週末限定!世界遺産・石見銀山の大久保間歩でその最盛期を感じよう

週末限定!世界遺産・石見銀山の大久保間歩でその最盛期を感じよう

更新日:2018/06/19 16:58

2007年にユネスコ世界文化遺産に登録された島根県の石見銀山。大小900以上あると言われる坑道跡の中でも最大級の規模を誇るのが「大久保間歩」です。すでに観光施設として整備されている龍源寺間歩と異なり、この大久保間歩は週末(金土日)のみ、そしてガイド付きツアーでのみ入坑が許される限定条件のもと公開されています。当時の面影を強く残すこの坑道跡を中心に石見銀山の更なる魅力に迫ります。

まずは世界遺産センターから

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「大久保間歩」ツアーの出発点は石見銀山エリアの入り口に位置する石見銀山世界遺産センターです。ツアーの参加は空きがあれば当日参加も可能ですが、原則として事前予約制ですので、下部MEMOに記載の予約センターに連絡して早めに予約しておくのが吉です。

センター内には有料で石見銀山の歴史や当時の銀の精製方法について展示してありますので、まずはここで何が凄くて世界遺産に登録されたのかも含めて学習することをお薦めします。出発時間になるとガイドと共にこの世界遺産センターから実際に銀山の入り口にバスで移動します。

まずは世界遺産センターから
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とりあえず、覚えておきたいのが当時の世界でも屈指の産出量を誇った大銀山であること。もちろんそんな銀山をめぐって戦国の武将たちによる激しいバトルが鎌倉時代以降繰り広げられるわけですが、今回紹介する「大久保間歩」はその産出量最盛期にあたる江戸時代のもの、つまり江戸幕府が開発した坑道です。

大久保間歩に向かう道中には明治時代に掘削が進められた(このころは銀ではなく銅が目当て)「金生坑」の入り口も確認できます。「抗」と名がつけばそれは明治時代のもので、「間歩」というのはそれより古い時代の坑道を意味します。後述しますが銀山を登っていくに連れ時代を遡っていきます。

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石見銀山の初代奉行である大久保長安の名をとってつけられた「大久保間歩」には、途中にある小屋で長靴とヘッドライトつきのヘルメットを借りて入坑します。山道を歩き始めて約20分。汗をかいているところに入り口からの涼しい冷気はうれしいですが、坑道内は常に気温は10度前後。長袖必須ですので注意してください。

坑道内はライトが頼り

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坑道内は手掘りで進んだ江戸時代と火薬で発破して進んだ明治時代の痕跡が良く残っており、ところどころでガイドが懐中電灯で照らしたり、要所にあるスポットライトを点けて分かりやすく説明してくれます。

ただ道中は基本真っ暗闇。足元には地下水が流れ(上述の金生坑ももとは水抜きのための穴)ヘッドライトの明かりだけで進みますので、アドベンチャー要素満載です。

坑道内はライトが頼り
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驚かされるのはその銀を掘った跡の狭さ。火山活動によって熱せられた金属鉱物が溶けて岩の隙間に入り込み、それが長い年月を経て固まった部分を掘り出すわけですから、当時の工夫の作業場所はその隙間になります。

這って入るのがやっとという隙間でヘッドライトも無しにどうやって掘り出しのかというと、ヒントは音。叩くと銀の鉱脈と岩は違うそうな。

ハイライトは巨大空間「福石場」

ハイライトは巨大空間「福石場」
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明治時代に坑道は下方に発破・拡張されたこともあり普通に歩いて入ることができますが、入り口から歩くこと約170mの場所にある、特別に大きな空間が「福石場」です。高さ20m、奥行き30m、横幅15mの大規模採掘場です。

大久保間歩の由来である大久保長安が馬に乗り槍をもって入ったとされる伝承もうなづける、石見銀山の中でも屈指の巨大空間です。

ハイライトは巨大空間「福石場」
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当時にこのような巨大な空間の上部の鉱脈をどうやって掘ったのか、という疑問に対するヒントは写真の真ん中の丸太にあります。まずカベを掘って丸太を掛ける場所をつくり、そこに乗って上部を掘り進めて行くわけです。まさにプロの技。

