恋を描いた錦絵の大家!あべのハルカス美術館で鈴木春信展

恋を描いた錦絵の大家!あべのハルカス美術館で鈴木春信展

更新日:2018/05/12 21:52

けいたろうのプロフィール写真 けいたろう 旅するグルメライター
葛飾北斎の富嶽三十六景や東洲斎写楽の役者絵などのイメージが強い浮世絵。勇壮なモチーフと並んで多く描かれたのが美人画。繊細な表情で描かれた美人画で人気を博した浮世絵師と言えば鈴木春信。

時代の寵児となり、錦絵の誕生に大きく貢献した春信の浮世絵が、あべのハルカス美術館に大集合!春信作品において世界一の所蔵数を誇るボストン美術館から、特に状態のよい選りすぐりの作品が多数来日しました。

鈴木晴信以前と錦絵と絵暦

鈴木晴信以前と錦絵と絵暦

写真:けいたろう

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浮世絵という絵画を思い浮かべると、まず思い浮かぶのはきらびやかに彩色された絵。しかし、それは錦絵(にしきえ)という浮世絵のひとつの様式で、多色刷りの美しい色が特徴の浮世絵です。すべての浮世絵は錦絵というわけでなく、浮世絵の誕生と錦絵の誕生もイコールではありません。

今回の展覧会の主役である鈴木晴信以前の浮世絵は、現在の一般的な浮世絵のイメージと大きく異なっています。一色の墨で摺られた墨摺絵(すみずりえ)や、2〜3色程度の紅摺絵(べにずりえ)が主流。さらにそれ以前は、版画ではなく筆で彩色された、肉筆(にくひつ)浮世絵と呼ばれる浮世絵もありました。

そのころに活躍した有名絵師は石川豊信。『紅葉を焼いて酒をあたためる若い男女』などが展示されており、鈴木春信以前に活躍し、春信の感性を育んだ作品に触れることが出来ます。

鈴木晴信以前と錦絵と絵暦

写真:けいたろう

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また今回の展示では、多色刷りの錦絵誕生以前の鈴木春信の作品も展示。それが上の写真の『見立三夕「定家 寂蓮 西行」』です。

和歌三夕の歌人である定家、寂蓮、西行が美人に置き換えられています。色数の少ない春信初期の紅摺絵の作品で、世界に1点しか確認されていません。

鈴木晴信以前と錦絵と絵暦

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ここまで紅摺絵による作品を紹介しましたが、ここからは錦絵の紹介となります。当時の日本で使用されていた暦は、小の月と大の月の組み合わせが毎年変化する太陰暦。

そこで裕福な商家の趣味人などは、絵暦(えごよみ)と呼ばれる大の月と小の月が分かる、私的なカレンダーを自費で製作。

富裕層が描かせた絵暦は、きらびやかさを最優先。美人を描き採算を考えずに多色刷りによる印刷を確立。錦のように美しいと評判になり、錦絵と呼ばれるようになりました。

やがて絵暦は自慢の対象となり、持ち寄って交換を行う会が流行。その会で鈴木春信が作成した絵暦は、品と教養を兼ね備えていると評判になり、錦絵ととも鈴木春信の名が世間に広まることとなりました。

鈴木春信が描く恋人たち

鈴木春信が描く恋人たち

写真:けいたろう

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鈴木晴信といえば、特に有名なのが男女の恋を題材に描いた作品。多くは振袖を着た若い女と、前髪を残した若い男が描かれています。上の写真は『桃の小枝を折り取る男女』。桃の枝を折る男性と、それを見る娘の図で、恋の始まりを予感しています。

鈴木春信の巧妙な見立絵

鈴木春信の巧妙な見立絵

写真:けいたろう

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恋する男女を多く描いた春信は、見立(みたて)と呼ばれる一連の作品も多く手掛けています。すでに紹介したように春信は教養にあふれ、やつし絵や見立絵(みたてえ)と呼ばれる古典の物語や故事の場面を再現した錦絵を得意としました。

