陰陽師といえば、何を思い浮かべるだろうか。天文に通じ暦を司り、時には式神を従え、術をもって災いを退ける。歴史の中でも異彩を放つミステリアスな人物、安倍晴明の名が浮かぶにちがいない。小説や漫画、映画の中の人物として、あるいはアイススケート選手の羽生結弦が氷上で舞う「SEIMEI」の姿を重ねる人もいるだろう。
兵庫県佐用町大木谷は、岡山県との県境に近い静かな農村だ。およそ1000枚もの棚田が広がる風景の美しさと、谷を吹き抜ける風の心地よさ。美しい日本の原風景として農林水産省の「日本の棚田百選」にも認定された「乙大木谷の棚田」がある。
<乙大木谷の棚田>
住所:兵庫県佐用郡佐用町乙大木谷地区
写真:塚本 隆司
地図を見る夜になれば星がきらめく「星ふるまち」。大木谷の南、大撫山の山頂には、日本最大級の反射望遠鏡「なゆた望遠鏡」を備えた兵庫県立大学西はりま天文台がある。公開望遠鏡としては世界最大級で、毎夜一般向けに夜間天体観望会が開かれている。宿泊できるコテージもあり天体ファンや家族連れにはもってこいの場所だ。
<兵庫県立大学西はりま天文台>
住所:兵庫県佐用郡佐用町西河内407-2
電話番号:0790-82-3886(天文台)、0790-82-0598(管理棟)
開業時間:9時〜21時
休業日:毎月第2・4月曜日(祝日の場合は翌日)、施設休業日あり
夜間観望会:平日は宿泊者、土・祝日は宿泊者と電話予約者、日曜日は宿泊者と日帰り参加者(予約不要)
宿泊予約:兵庫県立大学西はりま天文台公式サイトを参照
陰陽師や安倍晴明ゆかりの地は日本全国にあるが、特に吉備(岡山県)や播磨(兵庫県)は陰陽師の発祥とも深く関わりがあり、多くの伝説が残る。天文との関わりも偶然とはいえない。「天文のまち」として知られる岡山県浅口市にも、ふたりの墓や屋敷跡が残る。
映画『陰陽師』の中で狂言師・野村萬斎演じる涼やかで妖艶な安倍晴明と戦ったのが、真田広之演じる悪役陰陽師・道尊。この道尊のモデルが播磨出身の蘆屋道満だ。
正確には、陰陽師とは室町幕府などの公的機関「陰陽寮」の官職のひとつを指す。「陰陽寮」に属さない民間の陰陽師は「法師陰陽師」といい『枕草子』や『紫式部集』にも登場する。僧侶のような修験者のような民間陰陽師「法師陰陽師」の代表格が蘆屋道満であり、官人の陰陽師・安倍晴明と対峙した格好だ。
民間信仰として現代でも陰陽道の面影を残す事例のひとつが、三重県伊勢志摩の海女に伝わる「セーマンドーマン」(「ドーマンセーマン」ともいう)だ。晴明が用いた印「五芒星」と道満が用いた「九字紋」(縦横9本の線からなる格子形で「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」と唱えながら印を結ぶ)を並べたお守りが伝わっている。
ふたつの印が並ぶ意味は、大木谷で並ぶように祭られた晴明塚と道満塚にも通じているかもしれない。
中国道佐用ICから県道240号を経由し県道524号を走っていると「鑓飛橋(やりとびばし)」という小さな橋がある。伝説によると晴明と道満が式神を使い壮烈な戦いを繰り広げた場所だという。
写真:塚本 隆司
地図を見る「鑓飛橋」の先の三差路に並ぶ案内看板が、伝説の地にたどり着いたことを教えてくれる。右に行けば晴明塚のある甲大木谷、左に行けば道満塚がある乙大木谷だ。
どちらから行こうか、甲乙つけがたい。
写真:塚本 隆司
地図を見る写真:塚本 隆司
地図を見る晴明塚もだが道満塚への道筋は道路標識が多く設置されているので迷うことはない。乙大木谷の道満塚へと続く坂道は細く急なため、道路脇の少し広いところに駐車して徒歩で向かうのがいいだろう。
写真が「道満塚宝篋印塔(ほうきょういんとう)」だ。
