写真:井伊 たびを
地図を見る都営浅草線「本所吾妻橋駅」のA3出口より、地上に出れば「三ツ目通り」である。その通りに沿って北へ3分ほど歩めば、左手に「隅田公園」を見つける。国道6号線が直角に折れる「言問橋東」交差点を、向島方面へ100mほど進んだ一方通行の路地を入れば、ご案内する「三囲神社(みめぐりじんじゃ)」(三囲稲荷社とも呼ぶ)に辿り着く。
写真:井伊 たびを
地図を見る当社は、弘法大師が祀ったとされる“田中稲荷”が始まりだとされる。当時は、現在位置より北の田んぼの中にあった。
文和年間(1352〜1356年)に、近江の三井寺の僧であった「源慶(げんけい)」は、社を改築した折、土中から“白狐にまたがる老翁”を見つけた。その像の周りをどこからとも現れた白狐が、三度回って消え去ったという縁起から「三囲(みめぐり)」の名がつけられたと伝わっている。
御祭神は宇迦御魂之命(うかのみたまのみこと)である。名前の「うか」は穀物や食物の意味で「穀物の神様」である。衣食住に過不足のない、健康長寿を祈念したいものだ。
写真:井伊 たびを
地図を見る参道にいて参詣者をまず迎えてくれる狛犬は、阿吽像とも歯並がきれいだ。また、尻尾が平べったく、葉っぱのようでもある。よくみると、巻き毛がまざる毛並みに石工の拘りがある。
その石工とは“和泉屋太郎介”である。「泉州石工(せんしゅういしく)」として江戸に進出し、活躍した中のひとりだ。1745年(延享2年)奉納で、もちろん「墨田区登録有形民俗文化財」である。
写真:井伊 たびを
地図を見る阿吽像ともにガッシリとした体形である。阿像の大きく開いた口から剥きだした牙。天を仰ぐ座った立派な鼻。当社を護る強い自負心が漲っている。
写真:井伊 たびを
地図を見る吽像の凛々しく一文字に閉じた口から、のぞかせる並びのいい歯列と牙。三百年近く経ても、石工の思い入れは、現在でもなお脈々と息づいている。
写真:井伊 たびを
地図を見る三井家は江戸への進出にあたり、その名に肖り当社を守護神とした。そんな関係もあって、境内にある青銅製のこちらのライオン像は、閉店された旧三越・池袋店の店頭にあったもの。2009年(平成21年)、こちらに移設されている。
写真:井伊 たびを
地図を見る丸に「越」の文字。誰もが知る三越のトレードマークである。こちらは、客に出す茶の湯を沸かす「銅壺(どうこ)」の台石として、1896年(明治29年)から、昭和の初期まで実際に使われていた。
写真:井伊 たびを
地図を見る当社の左手奥には、古くから「大國(だいこく)」と「恵比寿(えびす)」の神像が奉安されている。もとは、越後屋(現在の三越)に祀られていたもの。二神は本年(2018年)開祀200年にあたる「隅田川七福神」の中に組み込まれている。
大國神(大国神とも書く)は慈悲円満と富貴をもたらす神として、また恵比寿神は豊漁をもたらす神、商家の繁栄を授ける神として、庶民の信仰を集め、その似かよった御神徳から一対の神として崇められることが多い。
写真:井伊 たびを
地図を見る境内の奥には三井家先祖を祀る「顕名霊社(あきなれいしゃ)」がある。1874年(明治7年)に建立され、1994年(平成6年)に当地に移築されたもの。
写真:井伊 たびを
地図を見る社殿を護る風変わりな狛犬たちである。よく観ると「阿吽像」の左右が逆である。奉納時期によって、たまに左右が逆転している狛犬もいる。とても珍しい存在だ。
また、落語家の三遊亭円丈は、こちらの狛犬を「立川談志狛犬」と命名している。そういえば、あの毒舌が聞こえてきそうだ。
写真:井伊 たびを
地図を見る境内奥にあるお稲荷さんのまえに、「老翁老嫗(ろうおうろうう)の石像」がある。元禄の頃、この三囲稲荷社にある白狐祠(びゃっこし)を守る老夫婦がいた。その老婆に願い事を告げると、老婆が田んぼに向かって狐を呼び、どこからともなく狐がやってきた。その願いごとは、ことごとく叶えられたと伝えられている。石像は、この老夫婦の徳を慕い建てられたものである。
住所:東京都墨田区向島2-5-17
電話:03-3622-2672
アクセス:都営浅草線「本所吾妻橋駅」A3出口より歩いて10分
2018年8月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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井伊 たびを
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