豊臣秀吉の光と陰!京都市「豊国神社」とその周辺

豊臣秀吉の光と陰!京都市「豊国神社」とその周辺

更新日:2022/11/02 11:40

乾口 達司のプロフィール写真 乾口 達司 著述業/日本近代文学会・昭和文学会・日本文学協会会員
豊臣秀吉といえば、農民から立身出世を果たし、天下人となった戦国乱世の英雄として、その名を知らない人はいないでしょう。京都市にはそんな秀吉をまつった神社が存在します。豊国神社です。今回は豊国神社とその周辺に点在する史跡を紹介しながら、稀代の英雄・秀吉の光と陰に迫ってみましょう。

国宝の唐門を擁する豊国神社

国宝の唐門を擁する豊国神社

写真:乾口 達司

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「豊国神社(ほうこくじんじゃ)」は京都市東山区に鎮座する神社。農民から立身出世を果たし、天下人となった戦国乱世の英雄・豊臣秀吉をまつっています。秀吉が亡くなったのは、1598年(慶長4)。遺言により、遺体は東山・阿弥陀ヶ峰の山頂に葬られました。その中腹に秀吉をまつる神社として建立されたのが、豊国神社です。しかし、大坂の陣で豊臣家は滅亡。社殿は荒廃してしまいました。時は流れ、明治時代になると神域は再興され、現在の地に社殿がうつされました。

写真は本殿の前に建つ国宝の唐門。桃山時代に建立された四脚門で、南禅寺の塔頭・金地院から移築されたものですが、もとをたどれば秀吉の晩年の居城であった伏見城の門であったと伝わります。

西本願寺、大徳寺の唐門とともに「国宝の桃山三唐門」の一つとされています。

国宝の唐門を擁する豊国神社

写真:乾口 達司

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写真は唐門の上部を撮影したものですが、豊臣家の家紋である「桐紋」が見られるのがおわかりいただけるでしょう。唐門が豊臣家ゆかりのものであることが、ここからもうかがえますね。

豪華絢爛!国宝・唐門の細部

豪華絢爛!国宝・唐門の細部

写真:乾口 達司

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唐門をじっくり眺めましょう。

写真は秀吉の神号である「豊国大明神」と刻まれた扁額(へんがく)。扁額の左右には鶴などの彫刻も見られます。この鶴は江戸時代初期に存在したと伝わる伝説の名工・左甚五郎の作とされ、「目無しの鶴」と呼ばれています。目玉が彫り込まれていないのは、その造型があまりにリアリティに富んでいたため、目を入れるとどこかへ飛び去ってしまうのではないかということからあえて入れなかったとのこと。

こういった豪華絢爛たる意匠は桃山時代の建築の特徴でもあります。

豪華絢爛!国宝・唐門の細部

写真:乾口 達司

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こちらは扉に彫られた意匠。もとは彩色がほどこされていたとされます。

注目していただきたいのは、下部に彫り込まれた鯉の造型。流れの急な河を登り切った鯉は龍になるという「登竜門」の伝説にちなんだ造型で、一介の農民から天下人にまで上り詰めた秀吉の立身出世を寿ぐという意味もあったのではないでしょうか。

縁起の良い意匠をお見逃しなく。

豪華絢爛!国宝・唐門の細部

写真:乾口 達司

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唐門の両脇に居並ぶ石燈籠は、豊臣家ゆかりの大名たちによって寄進されたもの。秀吉の権勢がしのばれる石燈籠です。

秀吉の立身出世にあやかろう!奉納用の絵馬

秀吉の立身出世にあやかろう!奉納用の絵馬

写真:乾口 達司

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唐門の前には、たくさんの絵馬が吊るされています。これは秀吉の馬印であった「千成瓢箪」を模したものであり、秀吉の強運にあやかろうと、たくさんの人が絵馬を奉納しています。

秀吉の立身出世にあやかろう!奉納用の絵馬

写真:乾口 達司

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絵馬は初穂料を支払えば、誰でも奉納することが出来ます。旅の記念に奉納してみてはいかがでしょうか。