側面に刻まれた「寛政九丁巳年七月吉祥」と「再建立下村講中」の文字から、江戸時代後期の1797年に再建されたものとわかる。
写真:塚本 隆司
地図を見る蘆屋道満は道摩法師とも呼ばれ、出身は播磨国岸村(兵庫県加古川)。出生の地にも道満伝説が数多く残っている。
時の権力者・藤原道長を呪詛しようとした罪で都を追われた道満は、この地で晴明と最後の戦いに挑むも敗れ、命を落とした。追いかけてきた晴明も疲れ果て亡くなったという。
ちなみに晴明が正義、道満が悪というイメージが生まれたのは、人形浄瑠璃や歌舞伎にもなった『信田妻』に発想を得たと思われる。この中で、晴明の母親とされる女狐の命を奪おうとした占い師が芦屋道満なのだ。
ことの真偽など、わからない。ただ、ここに立ち、乙大木谷の棚田を眺めていると、今でも村を見守り続けている強くて優しい道満に会えた心持ちになる。権力闘争に明け暮れたような人物ではなく、村人を助け信仰を集める存在だったと考える方が自然だろう。
<道満塚宝篋印塔>
住所:兵庫県佐用郡佐用町乙大木谷地区
写真:塚本 隆司
地図を見る道満塚から東へ直線で500メートル、谷を1つ越えた山腹に晴明塚がある。道満塚から、うっそうとした竹林や松林を抜ける道があるが、土地に不慣れな旅人にはオススメしにくい雰囲気が漂っている。
車で行くなら、途中切り返しが大変なカーブもあるが、晴明塚の下に駐車できるスペースがあり行きやすい。
塚の入口の石柱には「従四位天文博士安倍晴明公」と書かれている。安倍晴明は陰陽師として異例の出世を果たし、官位を授けられ播磨守となった。播磨は陰陽道の発祥とも深く関わりがあり、法師陰陽師も多くいたという。晴明と播磨の結びつきは、とても興味深い。
写真:塚本 隆司
地図を見る3段の方形壇の上に建つ晴明塚は、道満塚よりも少し小ぶりに見える。年代は道満塚より古く、様式や手法から室町時代前期に造られたものという。南面の左束(つか)に古い地名の猪伏(イブし)の刻印があることから「いぶし晴明塚宝篋印塔」と呼ばれている。
晴明塚の向かいには、木造の古い仏像が数体安置された御堂。原型をかろうじてとどめる姿もあり、大切に守られてきたことがよく分かる。
<いぶし晴明塚宝篋印塔>
住所:兵庫県佐用郡佐用町大木谷1304
写真:塚本 隆司
地図を見る晴明塚からも棚田が見渡せる。塚の向きは東向きで棚田を見つめているわけでも、道満塚をにらみつけているわけでもない。
戦前までは、ここで盛大な盆踊りが行われていたというから大切な場所に違いない。現在は、晴明塚から道満塚までの間を巫女や神職の姿で歩く七夕行列が開催されている。
<第9回 陰陽師の里 江川 七夕行列>
開催日:2018年8月4日(土)
時間:15時頃に晴明塚を出発
主催:江川地域づくり協議会
詳しくは佐用町公式サイトを参照してほしい
陰陽師決戦の地、兵庫県佐用町の大木谷。ふたりの天才陰陽師が戦い、祭られたとされるミステリースポットだ。晴明塚と道満塚の2つが向かい合っているわけではないが、陰陽道に関わる宝篋印塔のこと。建てられた位置や向いている方角には、何らかの意味が隠されているかもしれない。
実際に安倍晴明や蘆屋道満がこの地に来たのか、住んでいたのか、分からないことばかりだが、周囲を山に囲まれた天体観測に適した谷に、星読みの一族が住み希代の陰陽家を祭っていたとしても不思議はない。
昔ながらの棚田の風景が今も残るこの地に立てば、何らかの結界で今も守られているのではないか。そんなことをつい考えたくなる。
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(2024/10/8更新)
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