ハイライトは巨大空間「福石場」
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福石場で折り返して入り口に戻ります。この大久保間歩を代表格に最盛期には約7〜8万人がこの銀山エリア(銀山だけでなく運び出す港や役所も含めて)に暮らし、年間80トン近い銀を産出していました。

江戸時代(特に19世紀中ごろまで)は世界はまだ銀本位制。銀を大量に産出できることで貿易も捗り、実際に南米のポトシ銀山と日本の銀山だけで世界に流通する銀のほとんどをまかなう「ポトシ日本銀サイクル」と後に呼ばれる経済経路の確立を支えたのが、この石見銀山なのです。

山師の世界へようこそ

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大久保間歩を出てさらに山を登ると現れるのが巨石文明ならぬ釜谷間歩の遺構。江戸幕府直轄になるまでは、領主に税金は納めるものの基本的に山師が自ら鉱脈を見つけて掘り出す時代。次第に銀が見つけづらくなると幕府が山師を雇い、幕府のカネで鉱山を採掘するようになります。

その幕府に雇われた山師で有名なのが安原伝兵衛。彼が夢のお告げによって発見した江戸時代初期の釜谷間歩の遺構がまさにここです。

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釜谷間歩遺構には住居跡や精錬した後が残されており、当時の工夫たちの暮らしを忍ばせます。ちなみに石見銀山で雇用されていた工夫は全員がその道の職人であり、罪人は一切使われていません。ポトシ銀山がインディオなどの奴隷を用いて採掘していたのに比べ、今で言う子供手当てや傷病手当までつく工夫たちの暮らしは手厚く保護されていました。

ツアーではいきませんが、さらに山の上部には山師たちが形成していた集落(3000人規模!)があり、高価な奢侈品を含む出土品から相当豊かな暮らしをしていたことが伺えます。

なお、上に行くほど時代が古くなるのは、鉱脈の性質のためです。坑道を掘る技術がなくても地表に露出している鉱脈を掘れば良いので、露出しやすい上部を掘る(露頭掘り)ことから銀山の歴史が始まっていくわけです。

山師の世界へようこそ
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山師たちがどうやって鉱脈を見つけていたのか、そのヒントはガイドが教えてくれます。当時の山師向けの指南本には植物に注意するよう書かれおり、実際に写真のペンペン草の一種はカドミウムなどの毒性のある鉱物に対して耐性があることが科学的に証明されているので、彼らの知見が正しかったことが分かります。

石見銀山は銀山のみならず

石見銀山は銀山のみならず
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大久保間歩のツアーを終えて世界遺産センターの戻ってくるのは約2時間半後。山歩きで疲れているかもしれませんが、石見銀山の世界遺産エリアは鉱山だけではありません。銀山の採掘に伴い発展した町や輸送経路に用いた港(温泉津温泉が近い小浜港なども含む)など銀の生産から搬出に関する全てが世界遺産の登録対象になっています。

特に世界遺産センターから2kmほどはなれた場所にある「町並み地区」は江戸情緒を強く残したフォトジェニックなスポットですので、ぜひ訪れてほしいところです。

石見銀山は銀山のみならず
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また町並み地区には五百羅漢で有名な羅漢寺もあり、せっかく石見銀山まで来たのですから訪れたいところです。

なお、町並み地区から龍源寺間歩などの銀山地区に向かう場合はクルマやバスではいけません。この羅漢寺付近または町並み地区の代官所前広場でレンタサイクルを借りるか徒歩(片道約45分)でアクセスする必要があるので注意してください。

それでは気をつけていってらっしゃいませ〜

石見銀山の基本情報

住所:島根県大田市大森町イ1597-3
電話:0854-89-0183(石見銀山世界遺産センター)
アクセス:JR大田市駅からバスで30分
JR広島駅からバスで2.5時間
大久保間歩ツアーの料金:4000円/1名

2018年5月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2018/05/25 訪問

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