2つの石橋は、大正時代の終わりから昭和初期につくられました。これほどの大きさの石橋がすぐそばに並んで架けられているというのは大変珍しく、他の河川でもあまり例がありません。長くて美しいアーチを描く2つの石橋が清流をまたいで佇む景観は、見事なまでに周囲の自然に溶け込んでいますね。
それもそのはず。この石橋で使用されている石は、すべて両岸に切り立つ岸壁から切り出されました。約9万年前におこった阿蘇山の噴火した大火砕流が大野川流域一帯を覆い尽くしました。この時の火砕流が冷えて固まったのが「阿蘇溶結凝灰岩」と呼ばれ、渓谷両岸の地層と柱状節理を形成しています。
この溶結凝灰岩という石材は加工がしやすい為、石畳や寺社仏閣に奉納される石造物などにも使われています。石橋の色や質感などが両岸と変わらないため、景色として一体感が出ているというわけです。
写真:小野 浩幸
地図を見る先につくられたのは出会橋。大正13年、奥嶽川の右岸にある轟地区と東岸にある平石地区を結ぶ、人道橋として架けられました。名前が示すように両岸の人と人が交流するだったんですね。アーチ径間は29.3mで、隣の轟橋が出来るまでは日本一でした。
写真:小野 浩幸
地図を見る轟橋は昭和9年、上流の傾山から木材を切り出して運ぶために、営林署が鉄道を走らせるために建設された石橋です。貨物列車が走るためには、出会橋よりもさらに長く大きな橋が必要でした。出会橋のすぐそばに同じような石橋をつくったのは、それぞれの目的が異なっていたからなんですね。二連アーチの径間はそれぞれ32.1m(右岸側)、26.2m(左岸側)で日本一です。
写真:小野 浩幸
地図を見る轟橋の橋ゲタから水面までの高さは27m。欄干も低いので、橋の上から川を覗き込む時には、少々勇気が必要です。まずはこれで最初のヒンヤリ感を味わってください。
そして、清流の透明度に驚かされることかと思います。まさに「奥岳ブルー」とでも呼びたくなるような青さです。
写真:小野 浩幸
地図を見る橋からの景観を堪能したあとは、轟橋のたもとにある駐車場に車を停めて、川岸まで降りて行ってみましょう。夏休みになると川遊びや泳いでいる家族連れを良く見かけます。川に足をつけてみると、想像以上に冷たい川の水や涼しくそよぐ渓谷の風にヒンヤリと癒されることでしょう。
写真:小野 浩幸
地図を見る見る場所によって雰囲気が異なる轟橋と出会橋。
実はこの2つの石橋は、すべて地元住民の手によってつくられたそうです。9万年かけて形成された大自然の節理に、「この川を渡りたい」という人々の熱意や想いが重なって架けられた石橋には、かけがえのない浪曼を感じずにはいられません。
この上流域には、他にも川上渓谷や滞迫峽といった涼しいスポットが点在しています。ドライブでめぐってみてはいかがでしょう。
住所:大分県豊後大野市清川町左右知
アクセス:JR豊肥本線緒方駅より車で約30分
2018年6月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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この記事を書いたナビゲーター
小野 浩幸
地元の大分県を中心に九州のあちこちに出かけています。心を奪われるような風景、磨崖仏や隠れキリシタン史跡などのミステリアスなスポット、神社や寺院にある不思議な造形の彫刻などを巡っております。
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