上の写真は「見立玉虫屋島の合戦」と「見立那須与一屋島の合戦」という作品。平家物語の屋島の合戦中に、平家側の官女である玉虫が船に扇を立てて挑発。源氏側の武将、那須与一が弓で射落としたエピソードを再現。よく見ると男性の背後には茄子が茂り、女性の振袖には平家の軍船を連想する帆掛け船の模様となっています。

鈴木春信の巧妙な見立絵

写真:けいたろう

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展覧会では、ほかにも春信の見立絵を展示。こちらは「いばらき屋店先(見立渡辺綱と茨木童子)」という作品。いばやき屋という屋号の遊郭店先で、遊女が男性の傘を掴んでいる絵です。傘には、渡辺綱の家紋が入っていて、茨木童子が渡辺綱の兜を掴むシーンが再現されています。また男女共に片腕を隠していて、片手を切り落とされる茨木童子を連想させます。

展覧会では、このような作品が多数展示されており、現代人からすると難解な古典文学の再現となっています。当時の文化人は、これらの絵に含み描かれた謎を読み解いて楽しんだとされています。

鈴木春信の目を通して描かれる江戸の日常と今

鈴木春信の目を通して描かれる江戸の日常と今

写真:けいたろう

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鈴木春信は恋人たちを描いたほかにも、庶民の穏やかな日常や当時の流行を好んで描きました。上の写真右側は子どもの獅子舞。お祭りで獅子舞を演じる子どもたちの無邪気なようすが描かれています。

鈴木春信の目を通して描かれる江戸の日常と今

写真:けいたろう

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また庶民の暮らしを描いた絵の中にも、見立てが隠れているのが春信の絵の特徴。上の写真の左側、風流五色墨「宗瑞」という作品。子どもに服を着せようとしたところ、初めて立ったという場面が描かれ、宗瑞という俳人の俳句が添えられています。

右側の喧嘩する子ども(見立草紙洗)では、習字の手本に墨をこぼしたことでケンカをする姉弟が描かれていますが、こちらも小野小町の「草紙洗」の伝説がもとになっています。

鈴木春信の目を通して描かれる江戸の日常と今

写真:けいたろう

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さらに春信は、江戸の流行も積極的に描きました。こちらの2枚の絵には、庶民に近しい存在の美人が描かれています。右側の絵には実在のお店・水茶屋鍵屋の看板娘お仙という、江戸でアイドル的な人気のあった一般女性が描かれています。

左側は、吉原に比べ料金が安価で庶民にも人気のあった、品川の遊郭の人気遊女が描かれています。

多くの画家に慕われた鈴木春信

多くの画家に慕われた鈴木春信

写真:けいたろう

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富裕層の私的なカレンダーである絵暦から始まり、庶民にまで人気の及んだ鈴木春信ですが、明和7(1770)年に急逝します。春信の死を惜しむ世間に対し、多くの浮世絵師が春信の作風にならって錦絵を作成しました。

上の写真は美人画で有名な鳥居清長の弟子、鳥居清経の「春信追善」。絵の中に描かれた美人の手には、春信の作品が握られています。

多くの画家に慕われた鈴木春信

写真:けいたろう

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こちらの2枚の作品は、喜多川歌麿の作品。春信の後の時代を生き、美人画で有名な歌麿も、春信にならった作品を残しており、当時の鈴木春信の人気の高さがうかがえます。

「ボストン美術館浮世絵名品展 鈴木春信」の基本情報

住所:大阪市阿倍野区阿倍野筋1-1-43あべのハルカス16階
電話番号:06-4399-9050
アクセス:JR・大阪メトロ・近鉄各線「天王寺」駅下車すぐ
開館時間:火〜金10:00〜20:00、月土日祝10:00〜18:00
※入館は閉館30分前まで
休館日: 一部の月曜日、展示替期間

2018年5月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2018/04/23 訪問

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