写真:乾口 達司
地図を見る「崇道天皇(すどうてんのう)」の本名は「早良親王(さわらしんのう)」。同母兄の桓武天皇が即位したのにともない、皇太弟となりました。ところが、785年(延暦4)、桓武天皇の右腕として長岡京の造営に尽力していた藤原種継の暗殺事件が勃発。この事件に連座して皇太弟を廃され、淡路国へと流されます。身の潔白を訴える親王は飲食を断ち、配流の途中で絶命したのでした。
早良親王の遺骸は淡路国に埋葬されるものの、新たに皇太子となった小殿親王(後の平城天皇)の発病や宮廷関係者の相次ぐ死去など、親王の没後に次々と災いが発生。親王の怨霊をおそれた朝廷は、800年(延暦19)、親王に「崇道天皇」の尊号を追贈するとともに、遺骸を故郷である大和国に移し、丁重にまつりました。つまり、早良親王が天皇に即位していないのに「天皇」の称号をいただいている理由は、悲劇的な最期を迎えた親王の怨念を怖れてのものであったわけです。
奈良市八島町にある親王の陵墓は、現在、宮内庁によって管理されています。陵墓前の掲示板にも「崇道天皇八嶋陵」と記されています。
写真:乾口 達司
地図を見る「崇道天皇陵」は、ご覧のとおり。その形状は楕円形上の円墳で、四方は白い土壁でかこまれています。
その様子はあたかも非業の死を遂げた親王の怨念を必死で封じ込めているかのように見えませんか?
写真:乾口 達司
地図を見る崇道天皇陵の前には、写真のような巨石群も見られます。地元では「八つ石」と呼ばれていますが、この巨石群も親王と深いかかわりがあります。
親王は死にのぞんで9個の石を投げ、石の落ちたところにみずからを葬るように遺言しました。親王の投げた9個の石のうち、8個が同じところに落下。それがこの「八つ石」なのです。
もちろん、この神がかったエピソードは実話ではないでしょう。事実、巨石群は「八嶋陵前古墳」と呼ばれる古墳の石室の残骸であり、親王の生きた奈良時代よりも数百年も前の遺跡です。しかし、それを動かすと祟りがあると信じられていることからは、いまなお親王に対する地元民の畏怖がいかに強いものであるかが、おわかりいただけるでしょう。
<崇道天皇陵・八つ石の基本情報>
住所:奈良県奈良市八島町
アクセス:奈良交通パス「八島町」より徒歩約1分
写真:乾口 達司
地図を見る崇道天皇陵の東方には、春日大社と深いかかわりを持つ嶋田神社が鎮座しています。春日大社の本殿は、幕末までほぼ20年周期で建て替えられていました。新しい本殿が完成すると、以前の本殿は各地の神社へ払い下げられましたが、嶋田神社の本殿も払い下げられた社殿の一つで、1709年(宝永6)に建立されたものであることが判明しています。
では、この嶋田神社が、なぜ、崇道天皇ゆかりの神社なのでしょうか。それは、春日大社から払い下げられた本殿のもとの移築先が、崇道天皇陵の地であったことにちなみます。つまり、現在、崇道天皇陵となっているところには、かつて写真の本殿が鎮座していたのです。移築されたのは、1727年(享保12)頃。崇道天皇の御魂をまつる神社として当時は「崇道天王社」と呼ばれていましたが、明治時代に入り、崇道天皇陵の整備がおこなわれたのを契機として嶋田神社に合祀され、現在の地にふたたび移されました。
ということは、崇道天皇陵をぐるりととりかこんでいたあの不気味な土壁は、かつて崇道天王社のまわりをとりかこんでいた土壁だったかも知れませんね。
写真:乾口 達司
地図を見る本殿の脇に建つ石燈籠をご覧ください。左側の石灯籠には「嶋田神社」と刻まれているのに対して、左側の石灯籠には「崇道天王社」とあります。
写真:乾口 達司
地図を見る写真は本殿の扉にかけられた錠前。扉の向こうには神さまがおまつりされていますが、かつてまつられていたのが早良親王であったことを思うと、こちらの錠前も親王の怨念を封じ込めるために設けられたものであるかのように思えてきませんか?
<嶋田神社の基本情報>
住所:奈良県奈良市八島町325
アクセス:奈良交通パス「八島町」より徒歩約5分
写真:乾口 達司
地図を見る「崇道天皇」の追贈後も朝廷は親王の怨念を畏れ、その御魂を鎮める神社を建立しました。西紀寺町に残る崇道天皇社も、その一つ。こちらの本殿も、1586年(天正14)に建立された春日大社の本殿を移築したもの。現在、国の重要文化財に指定されています。
注目したいのは、当社の創建が806年(大同1)であること。ということは、桓武天皇の崩御を受けて即位し、元号を「延暦」から「大同」にあらためた平城天皇は、即位後、ただちに当社を創建したことになります。皇太子時代から親王の怨霊に悩まされてきた天皇が、みずからの即位にあわせて、いま一度、親王の御魂を鎮めるために当社を創建したことがわかります。それほどまでに、当時の宮廷人は親王の祟りを畏れていたのです。
写真:乾口 達司
地図を見る親王にちなんだ御朱印なども授与していただけます。旅の記念に求められてはいかがでしょうか?
<崇道天皇社の基本情報>
住所:奈良県奈良市西紀寺町40
アクセス:奈良交通パス「紀寺町」よりすぐ
写真:乾口 達司
地図を見る親王をまつる神社は、ほかにもあります。こちらは北永井町にある崇道天皇神社。
すべり台が設置されているように、境内は子どもたちの格好の遊び場。そのほのぼのとした雰囲気からは、ここが親王の怨霊を封じるために建てられた神社であるとは思えないほどです。しかし、そのギャップが、かえって親王の怨霊の凄まじさを際立たせます。
<崇道天皇神社の基本情報>
住所:奈良県奈良市北永井町425
アクセス:奈良交通パス「穴栗神社」より徒歩約5分
写真:乾口 達司
地図を見るこちらは出屋敷町の崇道天皇神社。住宅地にひっそりたたずんでいます。近くの神殿町にも崇道天皇神社が鎮座しています。
<崇道天皇神社の基本情報>
住所:奈良県奈良市出屋敷町28
アクセス:奈良交通パス「古市」より徒歩約5分
早良親王の生涯がいかに悲劇的であったか、ご理解いただけたでしょうか。怨霊封じといえば、いささかドキッとしますが、それだけに稀少価値のあるテーマであり、ご自身の足で親王ゆかりの地をめぐり、その悲劇的な生涯に思いを馳せてみてください。
2022年9月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2024/4/19更新)
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