<豊国神社の基本情報>
住所:京都府京都市東山区大和大路通正面西入茶屋町530
電話番号:075-561-3802
アクセス:京阪電車七条駅より徒歩約10分

秀吉の陰の部分を象徴する耳塚

秀吉の陰の部分を象徴する耳塚

写真:乾口 達司

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しかし、栄光に満ちているかに思われがちな秀吉には、実は暗い陰の部分がつきまとっています。その象徴が、豊国神社の西にあるご覧の土盛り。「耳塚(みみづか)」です。

耳塚は秀吉によって引き起こされた朝鮮出兵(文禄・慶長の役)にちなんだ史跡。朝鮮に渡った日本軍は武功の証として朝鮮や明の兵士、人民の耳や鼻を削ぎ落とし、塩漬けにして本国に持ち帰りました。耳塚は彼らの耳や鼻を埋葬し、供養した塚です。朝鮮出兵は秀吉の死によって終止符が打たれますが、その出兵に莫大な費用がかかったにもかかわらず、華々しい成果を上げることが出来なかったことで豊臣家の権勢は急速に衰退していくこととなるのです。

耳塚を目にして、秀吉という稀代の英雄の陰の部分にも思いを馳せてみてください。

秀吉の陰の部分を象徴する耳塚

写真:乾口 達司

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耳塚の頂上に置かれた五輪塔の向こうには、現代の京都を象徴する京都タワーものぞめます。京都の過去と現代。その両方を象徴する塔をご覧ください。

<耳塚の基本情報>
住所:京都府京都市東山区大和大路通正面西入茶屋町
電話番号:なし
アクセス:京阪電車七条駅より徒歩約10分

豊臣家滅亡のきっかけとなった方広寺の梵鐘

豊臣家滅亡のきっかけとなった方広寺の梵鐘

写真:乾口 達司

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豊国神社の境内と隣接するように建つのが「方広寺(ほうこうじ)」。最晩年の秀吉が発願した大仏を安置するために創建された寺院です。

大仏の鋳造は秀吉の死後も続けられますが、それがもとで火災となり、事業は頓挫。1608年(慶長13)よりふたたび建物や大仏の再建がはかられますが、1614年(慶長19)に完成した梵鐘をめぐって徳川幕府と豊臣家とが対立。大坂の陣を引き起こすきっかけとなったといわれています。

その梵鐘がこちら。豊臣家滅亡のきっかけとなった梵鐘が、秀吉をまつった豊国神社の隣りにあるとは、何とも皮肉ですよね。

豊臣家滅亡のきっかけとなった方広寺の梵鐘

写真:乾口 達司

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梵鐘の白線でかこまれた銘文の部分に注目!「国家安康」「君臣豊楽」の句が見て取れるでしょう。この部分が徳川家康の勘気に触れたとされます。すなわち、「家」と「康」が家康の名を分断していると同時に、「臣豊」が豊臣家を君主と見なすものであると考えられたわけです。銘文は臨済宗の高僧・文英清韓の作であり、家康を貶めるつもりはなかったとされていますが、豊臣家を滅ぼしたいと考えていた徳川幕府としては、格好の口実となったのでした。

<方広寺の基本情報>
住所:京都府京都市東山区大和大路通正面西入茶屋町527
電話番号:075-561-1720
アクセス:京阪電車七条駅より徒歩約10分

豊臣家滅亡のきっかけとなった方広寺の梵鐘

写真:乾口 達司

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こちらは近くにある東山警察署の交番。その名も「大仏前交番」。もちろん、方広寺の大仏の名に由来します。秀吉が作った大仏の名がこんな形で残っているとは、驚きですね。

<大仏前交番の基本情報>
住所:京都市東山区正面通本町東入茶屋町527-2
電話番号:075-561-2544
アクセス:京阪電車七条駅より徒歩約5分

豊国神社で秀吉の栄光と挫折に思いを馳せる

稀代の英雄・秀吉の光と陰をおわかりいただけたでしょうか。豊国神社とその周辺の史跡を訪れ、秀吉の栄光と挫折に思いを馳せてみてください。

2022年11月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2022/09/04 訪問

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