川沿いにたたずむその建造物は、あくまで静かに存在する。
しかしまた、何者よりも雄弁に我々に語りかける。
このドームのほぼ真上で原子爆弾が炸裂する直前まで、その周りには日常の営みがあった。
そしてその後、計り知れない災厄が人々に降りかかった。
ジョン・レノンが歌うように我々にはイメージすることが必要だろう。
じっくり、時間をとってこのドームとともにたたずむことをお勧めする。
原爆ドームからほど近い橋を渡り中州に移ると、そこは「平和記念公園」になっている。道沿いに歩いてゆくと「平和の鐘」があり、誰でも自由に鐘を搗くことができる。
そのまま進めば透明のブースの中に無数の千羽鶴が吊るされている。全国から老若男女にかかわらず寄せられた、慰霊の鶴である。
また、その先には1964年に点火されて以来燃え続けているという「平和の灯」があり池の向こうには慰霊碑が置かれている。
しばし立ち止り手を合わせ顔をあげると、少し離れた所に「広島平和記念資料館」がある。
通称原爆資料館とも呼ばれるここには、文字通り原爆とそれによる被害などについての貴重な資料が揃えられている。
目をそらさずに、事実を受け止めることから始める。
その大切さを教えてくれる場所である。
戦艦大和と言えば、誰もが知る日本で建造された最大の戦闘艦である。
しかし、当時東洋一の造船所と技術を有し、また国内最大の軍事工場を備えていたここ「呉」で建造されたことをはじめ、案外その船にかかわる歴史の事実を知る人は少ない。
ここでは多数の資料により、建造に至ったいきさつ、艦の構造、社会的な背景や人間関係。そしてその終焉など、様々な角度から「大和」を浮き彫りにしてくれる。
中でも必見は実物の十分の一のスケールモデルだ。緻密に模られた26.3メートルのこのモデルは、その大きさにもかかわらず圧倒される迫力だ。
他にも艦載機や人間魚雷などの実物展示もあり、マニアならずとも目を奪われる展示がぎっしりである。
「大和ミュージアム」からほど近いところに、突然巨大な姿を現すのが、この「てつのくじら」。
潜水艦が陸揚され、そのままに展示物兼史料館となっているのが、この「海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館)」である。隣接する三階建ての本館とともに、海上自衛隊の設立から現在までの資料を網羅し、来館者を飽きさせない。何しろ、実際に任務にあたっていた潜水艦の操縦室や居住区に入り、触れることが出来る機会などめったにはないのだから。
贅肉を極限までそぎ落とした、機能美の極致を体感されたい。
呉の港は、今も海上自衛隊にとって重要なポイントであることに変わりない。艦の修繕、補給に関する全ての機能を揃えている。
もはや「大和」の様な戦艦は造ることもないが、躁艦・戦闘・居住など多くの機能をコンパクトにパッケージングしなければならない潜水艦の造船技術については、やはり日本は優秀だ。
「アレイカラスこじま公園」前では、停泊中の潜水艦を目にすることができる。
ここは「大和」の乗組員をはじめとする多数の兵士たちが旅立って行った桟橋のあるところで、映画「男たちの大和」のロケ地にもなった。
静かにたたずむ潜水艦を眺め、今の平和とこれからの世界を想う。
そんな気にさせる場所である。
原爆ドームも、停泊する潜水艦も静かではあるが、その存在感は実に大きい。
また寡黙にして、何者より雄弁である。
過去から現在を見つめ、未来に向かう旅にぜひお出かけ頂きたい。
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(2024/9/10更新)
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