日本人にとってベトナム戦争は分かりにくい側面がありますが、大きくはアメリカ合衆国とソビエト社会主義共和国連邦が、南北ベトナムのそれぞれの背後にあり戦ったものです。

「ベトナム共和国」と呼ばれた南ベトナムにはアメリカが、北ベトナムと呼ばれた「ベトナム民主共和国(南ベトナム解放民族戦線)」はソビエトが支援し、さらにはそれぞれの陣営に諸外国が加わり参戦したのです。

戦争の勃発は宣戦布告が明確ではないため不明ですが、1954年に南北が分断しており、1975年まで続きます。元々はベトナム対フランス、その後はベトナムの内戦に近い状態の戦争に、アメリカは一定の思惑で徐々に兵力を増していきました。

やがて国内の反戦運動もあり撤退したアメリカ。結果としてアメリカの敗戦と言えます。

1の「歴史的真実」から2「回想」、3「ベトナム―戦争と平和―」、4「戦争における枯れ葉剤」、5「白い鳩」と順路を進みましょう。

5の白い鳩は、枯れ葉剤の影響で奇形となった人たちが大人になり、民芸品等を売っている場所となります。

残虐な行為

残虐な行為

写真:大里 康正

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3階で5まで進んだら、2階に降ります。部屋は6「侵略戦争の罪悪」、そして7「ベトナムでのアメリカの侵略戦争における枯れ葉剤の余波」と続きます。

侵略戦争の罪悪では、米兵により家を焼かれた人たちの様子をテレビで放映した写真も展示されています。

残虐な行為

写真:大里 康正

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戦争では多くの犠牲者が出ていますが、特に痛ましいのは子供たちの姿。無造作に転がっている姿や薄く目を開いている遺体、並べられた複数の遺体の様子に言葉を失うのではないでしょうか。

白黒写真が多い中、カラーで倒れた子供の赤い血の色まではっきりと写されている展示もあります。

残虐な行為

写真:大里 康正

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当時使われた機関銃類が壁に展示されていますが、このような物で撃たれたら一たまりもありません。石川文洋氏撮影の無残にも体がバラバラになってしまった「飛び散った体」も展示されています。

戦争犠牲者は南北合わせて約146万人、行方不明者は約209万人、そして民間人の死亡者は約458万人。ベトナム全土に戦火が広がったことにより、一般の女性子供を含めた多くの犠牲が出たのですが、ケガや虐待、拷問の数は一切不明です。

枯れ葉剤の恐ろしさ

枯れ葉剤の恐ろしさ

写真:大里 康正

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2階の7「ベトナムでのアメリカの侵略戦争における枯れ葉剤の余波」は、米軍が枯れ葉剤の毒性から自分たちを守るために使用した防毒マスク展示から始まります。

しかしながら、米軍が枯れ葉剤の毒性をどこまで把握していたかは疑問が残されています。なぜなら地上で米軍人でも薬剤を浴びた人たちがいて、後に発ガンする被害が出ています。

ダイオキシンの恐ろしさの認識が低かったと言えますが、密林を枯らすことでゲリラの発見を容易にし、また農作物を枯らすことで食料をなくする目的だった作戦が、結果として多大な犠牲を強いる事となったのです。

枯れ葉剤の恐ろしさ

写真:大里 康正

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この部屋では、写真から思わず目を背ける人が多くなります。何の罪もない人たちが、恐るべき姿に変えられ生涯を生きていく苦悩が伝わってくるのでしょう。それでもどんなに悲惨な写真であっても、今後の平和のために見ておく必要があるのかも知れません。

枯れ葉剤の恐ろしさ

写真:大里 康正

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同じ階の8は「ミニシアター」となっているので、時間の調整がつく方は鑑賞してみましょう。9は「会議室」ですので、旅行者が利用することはありません。

反戦運動と日本人の足跡

反戦運動と日本人の足跡

写真:大里 康正

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再び1階に降りて来て、そこが10「ベトナム抗戦に対する世界からの応援」となります。そこで多数目にする反戦運動の様子。反戦運動は世界に広がり、様々な国の言葉のものが展示されています。

反戦運動と日本人の足跡

写真:大里 康正

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中には日本で作られたものもあり、目を引くことでしょう。

各階において、日本人に関係する展示も多数あります。中でも注目は、世界的に有名な報道写真家(戦場カメラマン)は故沢田教一。青森県青森市出身でベトナム戦争を中心に撮影を続け、「安全への逃避」と題された写真でハーグ第9回世界報道写真コンテスト大賞、アメリカ海外記者クラブ賞、そしてピューリッツァー賞を受賞しました。沢田は1970年10月28日にカンボジアで襲撃され34歳で亡くなっています。

現在でも国内で毎年、様々な地域で写真展が行われている沢田。戦争証跡博物館では彼の写真が複数展示されていますので、現地ベトナムでじっくりと見て下さい。

反戦運動と日本人の足跡

写真:大里 康正

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11は「特別展示室」として企画展が行われ、12は「ベトナム侵略戦争の捕虜制度」という敷地内の少し離れた場所となります。時間のある方はこちらにも足を運んでみて下さい。

各階にはお土産品コーナーも設けられています。どのような物があるのか、ベトナム観光の記念に覗いてみて下さい。

戦争証跡博物館の基本情報

住所:ホーチミン市 3区 ボー ヴァン タン通り28
電話:84-28-3930-5587
アクセス:タンソンニャット空港(ホーチミン空港)からバス、タクシーで約35分

2018年4月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2018/04/19 訪問

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