クレオパトラも歩いたトルコ世界遺産・エフェソス古代都市遺跡

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クレオパトラも歩いたトルコ世界遺産・エフェソス古代都市遺跡

クレオパトラも歩いたトルコ世界遺産・エフェソス古代都市遺跡

更新日:2019/03/31 18:35

大里 康正のプロフィール写真 大里 康正 旅する写真家、タイと台湾に詳しい旅作家
アジアとヨーロッパの中間に位置するトルコは、長くそして複雑な歴史を持つ国であり、数多くの世界遺産があることでも知られます。中でもエフェソス遺跡(エフェス)は規模と美しさで際立ち、神殿、世界三大図書館の一つケルススや七不思議の逸話も。

近くに聖母マリアが晩年を過ごしたコレッソス山があり、遺跡はエジプト女王・クレオパトラも歩いた場所として、世界中から観光客が来るのです。
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世界遺産・エフェソス古代都市遺跡と聖母マリア

世界遺産・エフェソス古代都市遺跡と聖母マリア

写真:大里 康正

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トルコ西部、イズミル県セルチュク近郊にある世界遺産のエフェソス古代遺跡(Ephesus)への入場は、ゲート手前のチケット販売所で入場券を購入し、その券を機械に通して回転式のゲートを押しながら通過します。しかしながらエラーになることもたまにあるので、近くにいる係員に券の扱いを頼んでも問題ありません。

なお、その後に手荷物検査があります。カメラを含め、全ての荷物の検査を機械を通して受けて下さい。

※エフェソスという呼び方についてですが、古いギリシア語読みではエペソス、エフェソ、エペソ等があります。現在のトルコ語ではエフェス(Efes)。しかしながら世界的にはエフェソスとなっていることから、本記事はエフェソスで統一します。

世界遺産・エフェソス古代都市遺跡と聖母マリア

写真:大里 康正

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入場するとそこには、一大古代都市遺跡が広がっています。正面手前には説明書きの看板があるので、そこを左折して進みましょう。

世界遺産・エフェソス古代都市遺跡と聖母マリア

写真:大里 康正

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正面左手に見えるのがコレッソス(ビュルビュル)山です。ここの山腹・ゴルゴダの丘でイエス・キリストが処刑された数年後、聖母マリアが移住してきて残りの生涯を過ごしたとされています。

伝説として伝えられていた聖母マリアの話でしたが、1824年に亡くなったドイツ人の尼僧が霊夢にて聖母マリアと接触し、そのことを記録に残しました。その事実関係の確認のため、1891年になりラザロ派の司祭たちがこの地を調査し、山中にあった聖母マリアの家の痕跡を発見したのです。

エフェソス古代遺跡にはこのような話もありますので、観光の際には意識して山を眺めてみて下さい。

エフェソスの歴史、オデオン、印象深いメミウスの碑

エフェソスの歴史、オデオン、印象深いメミウスの碑

写真:大里 康正

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エフェソスは長い歴史を持った古代の港湾都市で、エーゲ海の入り江に発展しました。現在の地形では分からなくなっていますが、昔は海がすぐ近くまで来ていたのです。

歴史に登場するのは紀元前7世紀中頃。北方から攻めてきたキンメリア族がエフェソス近郊の都市であるマグネシアを征服後、エフェソスに侵攻して来ましたが、アルテミス神殿での略奪をし引き上げています。その後、色々な民族と何度もの攻防を繰り返し、盛衰の歴史となりました。

そのアルテミス神殿は「古代の世界七不思議」に数えられているものの、現在は残骸が残されるのみです。

エフェソスの歴史、オデオン、印象深いメミウスの碑

写真:大里 康正

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左右に広がる数々の遺跡を眺めながら進んで下さい。100m程度行くと右手に「オデオン」が見えてきます。ここは選ばれた市民や神官が集まり、市政を議論したり、時に音楽会や詩の朗読などが行われていた2世紀頃の場所。

中に入ることが出来ますので、当時の雰囲気を楽しんでみましょう。

エフェソスの歴史、オデオン、印象深いメミウスの碑

写真:大里 康正

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観光ルートを進むと見えてくる「メミウスの碑」は1世紀に作られたとされる物。ローマの独裁官スッラを称えたのが孫のメミウスであり、そこからメミウスの碑と名付けられています。

