悠久の昔より無名の石工たちが一途な想いを込めて、道の辺の岩頭や露岩に仏の御姿を見出して彫り刻んだいのちの表現。それが石の仏です。
造仏の煩瑣な儀軌(ぎき=とりきめ)からも自由にその時々の切実な思いをそのまま刻んだ野末の仏たち。そんな素朴さに満ちた民衆芸術が満喫できるのも、ここ当尾ならではの旅なのです。
とりわけ僕の大好きな磨崖仏は、岩船寺への道半ばの三体地蔵。乙女の含羞の笑みにも似た表情は思わず抱きしめたくなるほどリアルで、都塵にまみれた生活のおりふしによく思い出し、そのたびに訪ねてきました。
堀辰雄の『大和路信濃路』であしびの寺として一躍有名になった浄瑠璃寺(別名九体寺)は、加茂の静かな田園風景からやや山懐へと入ったところにある小さな山寺です。
寺苑中央の宝池(ほうち)をはさんで東に瑠璃光浄土の薬師如来を安置する三重塔(国宝)、西に西方浄土の阿弥陀如来九体を安置する阿弥陀堂(国宝)が向かい合い、一切の衆生の魂を漏れなく救済せんとする悲願をこめてこの地に造立されたといわれます。
平安時代には阿修羅像で有名な奈良興福寺の別所とされ、多くの山林修行者たちが足繁く訪れたところ。そんな修行者の中の石工たちがそれぞれの思いを道の辺の石に刻み込んだため夥しい野仏たちが今に残っているのです。
浄瑠璃寺を出てまもなく「藪の中三体仏」が脇を固める舗装路を北西にとり「あたご灯籠」の立つ辻を東へ曲がると道はゆるやかに山道となり、やがて「阿弥陀・地蔵磨崖仏(からすの壺)」が見えてきます。
ここから道は尾根沿いのゆるやかな山道となり、いやが上にも期待は膨らみますが、急に視界が開けたなと思うまもなく「阿弥陀三尊磨崖仏(通称笑い仏)」がデンと座っているのに出くわします。中央に阿弥陀如来坐像、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩像を脇侍としその三体の像の柔和な笑顔はなんとも言えない魅力を湛えています。
この小道の魅力は、夏ともなればテイカカズラ、ササユリなど野の花々がいたるところから顔をのぞかせ慰めてくれること。キイチゴも随分と豊富で、旅の喉をうるおしてくれることでしょう。
艶な微笑みを湛えた三体地蔵を過ぎてしばらく山道を行くと岩船寺に至ります。この寺の見どころは像高約3mに達するケヤキの一木造りの阿弥陀如来坐像ですが、本堂のひっそりとしたたたずまいからは想像を絶する素晴らしい仏像群が安置されているので、時間に余裕を以って訪れたいところです。
創建は天平期に行基が阿弥陀堂を建てたことにはじまると伝えられますが、生誕祈願の甲斐あって皇子を授かった嵯峨天皇、橘嘉智子皇后により堂塔伽藍が整備されて寺号も岩船寺とされ平安時代に最盛期を迎えたといわれます。
そのほか、関西花の寺二十五か所霊場の第十五番札所とされるだけあって、春は桜、つつじ、都忘れ、夏には紫陽花、睡蓮、さるすべり、秋はもみぢ、冬には梅、椿、みつまたと、境内は四季折々の花々で満たされるといいます。僕が訪れた時には、雪の花がちらほらと舞う空へみつまたの固い蕾がようやくほころびはじめたといった風情の花の乏しい季節で、それはそれでまた愉しからずや。しみじみ心和む小宇宙が広がっていました。
浄瑠璃寺より道を岩船寺とは反対の北西にとれば、道のべに無数の地蔵石仏が散見できる北大門集落があります。そこを抜けたところから谷越しに大きな磨崖仏が望めます。
ホトケ谷と呼ばれるその場所へはもちろん労を厭わなければ谷へ下りて直下の巨岩まで辿ることができます。真近で仰ぎ見る座高267cmの如来像は阿弥陀、大日、弥勒と諸説ありますが、面相の力強さ、薄く刻まれた衲衣(のうい)と裳懸座(もかけざ)の台座は、岩船寺の本尊の作風に通じるものがあり、この地方最古の磨崖仏とされています。
当尾は奈良県に接する山里で古くから寺院の伽藍仏塔が建てられ、花崗岩の巨岩が多く、その岩には石仏が彫られて、知る人ぞ知る石仏の里とされてきました。
JR加茂駅から徒歩またはタクシーでしか辿れない不便なところでしたが、近頃は、近鉄・JRの奈良駅前からも笠置行、岩船寺行のバスが出ており、随分と便利になりました。
ここで挙げた磨崖仏以外にもツジンドの焼け仏、笠石をのせた長尾阿弥陀石仏、ミロク辻の線刻弥勒仏があり、寺院の拝観を含め、全部見てまわっても所要時間は6時間余り。心の安らぎを得る旅のみならず、歴史を影で支えてきた民衆の生きた歴史をたどる旅としてもお薦めです。
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