出羽三山神社の出発点にあるのが美しき随神門(ずいしんもん)です。ここからが出羽三山の神域であることを忘れないようにし、参拝という気持ちを持ちまししょう。
随神門から続くのが「継子坂」という石段が下る場所。継子坂には一つの悲しい話が残されています。ある女が幼い我が子をこの付近に捨てたのですが、子供は母を探し、石段に小さな足跡を残したというのです。
継子坂の下には美しいお社が並んでおり、右折して渡るのが朱色の「神橋」となります。
祓川にかかる神橋を渡って左手に見えて来るのが、爺スギ。樹齢は千年を越え、国の天然記念物。根周り10.5m、幹囲8.25mで、羽黒山では最大にして最古の杉であり、その堂々とした姿に歴史が感じられることでしょう。
朝の早い時間帯であれば、後ろから差す光がまるで後光のように見えるのでは。
平成30年には天皇陛下御在位30年、三神合祭殿再建200年を記念し、五重塔の扉が開かれ特別拝観が行われました。前回開かれたのは約150年前のこと。そして同じ時期に、山頂の出羽三山神社では秘仏が初公開されたのです。
杉木立の中の五重塔は荘厳なる雰囲気であり、信仰の重さ、奥深さが感じられるのではないでしょうか。
国宝の五重塔は羽黒山内では最古の木造建築となりますが、三間四方の塔は、高さが29.4mとなります。
平将門により承平年間(931年−938年)に建立され、再建は武藤政氏による文中元年(1372年)と伝わっているものです。
国宝の五重塔から進み、左折するといよいよ本格的な石段が始まります。最初の難所が一の坂。
ところで両側に並ぶ杉並木ですが、参道の両側合計で約600本あり、慶長から寛永(1596年−1643年)にかけて植樹されたもの。見事な姿に風格さえ感じるのではないでしょうか。
やがてさらにこう配の厳しい二の坂となります。二の坂が全体の中で最もきつい場所と言われています。
さすがは半端ない2446段を構成する石段と、うならされるかも知れません。
出羽三山神社の御利益は、昔ながらに石段を上ることと言われますが、多少は日陰となる杉木立の中を通ると言っても無理は禁物です。体調を確認しながらの参拝を心掛けましょう。
二の坂を登り終えると全体の中間地点となり、そこに力餅元祖二の坂茶屋があります。
人気の「力餅」や暑い時期なら「カキ氷」で、休憩しましょう。普段は霧がかかることが多くなかなか遠くまで見渡せないので、遠望出来ればラッキーということになります。
なお、電気が通っていない場所となる力餅元祖二の坂茶屋の品々は、全て茶屋の人たちが下から運んだもの。バイクが通れる道もないのです。そして、冬季を除き、春から秋まで毎日下から往復しているというのですから、その体力には驚かされるのでは。
休憩しながら、必要な物があったら購入しておきましょう。
飲食と休憩で元気が出たら、頂上を目指しましょう。
個人差はありますが登り始めから50分前後で2446段が終わり、山頂の出羽三山神社に到着となります。
出羽三山神社には、出羽三山である月山神社、羽黒山神社、湯殿山神社の三神が合祭された三神合祭参集殿があります。主神祭は伊氐波神・稲倉魂命で、山岳信仰の中心地的場所として多くの参拝者で賑わうのです。
日本でも極めて珍しい合祭殿のパワースポットで、しっかりと祈願をしておきましょう。
茅葺の鐘楼は、最上氏の第13代当主、出羽山形藩の第3代藩主であった最上家信(慶長10年(1605年)−寛永8年(1632年))の寄進で元和4年(1619年)再建となります。国宝五重塔に次ぐ古さを誇り、歴史の重みが感じられるのではないでしょうか。
なお、上って来たということは同じ段数を戻ることになります。戻り道でケガをしないように、十分な注意をして下りましょう。
最後に山形県のその他の観光地の紹介です。日本海の荒波に耐える波打ち際の石仏「十六羅漢岩」、美しい「胴腹滝」では如意輪観音を拝観。歴史を体感してみてはいかがでしょうか。詳細は下記の関連MEMOをご覧の上、旅行の参考としてください。
住所:山形県鶴岡市羽黒町手向字手向7
電話:0235-62-2355
アクセス:鶴岡市から庄内交通バス羽黒山行き約50分、終点下車。国宝羽黒山五重塔拝観及び石段は同バスで随神門下車。
2020年10月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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