歴史も格も折り紙付き!古代より栄える堺の名社名刹群

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歴史も格も折り紙付き!古代より栄える堺の名社名刹群

歴史も格も折り紙付き!古代より栄える堺の名社名刹群

更新日:2018/04/27 13:34

小谷 結城のプロフィール写真 小谷 結城 国内旅行業務取扱管理者、京都検定2級、温泉ソムリエ、日本城郭検定2級、国内旅行地理検定2級

古代より国際貿易都市として繁栄してきた堺。人の住むところに信仰あり。古代より歴史を紡いできた堺には、古代からの歴史を誇る名社があります。また、歴史の表舞台に堺が現れれば、またそれに伴って新たな寺院が歴史を伝える役目を負いました。そうして、いくつもの名社名刹が堺にはあります。今回は、そんな名社名刹がひしめく堺の中から5つの社寺をご紹介します。

堺が誇る和泉国一宮「大鳥神社」

堺が誇る和泉国一宮「大鳥神社」

写真:小谷 結城

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第12代天皇・景行天皇の皇子である日本武尊は東国を平定した帰途、伊吹山の神を神使と侮ったことが逆鱗に触れて打ち据えられて死んでしまった。日本武尊の魂は白鳥となって飛び、最後に留まったのがこの地とされており、これが創建の由緒とされています。

祭神は日本武尊と、天岩戸伝説に登場し、祝詞を担当した天児屋根命(あめのこやねのみこと)の子孫だと言う大鳥連祖神(おおとりのむらじのみおやのかみ)。社殿は聖武天皇の勅願により行基が神宮寺を建立したものが最初らしく、日本武尊が4世紀頃とされていることを鵜呑みにすれば、聖武天皇の在位していた8世紀までの約400年は神道の原初的な信仰がこの地で続いていたことになります。

堺が誇る和泉国一宮「大鳥神社」

写真:小谷 結城

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境内はいかにも清浄な空気。参道には与謝野晶子の歌碑も垣間見えるのが堺らしいです。木製の鳥居の先に大社造風の切妻造、妻入りの拝殿が立ち、その奥、玉垣の向こうに本殿が鎮座します。本殿は神社建築史上、大社造に次ぐ古い様式で、大鳥造と呼ばれているようです。

<基本情報>
住所:堺市西区鳳北町1-1-2
アクセス:JR鳳駅より徒歩3分
開館時間:5:30〜18:00

堺のアイデンティティ「方違神社」

堺のアイデンティティ「方違神社」

写真:小谷 結城

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南海「堺東」駅のすぐ東には、方違(ほうちがい)神社なる宮居があります。境内からは反正天皇陵の広い水堀とこんもりとした緑の陵が見えます。疫病の祈願のため崇神天皇の勅願によって建速須佐之男命を祭神にして創建されたとされています。その後、神功皇后が三韓征伐を前に方除けを祈願したところ、勝利することができたことからそれ以降、方除けの神として崇敬を集めました。

なぜ神功皇后は方除けをわざわざここに祈願したのか。それは方違神社が鎮座する地名が伝えています。三国ケ丘。つまり、摂津国・河内国・和泉国の三国の境に位置することに由来します。三国の境界にある特別感が、ここが“方角のない聖地”であるという発想に転換され、これが方除けと結びついたのです。

市名も「さかい」と境界を示す字です。堺市の名の由来も三国の境に発展したことを由来とし、市章もこの由来を受けて市の字を三つ組み合わせたもの。方違神社は堺市のアイデンティティまで凝縮した場所だったのです。

<基本情報>
住所:堺市堺区北三国ケ丘町2-2-1
アクセス:南海堺東駅より徒歩7分
開館時間:9:00〜16:00

家康戦死説を伝える「南宗寺」

家康戦死説を伝える「南宗寺」

写真:小谷 結城

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方違神社から南西、1キロ少々。市街南部に鎮座するのは南宗寺です。元々は町の中央部にあった、三好長慶が父・元長の菩提を弔った寺院でした。ところが、堺は慶長20(1615)年の大坂夏の陣の折、大坂勢によって火をつけられ、南宗寺も含めて町は灰燼に帰してしまいます。その後、家康によって堺の町は再建され、寺院が町の東辺に固められました。その時に、南宗寺は現在地に移されました。

南宗寺には2代・秀忠も3代・家光も訪れていいます。堺復興の様子見との説もあるが、それでも2将軍がわざわざ訪れているのが不可解だと言われているのです。加えてその奥、かつての開山堂跡から秘匿されていたと言われる卵形の無名の墓石が発見され、これが家康の墓だったのではないかという説が浮上しました。

この説は大きく広がりを見せ、境内にこの説を支持した水戸藩家老の子孫によって改めて建てられたという大きな墓が立ちました。名前には当時の堺市長や建設大臣と並んで松下幸之助の文字も刻まれています。都市伝説ではありますが、邪険に扱えないレベルにまで到達しているようです。

<基本情報>
住所:堺市堺区南旅篭町東3-1-2
アクセス:阪堺線御陵前駅より徒歩4分
開館時間:9:00〜16:00
拝観料:400円

堺の歴史詰まった「妙国寺」

堺の歴史詰まった「妙国寺」

写真:小谷 結城

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堺市街北方にあるのは妙国寺です。妙国寺は永禄年間(1558〜1570)に長慶の弟・三好実休による土地の寄進を受けて日bが建立した日蓮宗の寺院になります。境内には、織田信長が所望するも断念した巨大なソテツも植わります。

このソテツは信長だけでなく、家康も見ています。さらに、この後、家康からソテツの話を聞かされていた小堀遠州が来訪。彼もまたソテツの素晴らしさに目を奪われました。そこで、家康が妙国寺で心安らかに滞在できるようソテツを取り入れて駿河国に見立てた枯山水庭園を作庭したと伝わっています。

慶応4(1868)年、土佐藩士が11名のフランス水兵を死傷させた堺事件の責任を負い切腹した11名の土佐藩士の墓があるのもこの妙国寺。実に堺の歴史が詰まった寺院です。

<基本情報>
住所:堺市堺区材木町東4-1-4
アクセス:阪堺線妙国寺前駅より徒歩5分
開館時間:10:00〜16:30
拝観料:400円

堺最大の木造建築「本願寺堺別院」

堺最大の木造建築「本願寺堺別院」

写真:小谷 結城

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さらにその北には、本願寺堺別院という巨刹が現れます。本堂は約30メートル四方。文明8(1476)年の建立ですが、火災によって焼失しては再建され、現在のものは文政8(1825)年のもの。現存する堺最大の木造建築です。明治4(1871)年の廃藩置県から明治14(1881)年までの10年間の間に存在した和泉国・河内国・大和国にまたがる堺県の県庁であったことでも知られます。

<基本情報>
住所:堺市堺区神明町東3-1-10
アクセス:阪堺線神明町駅より徒歩5分
開館時間:拝観自由

堺の歴史の奥深さをご覧ください

いかがだったでしょうか。堺には、神代を伝える大鳥神社があり、古代の堺の地理的特性を伝える方違神社があり、戦国期・江戸期の天下人や武将との繋がりを持った南宗寺・妙国寺がありました。そして、本願寺堺別院に巨大な堺県の県庁が置かれていたことから、堺という都市の格の高さを窺うことができます。

それぞれにみどころも多数あります。ぜひ、ご自身の目で堺の名社名刹を回り、堺の歴史の奥深さをご覧ください。

2018年4月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2017/11/09 訪問

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