クレテス通り、トラヤヌスの泉

クレテス通り、トラヤヌスの泉

写真:大里 康正

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もっとも見晴らしが良く、絶好の撮影スポットがこちらのクレテス通りです。通りの先には世界三大図書館に数えられるケルスス図書館が見えます。一部には段差もあるので、足元には注意をして下さい。

クレテス通り、トラヤヌスの泉

写真:大里 康正

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ケルスス図書館方向に進むと、右手に見えてくるのがトラヤヌスの泉です。

2世紀に作られた高さ12mの2階建てで、皇帝トラヤヌスに捧げられたものでした。前面に残る大理石の巨大な水槽跡から、滔々と水が流されていたことが分かっています。

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世界三大図書館「ケルスス図書館」から大理石通りへ

世界三大図書館「ケルスス図書館」から大理石通りへ

写真:大里 康正

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ケルスス図書館は、アレキサンドリア、ベルガモと並んで世界三大図書館とされ、西暦125年に完成。その後、265年にエフェソスを襲ったゴート族による破壊で炎上し、万単位の書物が失われています。

世界三大図書館「ケルスス図書館」から大理石通りへ

写真:大里 康正

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現在の建物は1970年から8年をかけて行われた修復工事によるもので、当時の雰囲気を今に伝えています。正面にある4体の女性像は知恵、学識、雄々しさ、美徳を象徴していますが、残念ながら本物はウィーンのエフェソス博物館にあり、ここはイメージを伝えるレプリカとなります。

なお、ケルスス図書館の正面にあるのが娼婦の館の跡。位置関係を考えると、ユニークな都市計画と言えるのでは。娼婦の館への道しるべは大理石通りに残されています。

世界三大図書館「ケルスス図書館」から大理石通りへ

写真:大里 康正

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ケルスス図書館から右に続く大きな通りが大理石通りです。見事な直線の美しさが感じられることでしょう。

大劇場とクレオパトラも歩いた港大通り

大劇場とクレオパトラも歩いた港大通り

写真:大里 康正

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大理石通りを進み、右側のパナユル山の斜面に見えてくるのが大劇場で、その規模は大きく必見の場所。

ローマ皇帝クラウディス(紀元前10年-54年)が拡張工事を行い、完成はトラヤヌス皇帝(53年-117年)の時代。高さは18mにもなる三階建てで観客席は22段にもなる豪華なもの。24,500人を収容し出入口は6か所もあったのです。

大劇場とクレオパトラも歩いた港大通り

写真:大里 康正

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大劇場が良く見えるポイントは、エフェソス古代遺跡の出口側に進んだ方角です。緩い坂道を上がったすぐ右側となりますので、見落とさないようにしましょう。

大劇場とクレオパトラも歩いた港大通り

写真:大里 康正

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大劇場からケルスス図書館までが大理石通りで、直進する道が港大通りとなります。実はこの港大通りから大理石通りは、クレオパトラ7世が歩いた道となるのです。その同じ道を歩いてみましょう。

プトレマイオス朝最後のファラオ、クレオパトラ7世フィロパトル(紀元前69年-紀元前30年)ですが、マルクス・アントニウス(紀元前83年-紀元前30年)とともにエフェソスに滞在しているのです。その後、オクタウィアヌス(紀元前63年-14年)とのギリシャ北西岸アクティウムの海戦にアントニウスが敗れ、その10日後、クレオパトラは自殺しました。

なお、エフェソス遺跡の中にはクレオパトラの妹である「アルシノエ4世」の墓とされる場所がクレテス通りにあり、現在も発掘調査が続いています。紀元前46年、カエサルの意向により死刑を免れて、エフェソスの居宅に幽閉されていましたが、紀元前44年にクレオパトラの意向により殺害されたという記録も残されています。

聖母マリア、クレオパトラ7世と、世界史に重要な意味を持つ人たち。古代エジプトや古代ローマの話がトルコで繋がる壮大な世界遺産のエフェソス遺跡に、足を運んでみて下さい。

最後に、その他のトルコの世界遺産の見どころを下記の関連MEMOに情報リンク。ぜひ、ご覧下さい。

エフェソス古代都市遺跡の基本情報

住所:Efes Oren Yeri Selcuk,Izmir
電話:+90-232-892-6011

2019年3月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2018/05/08 訪問

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